暮らしと学問 15 辞書というものはあれでなかなか面白くて人情味のあるもの
(はじめに)最近、漢和辞典を買い直しました。仕事柄、調べ物はつきものだからです。辞書を読むことは「啓蒙」の一つですが、それだけではない醍醐味があります。今回の暮らしと学問は、その意義を考えてみました。
キッチン・テーブル論考
作家の村上春樹さんは、最初の2冊の小説家を書きあげたときのご自身を評して「キッチン・テーブル小説」と表現しています。
「要するに最初から専業作家という人はいないから、みんな仕事を終えて家に帰ってきて」作業するからです。
文筆業の切れ端に位置する筆者も実は似たような環境です。昼夜の会社勤めを終えてから、論文や売文を書き連ねておりますので、ある意味では「キッチン・テーブル論考」を作り続けているということであり、尊敬する村上春樹さんと同じような経験をしているのだなあとしみじみと実感しております。
ともあれ、世の「独立研究者」というものは、おそらく同じようなもので、キッチン・テーブルでなくても、似たり寄ったりではないかと推察しております。
たしかクレイグ・トーマスだったと思うけれど(『ファイア・フォックス』を書いた作家)、彼がある小説のあとがきの中で「多くの処女作は夜中に台所のテーブルで書かれる」といったようなことを書いていた。要するに最初から専業作家という人はいないから、みんな仕事を終えて家に帰ってきて、家人が寝しずまってから夜中の台所のテーブルに向かって小説をコツコツと書きつづけるわけである。
(出典)村上春樹「バビロン再訪」、村上春樹・安西水丸『村上朝日堂の逆襲』新潮文庫、平成元年、188頁。
まあ、専業研究者よりも--そして、この言葉は嫌いですが--生産性は低いのは難点ですが、所属機関がないというのは自由でもあり、そこから思いもかけなかった発見があったり、あるいは、対立的に捉えられがちな暮らしと学問を架橋するヒントと出くわすことも多く、筆者は筆者なりにそこを大切にしたいと考えています。
漢和辞典、再び
様々な文献を読んだり、あるいは文章を書くうえで、欠かすことができないのが辞書のたぐいです。先日、漢和辞典を再び購入しました。これまでは、高校時代に購入したーーそしてそれの程度が良いのか悪いのかは知る由もないのですがーー角川書店の『新字源』を使っていました。大改訂される以前の版ですが、使いなれていたのでそのままズルズルと使っていました。
漢和辞典を購入したのは高校へ入学したときです。思えば、高校在学時、最も使わなかったのが漢和辞典です。もちろん、専門や関心に従って人様ざまでしょうが、筆者は英和辞典を最も引いていたように思います。
漢和辞典を頻繁に使うようになったのは、大学院へ進学したあとのことでしょうか。専門が日本キリスト教思想史になりますが、ここで漢字の字義を確認する習慣がつき、ちょっとした文章を書いたり、あるいは文章を読んで調べたりするとき、漢和辞典を引くことが習慣になったように思います。
20年近く連れ添ってきた『新字源』は、先般に引っ越しの折、どこかで紛失したようで、ひょっとしたら家のなかのどこかにあるのかも知れません。ただ、先日、古本屋へ立ち寄ると、ほぼ新品状態の漢和辞典が300円で売られていましたので、サルベージしてしまいました。
辞書を読むことの醍醐味
さて、今回手に入れたのは三省堂から刊行されている『全訳 漢辞海』の第三版になります。「漢文を読む」ための漢和辞典、「漢字情報を調べる」ための漢字辞典というフレコミで、最新は第四版になりますが、パラパラめくってみた感覚では、筆者の生活には十分対応できるものです。スマートフォンのアプリもあるようですね。
試みに「絆(きずな)」という漢字を調べてみるとつぎのようになります。
語義 一 <動>①ほだ-す。つな-ぐ。(ア)馬の足をつなぎとめる。(イ)物をつなぎとめる。「拘絆(コウハン)」「連絆」 二 <名>①ほだし。きずな・キヅナ。(ア)馬の足をつなぎとめる綱。(イ)拘束するもの。つなぎとめるもの。「脚絆(キャハン)」。
(出典)戸川芳郎監修『全訳 漢辞海 第三版』三省堂、2011年、1091-1092頁。
東日本大震災以降、最も人口に膾炙された言葉の一つが「絆」です。自発的なつながりには憧憬を覚えますが、それでも上から連呼される、あるいは、メディアで喧伝される言葉としては政治的な胡散臭さを感じるのは筆者だけではないと思います。しかし、その胡散臭さというのは、実は言葉の語義を確認すると、ピタリと符合してしまうから恐ろしいものですね。要するには、もともとは、馬を繋いでおく綱という意味です。私たちは「絆」という言葉の積極的な面にのみ目を向けていますが、本来は消極的な、あるいは抑圧的な意義を含んだ言葉であったということです。人間関係も同じですが、本来温かいはずの相互の関係が一方的な隷属や服従へと転化することもしばしばあります。その意味では語源や言葉の成り立ちを知り、柔軟に応答していくことが大切なのかも知れません。
加えて巻ゲートルを「脚絆」といいますが、これも「絆」という漢字が当てられていることははじめて知り、ちょっと驚いてもいます。
私たちは日常生活のなかで様々な漢字を「所与」のものとしてポンと与えられていますが、キラキラしたイメージの薄皮を剥いでいくと、思わぬ意義があったりするものです。辞書なんて暮らしのなかでは使わないよというムキもあるかも知れませんが、ちょっと使って調べてみると面白いものです。
そしてAを調べてみたら、Bを調べたくなった。あるいは、関連する項目へジャンプしたくなったという連索が辞書を読むことの醍醐味かも知れません。
さて、再び村上春樹さんです。村上春樹さんは、「一冊だけ本を携えて無人島に行くとしたら何を持っていくのか」という設問があれば、「もしそうなったら僕は外国語の辞書を一冊選ぶと思う」と答えています。
フランス語でも英語でも中国語でもギリシャ語でもなんでもいいのだけれど、かなり厚めのしっかりした辞書をひとつ選んで、それを持っていく。そして何カ月か何年かかけてその外国語を完全にマスターしようと努めることにする。
(出典)村上春樹「無人島の辞書」、村上春樹『村上朝日堂 はいほー!』新潮文庫、平成四年、106頁。
たしか、アナーキストの大杉栄は、「一犯一語」の四文字をモットーとして、投獄されるたびに、獄中で外国語を学習したといいます。ちょっと大げさかもしれませんが、そういう感覚と交差するものがありますね。
ともあれ「暇で読むものがないときにはごろんと横になって英和辞典を読んだりする」村上春樹さんに従えば、勉強や仕事を離れて使うときは「辞書というものはあれでなかなか面白くて人情味のあるもの」というのは間違いありません。おすすめです。
氏家法雄/独立研究者(組織神学/宗教学)。最近、地域再生の仕事にデビューしました。