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自分の機嫌をとる技術 坂口恭平『躁鬱大学 気分の波で悩んでいるのはあなただけではありません』

はじめに 

 知り合いに双極性障害の方がいる。打ち明けてくれるまで気がつかなかったというよりかは、双極性障害についてあまりにも知らなさすぎたので、気のつきようがなかったのだった。インターネットで調べているうちに、なんだかかわいい表紙の本に出会った。こんなことが書かれていた。


 躁鬱は治すべき病気ではありません。それは、あなたのいちばん素直な体の状態のことを指してます。
 坂口恭平『躁鬱大学 気分の波で悩んでいるのはあなただけではありません』,新潮社,p243

 
 坂口恭平『躁鬱大学 気分の波で悩んでいるのはあなただけではありません』。noteに連載していたものを書籍化したものらしく、調べてみたら数回分の記事が上がっていたので、興味があったらそちらを読まれるといいかもしれいいかもしれません。
躁鬱病、いまは双極性障害と呼ばれている症状は、気分が極端に上がったり(躁状態)下がったり(うつ状態)するもので、本の中ではだいたい100人のうち一人ほどいると書かれている(今回は本書にのっとって「躁鬱病」、「躁鬱人」と記載します)。

本書の特徴 外側と内側

 本書の特徴は、躁鬱病の著者が当事者の視点で語りつつも、精神科医の神田橋條治先生の『神田橋語録』を参考にして書かれているところだ。
 医者やカウンセラーなど外側の視点で語っているのではない一方で、まったく内側の視点から語っているわけでもない。たぶんどちらにもよいところはあって、第三者からのアドバイスは思いがけないことが学べるし、当事者だから語れることもある。大事なのは、そのどちらにも偏らないことだ。
 本書はその点うまくできていて、『神田橋語録』(教科書と呼ばれている)の言葉から自身の経験を語る体裁に(結果的に?)なっているのでバランスがよく、本書でいう「非躁鬱人」の私にも理解できる内容になっている。

心もからだもやわらかい躁鬱人

 本書を読んでよかったのは、知り合いの人が見ている・感じているであろうことが、自分とはぜんぜん違うと知れたことだった。
 知り合いの言っていることを言葉のうえではわかっても、「それってこういうこと?」と返すと「違う……」みたいな反応をされていたので、読んでいる最中に「なるほど!」と膝をたたいた(心のなかでね)。
 この本が躁鬱病の人すべてにばっちり当てはまるということはないのだろうけれど、それでも参考になる。
 たとえば、

 不正を見つけると、つい怒ってしまう。ただ、躁状態のときは、本人は怒りだなんて思っちゃいません。不正をただそうとしているんですから、「当然のことだ」「むしろ正義だ」と思っています。いや、思い込んでます。しかし、思い込んでいることに気づけません。(同上p18)

 私はけっこう鈍感というか、いろんなことに「まあ別にいいんじゃないか…」とおもってしまう適当人間なので、この箇所を読んで「そんなことがあるのか」とおどろいた。
 また著者は「躁鬱病の人は心が柔らかく傷つきやすい」という神田橋語録を受けて「家族と他人の境なく人助けをする」体験を語る。人のためにいろいろと行動してやり過ぎてしまうし、同時に周りからの何気ない一言に傷ついてしまう躁鬱人は、心もからだもやわらかい。いろいろなことに興味が移り、飽きっぽく、中途半端になってしまう彼らは、非躁鬱人のように生活できないことで落ち込んでしまうという。

ゆるみのない帝国

 読み進めるうちに、ふと『ノルウェイの森』に出てくる直子の言葉をおもいだした。彼女が精神を病んで入院した病院から主人公へ送った手紙に、こんなことが書かれている。

 ここにいる限り私たちは他人を苦しめなくてすむし、他人から苦しめられなくてすみます。何故なら私たちはみんな自分たちが『歪んでいる』ことを知っているからです。そこが外部世界とはまったく違っているところです。外の世界では多くの人は自分の歪みを意識せずに暮らしています。でも私たちのこの小さな世界では歪みこそが前提条件なのです。
               村上春樹『ノルウェイの森』講談社,p182

 私たちは多かれ少なかれ歪んでいるが、非躁鬱人は自分の歪みをそれほど意識しない。なぜなら、いまの社会の大枠が非躁鬱人であることを想定して設計されているからだ。著者のいうところの「少数民族」である躁鬱人は、自らの歪みに直面せざるを得ない機会が多いし、結果委縮してふさぎ込んでしまうことが多いという。
 そのため著者は「いやなことはしない。心地いいことを求めてふらふら動く」ことを推奨している。ただこれについては大原扁理さんもおなじことをいっているように、躁鬱人だけでなくすべての人に必要なことだとおもう。現代の日本では、誰であっても自分のおもった通りに素直に行動するのがむずかしくなっているのだ。非躁鬱人のつくったゆるみのない帝国は、彼ら自身をも苦しめている。

おわりに 自分の機嫌をとるための技術

 本書を読んで、躁鬱人が問題であるというよりかは、躁鬱人をのびのび生きさせないようにしている社会のほうが問題なのではないかと「非躁鬱人」の私はおもった。「成熟した社会は、少数者を排除するのではなく包摂する社会だ」とどこかで聞いたけれど、いまの日本がそうなるにはだいぶ時間がかかりそうだ。ならば自分でどうにかするしかないのだろう。
 その意味でも、本書であげられている「時間割を決めて行動する」「資質に合わない努力はしない」「「自分とはなにか?」ではなく「いまなにがしたい?」と聞いてみる」などのアイデアは、躁鬱人/非躁鬱人の区別なく、いまの時代に生きる人たちが自分の機嫌をとるために必要な技術だとおもう。躁鬱人でもそうでなくてもどこかに発見があるとおもいますので、よかったらぜひ。



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