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【読書メモ】コモンの「自治」論 by 斎藤幸平 松本卓也 白井聡 松村圭一郎 岸本聡子 木村あや 藤原辰史

服従主義から多様な主体によるコモンの<自治>へ
一人ひとりから・力はある


この本自体も多方向でめっちゃ面白く実践現場的な著者たち*\(^o^)/*

自治の系譜 自由というスポイル 資本主義による「構想と実行の分離」「魂が包摂される」 上からの改革に希望はない 正しさの危うさ 
下からの改革と自治 店 斜め 自分だけで決めない 市民営化 ミニシュパリズム 社会運動としての市民科学 リーダーフル・誰もがリーダー・アントレプレナー、、、

これは買いです❣️

【『人新世の「資本論」』、次なる実践へ! 斎藤幸平、渾身のプロジェクト】
戦争、インフレ、気候変動。資本主義がもたらした環境危機や経済格差で「人新世」の複合危機が始まった。
国々も人々も、生存をかけて過剰に競争をし、そのせいでさらに分断が拡がっている。
崖っぷちの資本主義と民主主義。
この危機を乗り越えるには、破壊された「コモン」(共有財・公共財)を再生し、その管理に市民が参画していくなかで、「自治」の力を育てていくしかない。
『人新世の「資本論」』の斎藤幸平をはじめ、時代を背負う気鋭の論客や実務家が集結。
危機のさなかに、未来を拓く実践の書。

目次

はじめに:今、なぜ〈コモン〉の「自治」なのか? 斎藤幸平

第一章 大学における自治の危機 白井聡

  • 新自由主義が損なう「自治」の能力

  • 資本のための大学でいいのか

  • 若者の成熟を阻害する社会

  • 新自由主義が奪う成熟、そして「魂の包摂」

  • 「六八年」以降の反革命

  • 全共闘運動ー前衛と大衆の乖離から政治嫌悪へ

  • 日大紛争——温存された腐敗の構造

  • 大学当局が恐れた共産党の伸長

  • 大学紛争のトラウマとカルトを使った「正常化」

  • 空間の新自由主義的再編

  • 「自治」を奪う大人たちの責任

  • 「自治」の実質を取り戻す

第二章 資本主義で自治は可能か? 松村圭一郎 
    〜店がともに生きる拠点になる

  • 「自由」や「自治」は歓迎されなくなった?

  • 貨幣経済の浸透で薄くなる人格的つながり

  • マルクスの商品交換論

  • 古典的な文化人類学における「贈与」と「商品」

  • 商品交換と贈与は二分できない

  • 商品交換の場である「店」の現実

  • 居場所としての「店」

  • 市場原理と贈与交換のブリコラージュ

  • ボードリヤールからグレーバーへ

  • 「自治」の固定観念をひっくり返す

  • 生き延びるための「すきま」

  • バラバラで小さい店の自由で柔軟な「自治」

  • 独立自営業という希望

  • あらたな政治/自治への想像力を持つこと

コラム❶ー自治の現場から「京都三条ラジオカフェ」がつなぐ縁 藤原辰史

第三章〈コモン〉と〈ケア〉のミュニシパリズムへ 岸本聡子

  • 「自治」とは暮らしの未来を考える行為

  • 国政ではなく地方自治から始める意味

  • 民営化の正体ー国家と資本の癒着

  • 〈コモン〉の管理から始まる「自治」

  • 国家と資本を恐れないフィアレス・シティ

  • ミュニシパリズム――広がる市民の挑戦と自治体の連帯

  • 政治のフェミナイゼーションと〈ケア〉の思想

  • 〈コモン〉と〈ケア〉の両輪

  • 地方自治から国政を揺るがす南米チリ

  • インソーシングで「命の経済」を耕す

  • インスティテューションを変えるのは市民

  • 杉並区の児童館と住民の声

  • 市民と歩くインスティテューションをつくる

  • 上からでもなく、下からだけでもなく

  • 少人数で「ここ」から始める

コラム❷――自治の現場から 市民一人ひとりの神宮外苑再開発反対運動 斎藤幸平

第四章 武器としての市民科学を 木村あや

  • 「自治」の種をまく市民科学

  • 市民科学の先駆

  • 観光を浴びるシチズン・サイエンス

  • 科学をオープンなものにする

  • 市民科学が自治体を動かす

  • 新自由主義とのジレンマ①——「科学の民営化」でいいのか?

