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僕はヤチョラーでアナログ派

頭にふと浮かんだアイデアが、立ちどころに消えていってしまい、後で思い返すことができない。たとえ、思い出せたとしても、最初に思い浮かんだときと、もう同じような感覚に戻れない。

そういったことが、僕にはあります。

noteの執筆に例えるならば、核となる言葉が浮かんだとして、その言葉をきっかけに、言葉が次々とつながっていくのに、言葉が先へ先へとつながればつながるほど、最初の言葉が逃げていって思い出せなくなってしまう。最初に感じた大切な思いが、もう言葉で再現できなくなっている。

そういった感覚です。

数年前から、その感覚が特に顕著になってきて、いよいよつぶさにメモをとることにしています。

使っているメモ帳は「測量野帳(セーY3)」です。出会いは、学生のときです(ガチ勢)。

「測量野帳」をこよなく愛する方って、ひそかにいらっしゃると思いますので、僕はおそれ多くてエラそうに語れませんが、とても使いやすいんです。

胸ポケットに入るちょうどいい大きさ、硬い表紙と質感の良い紙質、それでいて価格が安く、60年間変わらないデザイン。

いつもまとめ買いをしてストックしています。

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「測量野帳」は肌身離さず持ち歩いています。仕事中は胸ポケットに忍ばせて、休みの日はカバンに入れて、寝るときには枕元に置いています。

いつでもどこでも浮かんだアイデアを逃さずにメモするためです。

ちなみに、手帳も、仕事用ノートもそれぞれ別に持っています。「測量野帳」は、アイデア帳として使っています。

もちろん、メモ機能の優れたスマホもモバイルPCも持っています。でも、僕の場合、スマホの入力は時間がかかるし(フリック入力できる人を尊敬しています。)、PCだと漢字の変換で考えてしまうので思考が途切れてしまう。

だから、デジタルデバイスでメモをとることはしていません。思考のスピードに追い付かないんです。(そう言えばカッコいいですが、単に入力に気を取られて、何を考えていたかをすぐ忘れてしまうだけです。)

僕の場合は、手書きが一番早い。

創作でアイデア出しをするときは、アナログ派なんです。

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アナログの手書きの文字には、感情が乗るんです。

うれしいとき、元気なとき、悲しいとき、くやしいとき、感動したとき、忙しいとき、穏やかなとき、イライラしているとき・・・、それらの感情が、手書きの文字に乗るんです。

丁寧な字のときもあれば、書きなぐった字もある。下線で強調したり、丸で囲んだり、句読点が力強かったりする。決して同じフォントにならないわけです。

メモをするときは、「日付」と「場所」を必ず記録するようにしています。

それは、後で見返したときに、「日付」と「場所」と「手書きの文字」があれば、記憶をたどることができるのではないかと思っているからです。

アイデアが最初に浮かんだときのあの感覚がよみがえるのではないかと信じているんです。

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noteを書き始めたのは最近のことですが、測量野帳で書くのがしっくりきます。

基本的に行き帰りの通勤電車で書いています。移動時間は、これまで読書に費やしていましたが、今は、本を読むよりも、noteを書く方が楽しいので、測量野帳を開いてはいろいろと書き込んでいます。

文章は、測量野帳上でほぼ完成させます。僕の場合、PCで文章を考えながら文字を打つと時間がかかります。PCの画面で、書きかけの文章を見ながら、頭の中で、構成だったり、文のつながりだったり、言葉選びができればいいのですが、僕には不得手です。

そういった頭の中の作業を測量野帳の上で行います。

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測量野帳上での文章は、マインドマップのように言葉をいろいろな方向に広げていき、さらにその上に言葉を積み重ねたり、あるいは言葉を深く掘ったりしていくイメージで書いています。

具体的には、言葉を広げるというのは、僕の場合、言葉が順序立って系統的に出てこないので、とりあえず測量野帳に言いたいことを全部書き出していく作業のことです。

言葉を積み重ねるというのは、言い回しを代えたり、言葉を付け足したりする作業のことです。

言葉を深掘りするというのは、もっと深く考えたり、見方を変えたりして、より詳しく書く作業のことです。

こういう作業を繰り返して、測量野帳の上に、1つの文章をまとめていきます。測量野帳だと、いわば立体的に作業ができるんです。

PCは、最後に単純な入力作業をするだけです。結果として、僕の場合は、この方法が一番早いんです。それは、これまでの仕事の経験から自分自身が一番よくわかっています。

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最近は、次々と新しいデジタルデバイスが出てきています。紙のノートに書いた手書きの文字だって、文字認識されて、ワードに変換されて保存できる。そのような、アナログとデジタルが融合した素晴らしい商品があることも知っています。

デジタルの強みは、情報を共有できたり、変換できたりと、いろいろあると思います。ただ、アナログと比較するという観点でいえば、一番の強みは「検索性」だと思っています。

つまり、デジタルであれば、すばやく検索できて必要な情報にすぐにたどり着けます。それは、アイデアをカテゴライズ化したり、アイデア同士を連携させたりすることを容易たらしめるため、創作の幅が広がると思うのです。

でも僕はまだ、デジタルデバイスを使うことを躊躇しています。

書き連ねた測量野帳が何冊もありますが、見返してみると、たいしたことを書いていません。分量もさほどでもないので、今のところアナログで十分に間に合っています。

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僕には1つの信念があります。

アイデアというのは、知識や経験の組み合わせから生まれるものだと思っています。

そして、その組み合わせの作業は、生身の人間の脳内で行われます。

つまり、アイデアを出すためには、知識や経験を、自分の脳内にたくさん詰め込む必要があると思うのです。

もちろん、知識と経験のストックも、それらの組み合わせも、デジタルデバイスでできる時代が来るでしょう。

でも、そうやって組み合わされたアイデアは、生身の人間を心から感動させられないと思うのです。

そうじゃないかもしれないけど、そうあってほしいのです。

型に嵌まらずに、生身の人間が、自分の脳内の無限の可能性にチャレンジした方が楽しいと思いませんか? 

あくまで、僕の信念です。様々な意見があるのは承知しています。

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こうして見ると、僕は意外と保守的な考えの持ち主なんだなあと思います。頭が少し固くなってきて、必然的に思考が守りに入ってきたのかもしれません。

どうやら僕は、新しいものは好きなのですが、時代の変化には弱いようです。

だからこそ、60年間変わらないというアナログの「測量野帳」に惹かれるのだと思います。

ちなみに、測量野帳をこよなく愛する人って、「ヤチョラー」と呼ぶらしいです。知りませんでした。「ヤチョラー」の方、いらっしゃいますでしょうか?

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最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

以上、愛する測量野帳で書きました。



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原井浮世
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