完璧なあなたじゃなくてあなたを愛しているんだよ。
生まれて初めて理容室に行った。美容室ではなく理容室、barbarである。日向市に移住して三年目、なんとつい先日まで私は床屋が定まっておらず、いろいろな美容室を転々としながら髪を切っていた。技術はあっても人間的に好きになれなかったり、一見こだわりがあるように見えて完成した髪型はイマイチだったり、他のお客さんの愚痴を延々聞かされたり、なかには本当にありえないレベルの言動や接客態度をされたりと、なかなか継続的に通いたいと思う床屋が定まらず美容室ジプシーを続けていた。今回の理容室のことは以前からなんとなく知ってはいたものの、理容室というとご年配の男性たちがぴっちりとした髪型に整える場所というようなイメージがあり、少し抵抗があった。自分のような流れ者が行って良いのかわからなかったが勇気を出して行ってみた結果、とても良かった。次から必ずここに通おうと、移住三年目にしてようやく長かった美容室ジプシーに終止符を打つことが(私の中で)決定した。
そこは創業34年目の家族経営の理容室で、現在は福岡で修行されてきた息子さんが帰って来て跡を継ぐ形で店長を勤めていらっしゃった。そのため客層も若い男性が中心で、頭皮にトニックをつけてもらったり剃刀で首元を剃ってもらったりマッサージマシンで背中をほぐしたりしてもらったりできること以外は、美容室と変わらないくらい今風でお洒落な雰囲気だった。昔ながらの理容室特有のサービスもまた、私にとっては初めての体験で新鮮だった。散髪はその若い男性の店長さんが担当してくださり、確かな技術と手際の良さで希望通りかつ理想以上の髪型にしてくださった。
髪を切ってもらっているあいだ、その店長さんといろいろな話をした。現在店舗を改装中であること、改装して心機一転するからにはこれまでにない新しい価値を創造したいという話、以前私が空き家リノベ中に掲載されたローカル新聞の記事を見ていて覚えていてくださったこと、お互い釣りが好きなこと、ウツボの一番美味しい食べ方について。いろいろと楽しくお話しするなかで、この方は自分に対してものすごく厳しい方なんだなという印象を受けた。そこがとても素敵だった。散髪の技術だけでなく、物事の考え方や瞬発的に返ってくる言葉の端々に熱と光と礼節を感じた。創業者であるお父様の教育の賜物なのか、それともご本人がもとからストイックな性格なのか、あるいはその両方かもしれない。彼の品のある美しい言葉遣いのひとつひとつを受け取って、私も久々に気持ち良く背筋が伸びる思いがした。
自分に厳しいというのは、失敗した時に必要以上に落ち込むということではない。自分の不出来に必要以上に意識が向きすぎているということでもない。それはただの自己卑下だ。自己卑下は、自分だけでなく自分を支えている他人まで巻き込んで傷付けてしまう最悪のエネルギーだ。自分に厳しいというのはそういうことではない。自分に厳しいというのは、不出来な自分を助けてくれた人や存在に対して背筋を伸ばして頭を下げられることだ。完璧ではない自分を受け入れて、それでもなんとかやっていけている恩恵に意識を向けられることだ。理容師の彼の姿勢や言葉のひとつひとつが美しかったように、自分に厳しい人は生きる所作が美しい。逆を言えば、自分に厳しくすることによって美しく生きられていないなら、それを決して自分に厳しいとは言わないのだ。
悪口も励ましも褒め言葉も、どんな言葉も諸刃の剣だ。自分に向けて言えないことを人に言ったり、人に向けて言えないことを自分に言ったりしてはいけない。人に何かを言う時は、自分に向けて言っているつもりで言う。人を励ます時は、同じ言葉で自分自身のことも励ましてやる。それが説得力というものだ。それがないと、何を言ったって何をやったってそこに魂は乗らないのだ。
私には現在、一年と少し付き合っている恋人がいる。彼女にはこれからやっていきたい事業があり、私はそれを応援して実際的な協力もさせて頂いている。これまで自分のことで手一杯で、いつも応援するより応援される側だった私が、いまは純粋に彼女の仕事を応援している。これは私にとって新しいステージだ。これまで「自分のためにやったことが結果的に誰かのためにもなってしまう(自利→利他)」というやり方に徹底的にこだわって選択してきた私にとって、「純粋に誰かのために行動することで自分自身も喜びを感じる(利他→自利)」というのは珍しい選択だ。人を応援するってこういう気持ちなんだな、そんな気持ちになったことは今まであんまりなかったなと、自分で自分の行動の変化に驚いてすらいる。
とあるイベントに彼女が初出店した際、前日になってちょっとした問題が発生した。初出店ならそういうこともあるだろうというくらいに構えていた私は、いつものように本番までの残された時間を使って考えうる解決策を全部試してベストを尽くすことに意識を向けた。だがいろいろとアイディアを模索してそれを実行するあいだ、彼女はずっと口数が少なかった。「もしかして落ち込んでる?」と尋ねると、「そりゃ落ち込むよ。本当だったら私が完璧に準備できていなきゃいけないのに」と彼女は言った。それはプライドが高すぎるよと私が言うと、プライドが高いんじゃないのと彼女は答えた。彼女にはご離婚経験がある。当時の元旦那と義母からとにかく「完璧な妻であること」「完璧な嫁であること」を求められ、それができなくてひどい言葉や扱いを受けてきた、その時の経験がまだ尾を引いているのだという話を彼女はした。
生きている人間が生きている人間に完璧さを求めるのは傲慢だ。僕は完璧じゃないし、あなたも完璧じゃない。僕はあなたが完璧だから好きになったんじゃないんだよ。可愛かったり、面白かったり、素敵だったりするから好きになったんだよ。もしもあなたがなんでも完璧にできる悟りを開いたような聖人君子だったとしても、可愛くなくて面白くなくて素敵じゃなかったら全然好きにならないよ。僕は完璧なあなたじゃなくてあなたを愛しているんだよ。完璧じゃなくて可愛くて面白くて素敵なあなただから愛しているんだよ。あなたと一緒にいる時の自分のことも好きだから、あなたと笑っている時に心の底から笑えている自分のことも好きだからあなたを愛しているんだよ。
恋愛すれば喧嘩もする。僕たちもこれまで数え切れないくらいすれ違って言い合ってきた。でもあなたと言い合って怒ったり悲しんだり傷付いたりしているあいだ、心のどこかでちょっとだけそれを楽しんでいる自分もいる。そうした感情の機微ややり取りを、正直ちょっと楽しんでいる自分もいる。だからどんな感情になったとしても僕は根本的にあなたといて楽しいんだよ。あまりにもお互い言ってることがわからなすぎて笑ってしまう瞬間もまた楽しいんだよ。普段あまり開放することのない感情のギアが、なぜだかあなたといると全開になるんだよ。感情曲線がジェットコースターみたいにカーブして、一か八か、天か地かの間合いまでググッと踏み込める瞬間が、僕にはちょっとエキサイティングだったりもするんだよ。
「どうして僕がここまであなたに協力したいと思えるのか、少しわかった気がする」
「それは由宇君の愛でしょ」
「それもあるけど、僕はこの地球の価値の総量を増やしたくて生きているんだ。そのためだったら、それが自分の事業だろうがあなたの事業だろうが関係なく人生の限られた時間を惜しみなく使うことができる。あなたの仕事はこの地球に、価値をひとつ追加しているんだよ」
「そうかなあ」
「そう思ってやるんだよ。本当にそうなるから」
内なる声に聴いた「家」を、本当に見つけてしまうまでのお話
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