  • 新自由主義とのジレンマ②——「自己責任」論が強化されてしまう

  • 科学主義とのジレンマ①——脱政治化の罠

  • 科学主義とのジレンマ①——データ化できないものの周縁化

  • 「つくられた「無知」

  • データ・ポリティクス——データは誰のものなのか?

  • 争点隠しの手段に使われる可能性

  • データが隠蔽の手段として使われる可能性

  • 市民か、それとも活動家か――境界線の引き方

  • データの公共性を大事にする

  • 社会運動としての市民科学を

  • 「リテラシー」と「データ」の意味を広くとらえる

  • 「場」をつくる市民科学

第五章 精神医療とその周辺から「自治」を考える 松本卓也

  • 息苦しい医療現場

  • 日本の精神医療の抑圧的な過去

  • 精神医療における「自治」とは何か?

  • 「六八年」の思想と反精神医学

  • 東大闘争(紛争)と日本の精神医療改革運動

  • 「反精神医学」のルーツ、イギリスでの実践

  • 「ふつうの精神科医」の誕生ー木村敏

  • 「病棟を耕す」という静かな革命ー中井久夫

  • 異質な他者を歓待することによって自分自身が変化する

  • ポスト反精神医学としてのラ・ボルド病院

  • 「言うこと」を可能にする「自冶」の場

  • 反精神医学ではなく「半精神医学」ーー 〈当事者研究〉

  • 「ポスト六八年」の思想の実践としての「べてるの家」

  • 「当事者になる」こと

  • 「主体集団」がつくる「斜め」の関係

  • 世界をましなものに組み換えるための「自冶」

コラム❸―自冶の現場から 野宿者支援からのアントレプレナーシップ 斎藤幸平

第六章 食と農から始まる「自治」 藤原辰史
    ー権藤成卿自治論の批判の先に

  • 「自治」の問題としての食と農

  • 農村自治に魅了された柳田國男

  • 斉藤仁の「自治村落論」

  • 農本主義の引力

  • 権藤成卿とは何者か

  • 権藤成卿の理想ー「社稷」共同体による農民の「自治」

  • 権藤のアナキズム的な側面

  • 平等を求めて――大化の改新と班田収授法の評価

  • 暴力的な改革礼賛と昭和維新テロへの影響

  • 軍国主義と農本主義

  • 左派と権藤成卿

  • 権藤の時代批判力

  • リアリティの欠如がもたらした破綻

  • 自己責任論的態度

  • 有機農業の身体性

  • 「自治」の原点は人間関係

  • 食堂付属大学の試み

第七章 「自治の力を耕す」、〈コモン〉の現場 斎藤幸平

  • 「自治」をめぐるふたつの困難

  • 「構想」と「実行」の分離

  • 資本による「魂の包摂」

  • 貨幣がもたらした「自由」は「自由」なのか?

  • コスパ思考が民主主義の危機を深める

  • 政治主義の罠

  • なぜ社会の保守化を止められないのか

  • 権力の補完勢力に成り下がる社会運動

  • 「上からの改革」に希望はない

  • 「下からの」変革と「自治」の力

  • 二〇世紀の限界――社会主義国家と福祉国家の共通点

  • 二一世紀の新展開――水平的ネットワーク型の社会変革が始まった!

  • 「生政治的生産」の力を使う

  • マルチチュードによる〈コモン〉型社会

  • ルールとリーダー不在の素朴政治?

