ヴァレリー著「テスト氏」(小林秀雄訳 初版本・昭和14年創元社)
ヴァレリー著「テスト氏」(小林秀雄訳 初版本・昭和14年創元社)
「ヴァレリー著テスト氏」小林秀雄訳の初版本(昭和14年)
小林秀雄はこの創元社から出版する7年前に翻訳、二三訂正して出版した、と書いてある。
31歳と言えば彼が孤軍奮闘しつつ批評活動していた時期である。
「テスト氏」の翻訳文からは小林秀雄の張りつめた緊張感、悲壮感、激しい熱情が感じられる。
小林秀雄自身の翻訳序文の文章にも何とも名状し難き激しい、祈りにも似た想いが込められている。
「前略 『人間』がそのまゝ純化して『精神』となる事は何の不思議なものがあろうか、人間が何物かを失ひ『物質』に化す事に比べれば。 -中略ー 僕は繰り返す。何處にも不思議なものはない。誰も自分のテスト氏を持ってゐるのだ。だが、疑ふ力が、唯一の疑へないものといふ處まで、精神の力を行使する人が稀なだけだ。又、そこに、自由を見、信念を摑むといふ處まで、自分の裡に深く降りてみる人が稀なだけである。缺けてゐるものは、いつも意志だ。」
小林秀雄はヴァレリーと親和融合しつつ作者の意図を汲み取り、自分自身の言葉に置き換えて翻訳する。
この小林秀雄訳「テスト氏」を読んだ或る読者が恫喝するような小林秀雄訳よりは清水徹訳の方が分かりやすい、などと感じるのは真摯な自己探求をせぬ己を恥ずべきだと思う。
己の宿命と刺し違え、徹底的に自己解体した魂の名状し難き苦悩と悲哀
彼の「批評家失格」は孤軍奮闘している時期に書いたものだ。
――「今や私は自分の性格を空の四方にばら撒いた、これから取り集めるのに骨が折れる事だろう。」このボードレールの言葉を小林秀雄は「✕への手紙」に引用し、さらに自らを「――俺は今この骨の折れる仕事に取りかかっている。もう十分に自分は壊れてしまっているからだ」と告白する。骨の折れる仕事とは何か、それは単に「いかにかすべきわが心」という思いで佇み、身動きしないというわけにはいかぬ。言わばいかにこの世が「地獄絵」で、それを全身で感じ、観た者はただ「虚空遍歴」などするわけにはいかぬ。
百年前だったらランボーのように砂漠へと、人々に別れを告げ、ざらざらとした現実の中でのたうち、自減出来たかもしれぬが、時すでに遅く「前例」がいる。――断じて架空のオペラを演じない事。それにしても、自己のバラバラになった意識をいかに生々しい現実の中に復活させるか?変容せしめるか?果してその受け継いだ「事業」をどこまで成し得るか?ここで小林秀雄の自己自身の内的戦いの末の表明が、覚悟があの「批評家失格」という文章を書かせた。
「――地獄絵の前に佇み身動きも出来なくなった西行の心の苦痛を、努めて想像してみるのはよいことだ」と。
これはそのまま小林秀雄自身の姿にも当てはめることが出来る。彼は相手の眉間を割る覚悟はいつも失うまい、と言った。だが彼は一度たりとて相手の眉間を割ったことはない。彼に対する攻撃の急所、隙はまさにここにある。情の脆さである。その脆さが、その情が深く緻密でなければ人生を達観する「仙人」と化す。仙人面した物分かりの良い浅はかな人種、それを彼はインテリと呼んだ。それにしても、それにしてもである、彼は相手の眉間を割ることは無く、常に「寸止め」をする、――他人を切り刻む前に自分を徹底的に切り刻んでいるからだ。彼が論じたランボオ然り、ニーチェ、西行、その他然り――。彼の取りあげた人物達には自己の宿命と似た所謂「愛と認識の殉教者」が多かった。同じ心、つまり「いかにかすべきわが心」の思いをもって人生を「のたうちまわった」人物達の魂が、その思いが小林秀雄の表現の原動力であった。だから「探る眼はちっとも恐かない、私が探り当ててしまった残骸をあさるだけだ。」とか、「私は、理智を働かせねば理解出来ぬような評論を絶えて読んだ事がない(私の評論などは言わずと知れたこの部類だ)」(拙著「小林秀雄論」より抜粋)
彼の評論は賛否が多い。歴史上の天才的な人物しか扱っていない、と。しかし、下記のランボオについて書いたものは紛れもなく彼自身の本音であり、己の宿命と刺し違えた、彼の言語表現の原動力である。
「ランボーⅢ」の中で小林秀雄ははっきり明言する「――彼は河原に身を横たえ、飲もうとしたが飲む術がなかった。彼はランボオであるか。どうして、そんな妙な男ではない。それは僕等だ、僕等皆んなのぎりぎりの姿だ。」と。
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