戦後教育を斬る!!(憲法夜話2)11
アメリカも戦慄した日本兵の強さ
アメリカの教育では、アメリカ人としてのアイデンティティを持たせることに最大の努力を傾注する。
すなわち、アメリカ独立宣言に象徴されるアメリカン・デモクラシーの思想を子どもたちに植え付け、同時にアメリカこそ「民主主義の栄える国」であるというイメージを子どもに定着させる。
この目的達成のためには、数学や英語のカリキュラムが遅れてもかまわないとさえ考える。
戦前の日本が行なった教育は、まさにこのアメリカ教育と共通する。
独立宣言を教える代わりに教育勅語を以て「臣民は平等である」という思想を植え付け、神話教育を通じて、「日本は特別な国である」というプライドを持たせる。
その目的は、日本をアメリカやヨーロッパに負けない近代国家にすることであった。
日露戦争の勝利に象徴されるように、戦前日本の教育は見事に成功した。
明治が終わり、大正に入ると日本では「民本主義」が力を持つようになった。
民本主義とは天皇の下における民主主義という意味である。
議会ではさかんに論戦が行なわれるようになった。
これもまた教育の賜物と言えるであろう。
さらに、この教育の力は昭和になっても、衰えなかった。
日本軍と戦ったアメリカ軍は、日本兵の勇敢さに旋律した。
たとえば、硫黄島(いおうとう)の攻略でアメリカ軍はたちまち二万人を超える損害を出した。
硫黄島の戦いというと、日本軍の玉砕を思い浮かべがちだが、
一方のアメリカ軍もまた大きく傷ついた。
アメリカ国内には、これを見て「もう戦争はたくさんだ」という講和論も生まれたほどだった。
戦争末期、もし日本が降伏せず、米軍が日本に上陸する羽目になったとしたら、アメリカは100万人の若者を失うだろうと米軍は予測した。
100人ではない!!100万人である!!(笑)
もし、そのようなことになれば、はたしてトルーマン政権はどうなったか分からない。
民主主義のアメリカでは、たとえ戦時下の大統領といえども世論には勝てない。
ベトナム戦争におけるアメリカ側の戦死者・行方不明者は6万人弱であった。
6万でも全米に反戦運動が起きたというのに、どうして100万人の戦死者にアメリカ人が耐えられるだろうか。
もし、本土決戦になろうものなら、アメリカ側の方から講和を持ちかけていた可能性だってあった。
かつてアメリカが戦った中で、日本兵ほど手強い敵はいなかった。
それもこれも、すべては戦前の教育によるのである。
「敗戦国の逆襲」を防ぐ最良の方法とは?
アメリカが最も恐れていた本土決戦をすることなく、日本は降伏した。
だが、それでアメリカの心配はなくなったわけではない。
というのも、戦敗国が戦勝国にリターン・マッチをする。
これが歴史の通例だからだ。
いや、それを通り越して歴史の法則と言っても、あながち大げさではない。
ことに、負けた側が強い国であったら、なおさらのことである。
たとえば、フランスとドイツの確執はその典型例である。
1805年、アウステルリッツの三帝会戦(フランス対オーストリア=ロシア連合軍)で勝利を収めたナポレオンが次の標的に定めたのが、フリードリッヒ・ウィルヘルム3世のプロイセンであった。
プロイセンはロシア、イギリスなどを誘って第四回対仏大同盟を結成し、25万の兵力で13万のナポレオン軍と戦うことになった(1806年)。
ところが、この大軍もナポレオンの天才的な用兵にとって敵ではなかった。
イエーナ、アウェルシュタットの両会戦でプロイセン軍は粉砕され、ナポレオンにベルリン入城を許すことになった。
プロイセンはこの屈辱をけっして忘れることはなかった。
プロイセンではこの大敗をきっかけに軍制や教育制度改革が行なわれることになるのだが、これらの改革の根底にフランスに対する復讐心があったことは言うまでもない。
それから半世紀余り後、ついにはプロイセンはフランスへの復讐を成し遂げる。
普仏戦争である(1870〜71年。普とはプロイセンのこと)。
セダンの戦いで、ナポレオン3世のフランス軍は完敗を喫した。
プロイセン軍は威風堂々、パリに入城し、プロイセン王のウィルヘルム1世はベルサイユ宮殿「鏡の間」でドイツ帝国成立を宣言したのである。
この様子をみたフランス国民が内心どのような思いを抱いたかは言うまでもないだろう。
それから40余年、1914年に第一次世界大戦が勃発すると、今度はフランス人が猛然とドイツに反抗した。
敗れたドイツに対して、フランスは巨額の賠償金を要求した。
ドイツ経済は以後、塗炭の苦しみを味わうことになった。
ドイツ軍は解体・縮小された。
「憎きフランスよ、今に見ておれ」。
この感情をうまく利用して登場したのがヒトラーである。
ヒトラーはドイツ国民を鼓舞し、再軍備に踏み切る。
そして第二次世界大戦でパリに入城し、ドイツ人は復讐の成就に歓喜の涙を流した。
かくのごとく、戦争は次の戦争を呼び、その戦争がまた次の戦争を呼ぶ。
日本が敗戦したとき、アメリカの指導部が恐れたのはそのことであった。
徹底した無差別爆撃によって日本の産業は壊滅状態になった。
日本軍は解体された。
だが、それだけでは安心できない。
何しろ日本人ときたら、開国から一世紀も経たないうちに世界有数の大国になったほどの連中である。
放っておけば、日本人はかならずや経済を復興させ、再軍備に踏み切る。
そして、わがアメリカに襲いかかるに違いない。
この事態を未然に防ぐにはどうしたら良いか?
日本による対米報復戦を防ぐ「絶対の方法」がないわけではない。
それは日本人をまるごと絶滅させることである。
そこまでやるのが面倒だったら、日本民族を奴隷にしてしまうのも悪くない。
要するに日本という国家を消滅させてしまえば良い。
そうすれば報復される危険はなくなる。
これこそ究極にして、絶対安全の策である。
つづく
※ この記事は日々一生懸命に教育と格闘している現場の教師の皆さんをディスるものではありません。
【参考文献】『日本国憲法の問題点』小室直樹著 (集英社)
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