  • リーダーと大衆の逆転

  • 水平ではない「斜め」の関係を

  • 現場の模索が「ミュニシパリズム」を生んだ

  • リーダーフルな運動を育てる

  • 「他律的な社会」を乗り越える自己立法

  • 「人新世」に必要な自己制限

  • 絶えざる自律と他律の循環

  • 他律的なアソシエーションを避けるために

  • 「自治」におけるアントレプレナーシップ

  • 経済の領域が変わると、政治が変わる

  • 「自治」は〈コモン〉の再生に関与していく民主的なプロジェクト

おわりに——どろくさく、面倒で、ややこしい「自治」のために 松本卓也

【著者略歴】

●斎藤幸平(さいとう・こうへい)
経済思想家。『人新世の「資本論」』で新書大賞受賞。

●松本卓也(まつもと・たくや)
精神科医。主な著作に『創造と狂気の歴史』など。

●白井 聡(しらい・さとし)
政治学者。『永続敗戦論』で石橋湛山賞受賞。

●松村圭一郎(まつむら・けいいちろう)
文化人類学者。『うしろめたさの人類学』で毎日出版文化賞特別賞受賞。

●岸本聡子(きしもと・さとこ)
杉並区長。主な著作に『水道、再び公営化!』など。

●木村あや(きむら・あや)
社会学者。Radiation Brain Moms and Citizen Scientistsでレイチェル・カーソン賞受賞。

●藤原辰史(ふじはら・たつし)
歴史学者。『分解の哲学』でサントリー学芸賞受賞。


第五章 精神医療とその周辺から「自治」を考える 松本卓也

▼精神医療における「自治」とは何か
こうした精神医療の状況に対して、「自治」をどのように考えればいいでしょうか。
ここで、私が考える「自治」とは何かについて、簡単に説明しておきます。
私の考えでは、「自治」とは、誰かが決めた既存の(しばしば抑圧的な)仕組みに服従している状態から脱却し、周りの人々と一緒に相談しながら、その仕組みを自分たち自身のものとしてとらえ、自分たちの手で工夫しながら、組み換えていくことを指します。
言い換えれば、既存の仕組みの単なる「受益者」であるという状態から、その仕組みに自ら関与する「当事者」になり、その「当事者」であるという状態を維持していく不断のプロセスのことを、「自治」と呼びたいのです。
この考えは、フェリックス・ガタリというフランスの精神分析家が言った、「服従集団(隷属集団)」から「主体集団」へ、というスローガンを参考にしています。


「主体集団」がつくる「斜め」の関係
かつて精神医療には、医師も患者も、強制入院や隔離や拘束を自明のものとする既存の仕組みに隷従しその仕組みの単なる「受益者」である時代がありました。これは医師も患者も「服従集団」に属していた時代であると言えます。

このような精神医療の仕組みに対するラディカルな否定は、空間の比喩を使うなら、垂直的ヒエラルキーの存在を自明なものと見なしそのヒエラルキーの中で、上から下へとトリクルダウンしてくる「おこぼれ」をもらうようなあり方を否定するものでした。そして、垂直的ではなく水平的な、つまりヒエラルキーを撤廃し、横のつながりを重視するような「民主化」されたあり方を求めるものでした。

水平的な「主体集団」は、水平方向を重視しながらも、「斜め」のあり方をめざしたのです。


▼ポスト六八年の思想の実践としての「べてるの家」
「べてるの家」では、「自分のことは自分で決める」ではなく「自分のことは自分"だけで"決めない」ということが強調されます。
ふつう、「当事者主権」という言葉は、病や障害を持つ人々が主権を持つことを意味しています。〜 当事者が自己決定をすることが重要である。
「自分のことは自分で決める」というスローガンにしたがって、ひとりだけで自分のことを考えていると、煮詰まったり、考えが変な方向に暴走したりしてしまう。かもしれない。だから、自分とよく似た困りごとを抱えた仲間と一緒に、グループで研究することによってこそ、自分の語りを取り戻すことができると考えるのです。
また、「べてるの家」は、「反省」や「批判」というやり方には批判的です。反省したり、自己批判したりするのでなく、自分に起こっていることを「共同で研究する」ことが大事なのです。


本書は、「自治研究会」と題された研究会の中で、各章の著者が、それぞれの現場の「自治」論を持ち寄り、討論を行って完成させたものである。編者らの狙い通り、このキーワードを立てることによって、実に多種多様な現場における自治のあり方が浮き彫りになったように思う。

