産休育休、史上最高に幸せで充実した夏休みが終わってしまう
8月31日を思い出す。夏休み最後の日、夏休みが終わってほしくない気持ちと、どうせ明日になればランドセルを背負って学校に行き、普段の日常が戻ってくるというあきらめ。
私は明日復職する。2022年6月中旬から翌4月25日まで、産休育休で休職していた。
妊娠が分かり、安定期に入ったころに戻りたい。胎児は一番心配な時期を乗り越え、お腹のなかで大きく成長するフェーズに入った。つわりも収まり、お腹が出てきて妊婦になった実感がわいた。産休の見込みも立ち、仕事を徐々に減らした。周りの人に妊娠を伝え始めた。皆が喜んでくれた。
割とキラキラマタニティライフを送っていたと思う。
妊娠〇週の週数更新を楽しみにしていた。ninaruやトツキトオカ(いずれも妊婦向けアプリ)の胎児のイラストがどんどん変わっていった。胎児の大きさはいちご、みかん、りんご、と大きくなっていった。たまにナスとかパパイヤとかよくわからない例が出てきて?? となった。
どの先輩ママさんにも「2人の時間を楽しんで!」と言われたので、2人でよく遊びに行った。近場でホテルステイしたり、レストランに行ったり、お買い物に行ったり。産休に入る日にはとっても嬉しいサプライズをしてもらった。
産休が始まると、本気で人生の夏休みを楽しんだ。平日に1人でゆっくりすることなんて、働いてたらあり得ない。朝起きて、ゆっくり朝食を食べ、ゆっくり顔を洗ってメイクし、1日を始める。ヨガをして、YouTubeを見て、本を読んで、ベランダで日向ぼっこして、引っ越してきたばかりの街を探検した。時には電車で堂々と優先座席に座り、横浜や東京まで出た。平日の真昼間にカフェやレストランで一人ゆったりと過ごした。趣味の宝塚歌劇もいっぱい見た。臨月まで劇場に通っていた。
出産に向けて身体づくりに取り組んだ。ウォーキングを1日8,000歩、マタニティヨガをYouTubeで1日30分。よくあの夏の暑い頃に、大きいお腹を抱えてマタニティレギンスや着圧ソックスを履いて8,000歩も歩いていたなと思う。妊娠後期からは乳頭マッサージと会陰マッサージをした。胸は全然大きくならなかったが、少しだけ液体が滲んだ。
妊娠出産の勉強もした。胎児発生について大学で学んだことをもう一度勉強しなおした。自分の身体に起きている変化を学んだ。胎盤の血液循環や妊娠高血圧症など、循環器系が複雑で難しかった。お腹が大きくなるにつれて骨盤がピキピキ言っているのに気づき、骨盤の解剖学を学んだ。「内診グリグリ」とはなんぞやと調べた。
胎動を動画に撮った。この頃はもう安心して、胎児がしっかり育ち、無事出産できるように感じていた(もちろん出産は何が起こるかわからないのだけど)。
赤ちゃんを迎え入れる準備を始めた。肌着の小ささに驚いた。水通しをし、小さいー! 小さいー! と言いながらハンガーにかけた。
入院バッグ、陣痛バッグの準備をした。陣痛バッグには先輩ママの親友からもらったお菓子を入れた。夫が買ってきてくれたお守りと、ぬいぐるみのキーホルダーをつけた。
お腹はどんどん大きくなった。
そしてとうとう明日で臨月、という日、病院から電話がかかってきた。無痛分娩ができないという説明だった。妊娠初期から無痛分娩を希望し、詳細な検査とアセスメントを求めていたのに、他科への照会が適切に行われておらず急に無痛は無理と言われた。胸がからっぽになったような感覚で、とめどなく涙が溢れてきた。病院と医師への不信感でいっぱいになった。分娩に前向きになれなくなってしまった。投げやりな気持ち。いっぱい泣いた。
普通分娩をするしかなくなった。でも、いくら歩けど動けど陣痛は来ず、予定日を超過した。気持ちを立て直すためにお腹の中の赤ちゃんが時間をくれた。8月23日、陣痛促進剤を打ち、出産した。天使出てきたー! と思った。赤ちゃんは生まれてすぐ大声で泣き、くしゃみをした。生まれて初めてのくしゃみ。一生忘れないくしゃみ。
