朝タイピングセット
最近、と言っても2日前からだが朝起きたらまず新調した(自慢)パソコンを起動しタイピングの練習をするようにしている。寝起きにカタカタキーボードを打ちはじめたのが2日前というだけでタイピング練習自体はず~っと続けている。決まった時間に同じ文字列をひたすらになぞり続けることを繰り返すにつれて「これ、速く入力できるようになるのもしかしてこの文章だけじゃないの?」と思い始めたのでこうして日記をしたためている次第だ。
こうしてnoteで日記を書くというのも初めてではない。おととしから去年くらいまでほぼ週4くらいのペースで続けてた気がする。毎日更新だったり2週間くらいの大穴が空いたりしてたから継続できていたかといわれると怪しいけれど。
日記を続けるのが嫌になった理由というのも、継続力を身に着けることだけを目的に、その日あったことや考えを書くという過程の楽しさをまったく眼中に入れておらずただ習慣化という結果のためだけに対して得意でもない文章を綴ろうとしたためだんだん書くのが嫌になってきて、それにつれて日記を書くという行為自体に意味を感じなくなり徐々にフェードアウト…究極なことを言えば生まれてきた意味も人生にも元から意味が付与されているわけではなく、それは自分で見出すものであり、日記も本人の自己満足で自分で意味を感じに行って自分だけを満足させるもののはずだからこんな意識高い系マインドに憧れたハナクソちゃんみたいな動機の時点で間違っているしモチベーションが破綻して当然でしょう。
なので、朝起きたら必ず日記を書くんだ!絶対書かないといけない!積み上げ!月収100万円!!みたいな大層な目標は掲げずに1万円払ってお腹はちきれるまで寿司をボケ食いするかnoteで日記を書くかのどちらか選べるようにするつもりだ。選択肢をつくるのはいいことだ。選択疲れという概念もあるけど、逃げ道としての選択肢には強みがあると実感している。
小さなハードルを段階的に高くしていくことと逃げ道を作ってあげることは物事を習慣にし、練度を上げるうえで重要な環境づくりである。何もしない、つまりモチベーションが死んでしまっては元も子もないのだから。