最初の2つの章は、現代における「自治」の衰退を確認した上で、「自治」の再生のための希望を示す章である。第一章は政治学者、白井聡氏の担当だ。ここで取り上げられる教授会自治、学生自治の歴史と現状についてのサーベイは、大学という本来は自治的であったはずの空間が、新自由主義的再編によって反自治的なものとなり、その結果として学生や教職員を孤立化・無力化させていることを浮き彫りにする。とはいっても、「自治」は衰退しているばかりではない。

第2章では、商品交換の場である商店における「自治」が取り上げられる。商店は、商品が売り買いされ、利潤が追求されるという点においては経済的取引の場に過ぎず、一見「自治」とは無縁なもののように考えられるが、実際には、その隙間に小さな共同性が芽生えており、そのような隙間の「自治」の存在が人を生き延びさせてくれることを教えてくれる。文化人類学者の松村圭一郎氏らしい視点だ。

続く4つの章は自治を「当事者になること」の実践として捉えるものであると言えるかもしれない。

第3章は杉並区長の岸本聡子氏が執筆した、公共政策や地方自治という、文字通りの「自治」の現場からのレポートである。政治の話となると、すぐに国政や政局や立法の話になってしまいがちであり、そのせいか当事者意識を持てずに、「上から」の管理を黙認したり、はたまた要求してしまうことも少なくない。けれども、自分の身の回りにある問題を、いかに「自治」していくかを考え、〈コモン〉を取り戻していく活動は、政治をぐっと身近なものとしてくれるとともに、私たちそれぞれが当事者になることを可能にしてくれるだろう。

社会学者の木村あや氏による第4章は、そのような身近な問題についての「自治」の実例を提供してくれる。2011年の原発事故後の市民科学の活動を紹介するとともに、そのような「自治」の活動が当事者を水平的に結びつけることの重要性が説かれる。

第5章の拙稿では、精神病院という現場における「自治」すなわち自主管理の要求と、それ以降の実践の記憶が、現代における精神医療の倫理をかろぷじて担保しており、患者や治療者やスタッフがそれぞれ当事者になることを可能にしていることを指摘している。

第6章は歴史学者の藤原達史氏の手によるものだ。農村自治と言う具体例をもとに「自治」が魅力的なものであるだけでなく、ファシズムや新自由主義的な統治へと反転してしまう可能性を持つものでもあることが論じられる。「自治」はそのような危険性を感じ取りながら「迷い、考えること」を続けるなかで、初めて可能になるものであると言う指摘は、これらの4つの章を総括する言葉となっている。

最終章は、斉藤幸平氏が社会変革の観点から「自治」を論じている。「自治」について考えるなら、上からの(垂直的な)トップダウン型の改革に希望をもつことはできない。「下から」の、つまりは、市民の水平的な関係からこそ「自治」が可能になり、ひいては変革が可能になるのだ。けれども、水平的な関係が重要であるとは言っても、それだけでは足りない。水平的な関係に基づく運動は、もしそれがリーダーなき運動になってしまえば、バラバラに解体してしまうだろう。しかし「自治」とは、水平的であるだけでなく、組織化というちょっとした垂直化の契機をも含むものであって、その意味では水平的であるというよりは「斜め」の実践なのである。そうした新しい「自治」の実践こそが複合危機の時代の「希望」であると斎藤氏は締めくくる。

理論と実践は往復の運動だ。理論家は実践者から学ぶし、理論が磨かれることで実践の方向性はより明確になる。「自治研究会」を始めて以来、会のメンバーも、それぞれ「自治」の実践によりコミットするになっていった。メンバーから杉並区長まで誕生したのも象徴的な出来事だった。

読者にとっても、〈コモン〉という言葉を「自治」という様々な歴史を持つ言葉につなぐ本書の試みが〈コモン〉の思想をより具体的な実践において捉え直すためのヒントとなれば幸いである。


豊浦図書室さん いつもありがとうございますm(_ _)m

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