「一匹と九十九匹」-複眼的視点と普遍的視点
植草学園短期大学こども未来学科 特別教授 佐藤愼二
1.聖書「一匹と九十九匹」の物語
筆者はクリスチャンではないが、学生時代に学内のチャペルで説かれた聖書の一節は今でも心に鮮明に刻まれている。新約聖書のマタイによる福音書(第18章)には、「一匹と九十九匹」として知られる羊と羊飼いの物語が取り上げられる。
「あなたがたはどう思いますか。もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。」 *太字は筆者による。
実は、ルカによる福音書(第15章)にも「一匹と九十九匹」の物語は登場する。
「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰ってきて、友だちや近所の人を呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう」*太字は筆者による。
マタイによる福音書では、羊が何かに困って?どうしたらいいのか分からず?「迷い出た(*英文では one of them goes astray)」としている。つまり、羊の視点で、羊を主語に語っている。
一方、ルカによる福音書では、羊飼いが一匹の羊を「なくす(*英文では he loses one of them)」物語となる。ここでは、羊飼いの視点で、羊飼いを主語に語っている。
一匹の羊がいなくなった事実には変わりない。しかし、着眼点の違いにより、その様相は全く異なる。複眼的視点の重みを示唆する含蓄に富む喩えである。
2.複眼的な視点の重要性
「一匹と九十九匹」の物語を「子どもの離席・離室への支援」に即して考えてみる。「子どもが何かに困って迷い出た」と考えるならば、子どもが抱えているかもしれない辛さに思いを寄せることになるだろう。多動は「パンツの中にありが一匹入ってしまったような耐えられない感覚」として喩えられるように、本人の意思に関わりなく着席そのものが困難になるのだ。
一方、「教師がある子どもを『見失った』」と考えるならば、教師が「見失った」時の支援条件と「見失わないための」支援条件を検討することになろう。客観的には不適切と思われる「行動の原因を子どもだけに求めない」教師の鳥瞰的な姿勢を思わせる。
一つの事実に対して、子ども本人の思いと教師の支援という両者の視点(もしくは、その相互作用の視点)で考える-この複眼的視点こそが、特別支援教育の理念の根幹になければならない。
3.普遍的な視点の重要性
さて、先の物語には、大いなる救いが待っている。マタイとルカのいずれの福音書においても、「羊飼いは一匹を捜しに出かける」のだ。一匹を決して見捨てない!そして、見つけ出した後も、「どこに行ってたんだ?!何をしてたんだ?!」と、羊をむち打つように、叱ってはいない。むしろ、戻ったことを無条件で、本気で喜ぶのだ、「戻ってきてよかった!」「いてくれてよかった!」と!
この物語の本質は、やはり、「たった一人も見捨てはしない、心配ない!安心しなさい!」という思想性にある。教育基本法第4条には「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。2 国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。」とある。
「どの子もかけがえがない存在!」「いてくれてありがとう!」-この普遍的視点こそが、特別支援教育の理念の根幹になければならない。
4.「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実
我が国には「自立-非自立」「健常-障害」という二元論の時代が長くあった。しかし、いずれも連続線上に位置付くことが認知されつつある。それは、特別支援教育とともに提起された-従前の「個に応じた指導」を理念として拡大した-「教育的ニーズ」という包括的な概念によって一層鮮明になった。
一方で、コロナ禍にあって、ICTやオンライン教育への注目が集まった。しかし、それは仲間とともに取り組む「学校」教育の存在価値を再認識する契機ともなった。学校での学び合いや地域社会でのリアルで多様な体験を通じて、仲間と共に学ぶことの意味と有用性が指摘された。多様な個別化を実現しつつ、仲間との生活と学びを共有化・協働化するインクルーシブでユニバーサルな学校教育の重要性が確認された。
「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す、個別最適な学びと、協働的な学びの実現~(答申)」(令和3年1月26日中央教育審議会)が提唱する「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実は、個への「合理的配慮」を担保しつつ「多様な他者と協働しながら、あらゆる他者を価値のある存在として尊重」することを目指している。
それはすなわち、障害の有無ではなく、様々な子どものニーズ(支援の必要性)に、多様な学びの場と支援で包括しようとするインクルーシブ教育システムに他ならないのだ。 (つづく)
佐藤愼二
植草学園短期大学こども未来学科 特別教授 https://www.uekusa.ac.jp/juniorcollege/child_tro/child_tro_spe/child_tro_spe_002
植草学園大学・短大 特別支援教育研究センター
障害者支援を学ぶことは、すべての支援の本質を学ぶことです。千葉市若葉区小倉町にキャンパスをもつ植草学園大学・植草学園短期大学は、一人ひとりの人間性を大切にした教育を通じて、自立心と思いやりの心を育むことにより,誰をも優しく包み込む共生社会を実現する拠点となることを学園のビジョンとしています。特別支援教育研究センターは、そのビジョンを推進するため、平成26年度に創設され、「発達障害に関する教職員育成プログラム開発事業」(文部科学省)の指定を受けるなど、様々な事業を重ねてきています。現在も公開講座を含む研修会やニュースレターの発行なども行っています。 tokushiken@uekusa.ac.jp