400年の伝統を未来へ 「光庵と吉見家と茅葺きの物語 その2」
修復するか否かの議論の中で
前回お話ししたように、長い年月をかけて建物にだいぶ傷みが出てきている中で、東日本大震災に見舞われてしまいました。そしてその修復を巡って、それまでも家族内ではさまざまな意見が出ていました。
茅葺屋根は、現在の建築基準法や消防法では不燃物を使用しなければならないため、葦(通称:よし)で葺いた屋根は認められません。
何せ江戸時代の建物で、現行法律が施行される前の物ですので、本来であれば「既存不適格」として法律においては「大規模改築」の際は不燃物(瓦屋根やトタン屋根)の屋根にしなければなりません。しかし維持するための修繕なら、同じ材料を使用することができたのです。
それで震災の時や大風の時も補修して屋根の機能を維持する修繕として屋根を維持してきました。
白石市内における希少性
現在白石市内には茅葺屋根は3棟しかなく、大変貴重なものとなっています。吉見家の茅葺屋根は家に伝わる話では300年以上は経っていると言われています。
実際私の曾祖母の話から、江戸時代には既に今の屋根が存在していたと直接聞いていますので、明治14年生まれの曾祖母の話から考えると江戸時代中期には存在していたと思われ、歴史的にも貴重な建物と思われます。
茅葺屋根(母屋)解体案
私が昭和57年(1982年)7月に白石に家業引継ぎのため帰ってきて数年後に当時の社長(私の父・光夫)と言い争いになったことがありました。
あまりにも古くなった茅葺屋根が工場敷地真ん中に立っていましたので、私は早く壊して新しい家と事務所(事務所も古かった)を新築するべきと提案したことがありました。
今でも敷地北側に建つ工場前の積み下ろし等に必要なスペースは当時同様狭いのですが、ど真ん中な建つ茅葺の母屋がなくなれば広くなり、小麦粉を運んでくる10トントラックもかなり楽に作業ができるというのが私の案でした。
商品の生産量の増加に伴って、作業の効率化も求められていましたので、歴史的な建造物を残したい気持ちは私にもありましたが、従業員の日々の作業を考えると、その作業性の悪さを改善してあげたいというのが正直な気持ちでした。
吉見家15代目 きちみ製麺 取締役会長 吉見光宣
第3話に続く。
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「400年の伝統を未来へ!白石温麺の聖地「光庵」が生まれ変わります」