死ぬんじゃねぇ、クソガキ。
お久しぶりです。梅おにぎりです。
皆さんは、もう生きれないなと感じたことはありますか?
私は良くそんなことがあるのですが、実際に死のうと思ったことは数少ないです。
つまり、「生きれない」けど「本当には死にたくない」のです。
中途半端ですよね。
こんなことを言うと良く、最近の若い奴はこれだから、忍耐力が足りない、甘ったれるんじゃねぇ、そんな風に言われます。
いやー、ごもっとも。
まぁ、今はそんな批判を無視して、
こんな私が岡本太郎に出会って、妙に救われたお話です。
皆さんは岡本太郎を知っていますか?
岡本太郎は芸術家であり、大阪万博の際に太陽の塔を作ったことで知られています。
「芸術は爆発だ。」この言葉を聞いたことがある方も多いんじゃないでしょうか。
実は先日私は、その岡本太郎の美術館に行ってきました。
元から岡本太郎の思想に興味があり本をいくつか読んでいたので、物凄く楽しみにしていたのですが、控えめに行って期待を超えてきました。
その中でも心打たれたのが、1936年に制作された『傷ましき腕』という作品です。
引用元:https://media.thisisgallery.com/works/okamototarou_04
なんとも言い難い作品ですね。
真っ赤で大きなリボンと皮膚を割き肉がむき出しになった腕が印象的です。
私はこの作品を見て、「気持ち悪い」そんな感覚を覚えたと同時に、「あ、私がいる。」と思いました。
自分をリストカットで傷つけて、その反面、現実社会の中ではのうのうとした顔で、着飾った笑顔でへらへらと生きている。
しかし、それは行き場のない苦しみであり、救われることはない。
それでも、生きる他ない。
そのように私には感じられました。
岡本太郎美術館所蔵作品集の中で岡本太郎はこの作品に対して、
「夢幻に浮遊していたリボンが、突然、結ばれた。そして、傷ついた腕が、現実に耐えて拳を握りしめたのだ。これは純粋抽象との告別であった。」
と述べ、1949年に再制作をしたことを踏まえて、
『「傷ましき腕」、この凝結はそれなりにひとつの完成を示した。だがそれでも、私の心の中の傷口、矛盾はいやされなかった。ますます傷口は裂けた。』
と述べています。
つまり、この作品は傷を癒すものではなく、現実に耐えながらも、そのことによってかえって傷をえぐるものともいえるのではないでしょうか。
この作品の腕の傷を私はリストカットと捉えたわけですが、私はリストカットに対しての感覚に世間とのズレを感じています。
世間的な印象では、リストカットをするのは、「辛くて死にたいから」そんなことだと思います。
しかし、私がそれをするときは主に、「生きるため」なんです。
梅おにぎりは何故か、自分から血が流れている、その赤い傷口を見ると安心して力が湧くんです。
色々な理由はありますが、生きている人間に流れる赤という色の魅力があるのかもしれません。
岡本太郎は作品集の中で「赤は激しい情熱をほとばしらせる。生々しい生命そのものの色だ。と同時に、それは鮮血の色。危険、不吉、死を思わせる。」と述べています。
私はこの言葉に出会って、妙に納得しました。
私は死の隣に座って、赤い血から自分と戦うための勇気を得ていたんだと思ったんです。
そう思ったら、少し気が楽になりました。
逃げているだけだと思っていたから。
私には死も生も無いと。
つまり、何が言いたいのかと言いますと、
私は生きる力も死ぬ力も十分に無いクソガキです。
でも死にたい、いつもそう思っています。
さっきも父親に「新卒カードは一生に一度しかないからな、分かってんのか。」と言われました。
まともに就活しろ、インターンに行けということですね。
ごもっともです。
そんなことは十分に承知しているつもりです。
そしてどうにもならない感情を抱えて、この文章も号泣しながら書いてるわけです(笑)
だけれど、これは私の人生です。
私が本当に死を覚悟したのならその時に死にます。
それまでは