私の生活改善運動|読書記録
ここ数日で、安達茉莉子さんの『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE』という本を読んでいた。
住処を探す描写、自分が好きな家具を探したり作ること、自分にしっくりくる器を探し、服を仕立て、さらには自分の味覚を信じるまでの過程。終盤には積み重ねた暮らしにヒビが入るような事態も起こる。
丁寧な暮らし、とひとことで言えばそれで流れていってしまう暮らしの実践を細かく書いた安達さんのZINEが一冊にまとまったもので、一つひとつの描写に、わかるなと思ったり、すごいなと思ったりして、「愛のない空間には1秒もいられなくなってしまった」という一節が刺さる。
いざ今わたしが無職となって部屋を見つめると、いろんな足りないものがあって、気に入ってるわけじゃないけどなんとなく使っているものが目につく。
そういえば、コロナ禍でまず初めに行ったのが、家具を増やすことだった気がする。安アパートの一室、仕事から帰って寝る分にはなんとなくやり過ごしていれたけど、丸一日部屋の中で過ごすにはあまりにも「モノの居場所」が足らなすぎたのだった。
さらに振り返ってみると、それまで安いカラーボックスでなんとかしていた本棚をやめ、わりかししっかりした本棚を買ったときから、「自分はここで生きていくのだ」という気概が生まれたような気がする。
冷蔵庫や電子レンジ、ベッド以外の、必需品とまではいかない家具や家電を部屋に運び込むことは、いつどこかに行くかもわからない借り住まいの人生において、多少なりとも勇気がいることだと思う。それでも家具を揃えたことで、賃貸アパート然とした部屋が、わたしの家という空気をまとった気がした。
そんなことを経験しながらも、やっぱり見渡すとしっくりきていないものはたくさんある。というより、しっくりきてないもので埋め尽くされてるのだった。こんなもんで……で、揃えてしまった。
そもそも、心地よさの探究を自分に許せる人って、どのくらいいるのだろう?
本の中にも、他者からのひとことが深い傷になった描写や、染みついた自分自身に向けるネガティブな捉え方がいくつかでてくるけれど、無意識下に「自分なんてこんなもの」「贅沢してはいけない」「求めてはいけない」のような思いを抱えている人って周りを見渡しても多いな、と思う。わたしもそうだ。
「生活改善運動」は1日にしてなるものではなく、自分の心地よさの探究を自分に許していく途方もない積み重ねとも感じ取れるし、小さな行動でも、それが自分の快に紐づいていれば、生活改善運動だと言えるような気がする。
わたしも、日当たりのいいわたしの部屋と、そこに住むわたしの生活を、愛で溢れ返させたい。とか、そんなことを思ってみる。
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