なんで「ネガティブはダメなこと」だって思うんだろう?
おはようございます。宇賀神です。感じていることをつらつらを書きます。
タイトルの疑問は自分に対して投げかけていること。現在の僕のスタンスとしては、ネガティブポジティブとか、良し悪しとか、優劣とか関係なく。「今」を表現すること。最近の自分の投稿を見たときに、「ネガティブ寄りだなぁ」とは思うのだけど。リアクション率などをみると、実際の反応から「ネガティブなことは表現しづらいな」とも思う。
ここ最近、「自分を偽らないサロン」やります、という記事を書きました。
このサロンタイトルに対して、「(あなたの言葉は)ネガティブな表現だから、その言葉変えてください」とご意見をいただきました。
その言葉を見たときに僕はモヤっとしたのです。なぜなら、①ネガティブなこと自体を僕自身だダメなことだとジャッジしているとわかったから。②ネガティブとして発信しているわけではなく、誤解して伝わってしまったと思ったから。
上記でネガティブポジティブ関係なく、とか言っているけど。なんだかんだ僕自身気にしている部分があるんだと思った時。「言っていることと考えていることが違う」と気づいたんですね。(そこで自分が許せなくなることがよくある...)
だからと言って、他のタイトルにするつもりはなくて... 「自分を偽らない」の言葉には意味があって敢えてつけているのです。(今後もっとしっくりくる言葉があれば変えるかもしれませんが。)
「偽る」という言葉が、ネガティブなこと? 僕はそうは思ってないです。
「偽」という言葉は、人の為と書き、「為」は、人間が像を手懐ける様子を表しているそうです。そこに人偏がつくと「本来の性質や姿を矯(た)め直す」という意味になります。真っ直ぐなものを曲げたり、曲がったものを真っ直ぐにしたり。そんなイメージです。ネットの意味を見ると「自分の本心を隠す」や「真実を曲げて言う」と言う意味で使われているようです。
なぜ敢えて「自分を偽らない」と言う言葉と使っているかというと。あくまでも「自分が」偽っていることに、今を生きることに対するしんどさや辛さの原因があると伝えたいからです。本当は自分の人生を自分らしく生きたい。自分を偽らずに幸せに生きたい。そう思わない人はいないんじゃないか?と思うからです。
目先のことに追われて、本当の気持ちを疎かにしてしまう。気づかなくなってしまう。自分でそうしたくて偽ってなかったとしても、無意識の中で自分を偽ってしまうことがよくある。後々になって、どっと疲れて体調を崩したり、僕のように生きる意味を感じられなくなって、自殺未遂したり鬱になったり、命の危機にまでなるよ、と言うことを伝えたいんです。
「しんどい」「辛い」「不安」「できない」「ダメだ」とかの言葉は、僕は今までネガティブな言葉だと思っていました。ネガティブなことは出してはダメだと思っていました。だから、ネガティブなことを出さないように、ずっと笑顔で接していました。良いことだけ言うようにしていました。すごく調子がいいように装っていました。SNS上ではそう言うふうにしていても、1人でいる時はずっと孤独感・閉塞感・モヤモヤをずっと抱いていました。
確かに、ポジティブでいられたらいいですよね。大きな波がなく、一定してポジティブでいられたらどれだけいいか... でもそう言うわけにはいきません。僕自身は1週間で見れば3〜4日はネガティブ寄りです(言葉表現が難しいですが、落ち込んだり、不安になったり、気持ちがブレブレになったりします)。
以前との大きな違いは「ネガティブな状況は良くも悪くもない、「今」を伝えてくれる大切な気持ち」だと捉え方が変わったことです。ネガティブもポジティブも「今」を表現するようになりました。自分の気持ちを自分で認められるようになりました。
ポジティブ・ネガティブと言う言葉があるくらいだから、使っている人はたくさんいる。でも捉え方は人それぞれ。それでもマジョリティ的な捉え方はやっぱり、「ポジティブが良いことで、ネガティブは悪いこと」なのではないかなと思うのです。自分がどう思うかよりも、周りがどう捉えているのか?に自分の意思が寄っていくことが往々にしてありました。僕は物心ついた時から、すでに敷かれたレールの上をただ乗って生きてきました。「周りがいうことが正しくて、自分がいうことは正しくない」とか「周りに評価されること認められることが良くて、評価されない認められないことは悪いこと=犯罪」くらいに思っていました。
そんな風に思うことは、誰から学んだのだろう?それは、生育環境の中で学んだかもしれません。親や近隣者の言葉から学んだかもしれません。ある出来事を通して学んだかもしれません。
その時学んだことと、今を生きるための方法は、大きく変わっていきます。僕自身の事例で言うと、茨城県に住んでいたときは車がないと不便だったので車移動がメインでした。今は東京都に住んでいて、駐車場代が高い等の理由で車は売りました。そんな感じでその時いる環境や状況によって、変わっていくことは当然だと思います。
それなのに、なぜ「ネガティブはダメなこと」と思っている部分があるのだろうか?僕自身がまだまだ心の中にネガティブポジティブに拘っているところがあるのだろうと思っています。「本当はずっとポジティブでいたい」そんな願望があるのかもしれません。
タイトルの疑問に答えはないと思います。もっと正確にいえば、「その時その時」の答えはあるかもしれないけど、絶え間なく変化していくものだと思います。
だから、ただただ「今」を表現し続けていこう。
取り留めがない感じになりましたが、これからもつらつらを感じることを綴っていきます。文字表現を通して、これからも僕自身の今を書いていきます。
今日もご覧いただきまして、ありがとうございました。
宇賀神
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