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幼い頃を振り返る

私は
兄ふたりの三兄妹の末っ子として
ミカン農家に生まれた

ミカン畑を駆け巡り
段々畑を飛びながら
男に生まれたかったと
常に思っていた

私を育てた祖母は
明治生まれの文学少女で
女性解放運動にあこがれながら
家の都合で農家に嫁いだが
「これからの女は職業を持ち
 男と同じように生きるべきだ」と
男に負けない人間になれと
常々私に言い育てた

私は
テニス、陸上、ダンスと
とにかく身体を動かすことが
大好きだった

父親は海軍兵あがりで
常に己に厳しく
母親は長崎の被爆者で
我慢を常としていて
私は末っ子でありながら
九州にありがちな男尊女卑の
甘えの許されない家で
自分と戦いながら育った

息子と家を出てからは
薄給の借金生活の中
ただただ頑張って息子を育て
やっと今幸せになったと
心からの幸せを感じていたのに
堪えられないくらいのこの腰痛で
老後の自分に不安を感じた

先週金曜日から痛み出し
土曜日にカイロプラクティックに行き
少しは楽になったので
昨日は普通に仕事に行ったが
夕方にはひどい痛みで
痛み止めを飲んだ

今朝も下肢の痛みが酷く
ついに仕事を休んでしまった

このままでは
痛みが治まりそうにないので
痛み止めと筋弛緩剤をもらおうと
口コミサイトで調べて
良さげな整形外科に
net予約して行った

腰椎に傷があることは
20代の頃からわかっていた

①10歳のとき
60キロの米袋を抱えようとしてぎっくり腰になった
②11歳のとき
兄貴の自転車で坂道を下っていてミカン畑に落ちた
③中学生のとき
痛みを堪えながらテニスの試合に出て腰痛が悪化した
④21歳のとき
アパートの階段を踏み外してむち打ちになった
⑤23歳のとき
3日連続で徹夜した朝右半身痺れて仕事場で倒れた
⑥53歳のとき
夜道で車にはねられて腰と首を強打した

とにかく怪我が絶えず
おまけに病気がちだったが
弱音を吐くなと言われて育ったので
根性でここまで乗り切ってきた

ところが

今日行った整形外科で
理学療法士さんから
背中に力が入り過ぎていると
もっと肩や背中の力を抜いて
背中を丸くして動くようにと
指摘を受けた

【背中を丸くする】というのは
  世間に負けている気がして
自分に許して来なかった(笑)
【力を抜いて歩く】というのは
  目から鱗だった(@ ̄□ ̄@;)!!

今日私は
長い間大きな間違いをしていたことに
気付いた

いかに自分が頑張り過ぎていたかと
もっと力を抜いて生きて良かったんだと
思った

両親も次兄も他界したことだし
もう私を叱る人達はいないんだし
明日からは仕事でも家でも
力を抜いて生きて行こうと決めた
    (((o(*゚▽゚*)o)))

そうすることで
息子にも厳しくしなくなるような
そんな気がしてきたヾ(*´∀`*)ノ



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