「今日は休みます」のすすめ
部屋の片隅にたたんでいない洗濯物があったり、
手を付けないといけない書類があるのを横目で見て見ぬふりをしたり。
そんな時の、分かっているけど動けない感じ。
それを積み重ねていくとちょっとずつやる気を削がれていく感じ。
みなさんにはありますか?
私は特に几帳面な方でもありませんので、お部屋の中は比較的私物がのびのびとしていることが多いのですが。
そこに忙しさが重なったりなどしてタスクが溜まってくると、その界隈が薄く靄がかったような感じになります。
そしてその薄いどんよりは、全体的な自分のトーンにじわじわ影響してきます。
このどんより、部屋に限らず心の中も同じ。
なんとなく、整理整頓が必要なエリアが増えてきているのに手を付けられない、そしてじめじめ。
ということで、昨日は開室をお休みいたしました。
患者さんの予約が無い日や時間帯も、開室出来る時は看板を出しています。
これがなんというか待機電力?みたいな?
完全にスイッチを切って自分だけの時間とは不思議といきません。
身辺が片付いている時は、それは全く苦ではありませんが、「今日は休む」が今回は必要でした。
以前友人たちと仕事に対するON/OFF、もしくは出力がどうなっているのかという話をしました。
休みの日でもうっすら仕事のことは考えていて、ボリューム調整のようにグラデーションしているという友人。
私は治療の時だけスイッチをONにして、出力全開、患者さんが帰られて場の空気を元に戻し終わったらOFF。
職業柄、患者さんが目の前にいる時に最大限を発揮する必要があることと、終わった後にきちんと意識を切らないと、意外と身を削られるのでそのスタイルなのですが。
そのON/OFFに加えて開室中の待機電力も存在していたということが、明らかになりました。
そして今回何が大事だったのかというと、「休みます」と宣言して休むということ。
ぬるっと休むのではありません、すぱっと休むのです。
「今日の予定、"休む"」
宣言をしたらひとつ、軽くなりました。
コンセントを抜いたみたいに。
そして動きたくなる。
掃除をして、歩いて、本を買って、調味料を買って、勧められていたお店へ行って、ご飯を食べて、鍼を受けに行って。
普段自分がこれを伝える立場ですが、ひしひしと感じました。
「心がおかしい時は身体の調子を整えよう」
心のおかしいは手に取れないけれど、身体のいつもと違うは分かりやすい。
そしてそれを体感していくことで、「あ、自分えらい頑張ってたんだな、また気付かなかったよすまんね」と自分に言える。
すまんね、の後にありがとね、と自分を抱きしめてあげたらいいんです。
そんなの、嬉しいでしょう。
抱きしめてくれる人がいる人はもちろんそうされて下さいよ。
そんなの、幸せでしょう。
その上で、自家発電、おすすめします。
身体が整ったら何をしたくなるか。
おいしいものを作りたくなります。
自分で自分に、負担のない優しいものを。
料理名もない、材料もアバンギャルド、でも自分の欲するものを時間をかけて作っていると、
「わあ、いいにおい」が勝手に口から出てきます。
そしてできあがったものを、ちゃんと「おいしい」と思える。
あ、大丈夫だな、と思います。
「ご飯、おいしいですか?」と私は患者さんによく聞きます。
はい、今日はご飯おいしかったです。
ピーナッツバターを料理に使うと意外ととってもおいしいこと、こっそり書いておきます。