翌日から母子同室、全身筋肉痛、足腰ガタガタ、出血多量のなか、不夜城の戦いが始まる。まだ赤ちゃんは胎児のようなもので、昼夜の区別がない。泣いていても、泣いている理由がわからない。後から考えればおっぱいくわえさせればよかったのだけど、授乳は3時間おきにしなければならないと思い込んでいた。抱っこの仕方もわからない。1日目で噴水をふっかけられ、おっぱいに血豆ができた。
生まれて最初の2週間くらいは、本当に天使か仏様のようなお顔をしていた。新生児微笑はこれ以上ない美しいほほえみだった。
いつしか、できることが増えていった。
・涙腺が発達し、涙が出るようになった。初めての涙に私が涙した。
・ニャーと猫のように鳴いていたのが、キェーと鳥になった。
・お客さんが来ると、ハイローチェアの上でじっと様子を覗っていた。
・ベビーカーに乗れるようになった。お散歩していると寝るのに、家に着くとパチっと目を覚まし、まるでGPS搭載赤ちゃんだった。
・ゔー、ゔー、と唸りながら寝るようになった。唸りがうるさくて寝られなかった。
・鼻涙管が発達し、鼻水が出るようになった。初めての鼻水に喜んだ。
・まつ毛や眉毛が生えてきた。宇宙人っぽい顔から人間っぽい顔になってきた。
魔の3週目というのがあった(なんやっけ、忘れた)。夜中眠らない赤ちゃんに付き合って、バランスボールでぽよぽよした。とにかく眠れず、まだ身体もガタガタで、疲労が蓄積した。初めて怒ってしまったとき、赤ちゃんは何も悪くないのに、ごめんねと泣きながら抱きしめた。洗いかけの哺乳瓶なんて放っておいてもスペアがあるのに、洗うのを途中で止めるというのができなかった。自分がどう動いたらいいのか、本当にわからなかった。
そんな日々を乗り越え、8ヶ月が経った。赤ちゃんはしっかりと座り、自分でおもちゃで遊び、ママを見つけてはニコッと笑うようになった。嬉しいときは全身をバタバタさせて最高の笑顔で声を上げて喜ぶ。抱っこして欲しいときは手を伸ばす。ギャン泣きはほとんどなくなった。今までで一番可愛い時期な気がする。
摂餌と排泄を他個体に依存した非力な謎の生物が、少しずつ人間へと進化しつつある。
産前休暇は完全に人生の夏休みだった。出産してからは育児という仕事をしているのであって、休んでいたわけではない。でも会社生活から異世界に入るという意味では夏休みのようなものだった。
論理から感覚へ
頭脳から肉体へ
理性から本能へ
パラダイムシフトとはこういうことを言うのだと思う。chatGPTなんかより絶大な影響を及ぼす衝撃。今までの世界から全く違う世界に足を踏み入れ、どっぷり浸かった。
私自身、肉体も別人になっている。妊娠前は10kgの荷物なんて絶対自分で持たなかったのが、今は毎日抱っこしている。髪はごっそり抜け、シミができ、乾燥肌になり、産後の老化に面食らっている。
自分と子の変化だけではない。周りの環境も一変した。
たくさんのママ友さんができた。こんなに友達が増えたのは大学生以来だ。年齢も職業もバラバラ、ただ近い時期に出産したという一点でつながる。顔を知っている人も知らない人もいる。助け、助けられ、励まし、励まされて、右も左もわからない育児を共に頑張る戦友たち。
社会は優しかった。たくさんの人が赤ちゃんにほほえみかけた。ベビーカーで電車に乗る際助けてくれるお兄さんがいたり、エレベーターを譲ってくれる人がいた(時々度が過ぎたおばちゃんとかもいるけど、割愛)。
行政の恩恵を受けた。赤ちゃんの医療費は無料で、おくすりも無料で、子どもセンターに行けば交流イベントが無料で開催されており、図書館では絵本が借りられる。今までたんまり税金を搾り取られていたけど、今度は税金を使ってもらう側になった。
妊娠するまで、浮草のようにどこでもふわふわと生きているような気がしていたけど、子どもができて社会とのつながりを感じるようになった。
今日は夏休み最後の日。明日、元の世界に戻って仕事を再開する。でもそこには1学期の私はいない。夏休み明け、日焼けした顔で教室に入るように、2学期の私は学校では学べないことを経験して少し成長しているはず。ずっと夏休みがいいな……というちょっと億劫な気持ちもあるけど、また学校の友達に会えるのが楽しみでもある。
いってきます。
≪終わり≫
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