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酒見三国志といしいげんじ―既成世界を破壊する語彙選択

前回、語彙で物語世界を築き上げる作品(「図書館の魔女」「十二国記」)について書いた。
(恐るべきことに、高田大介先生の公式アカウントから、ツイッター上で「いいね」をいただいてしまっている……はわわわわ)
 
今度は逆に、あえて世界観をぶち壊す言葉を使って類まれな効果をあげている本の話をしたい。
 
まずは酒見賢一「泣き虫弱虫諸葛孔明」
 中国のメガヒット歴史大作「三国志」を酒見節で楽しめるご機嫌なシリーズだ。

タイトルからしてふるっている。「三国志」というワールドクラスのお化けコンテンツに殴り込みをかけるというか、関節技キメたれ、的な気概がビシビシ伝わってくる。

これらもあくまで氷山の一角、サンゴクシシャンですら迷宮に入って出てこられなくなるような『三国志』世界が東京の有名ゾーン、アンダーグラウンドやネットに存在しており、しかも日々増殖中なのである。もはや『三国志』研究者は、文字や絵にされて公表されたものだけを取りあげておればそれですむというような平和な状態ではなくなっていることに気付くべきと言えよう。巨大な『三国志』複合体(コンプレックス)は生き物のように蠢きつつ、さらにマルチプルに身を膨らませている。

泣き虫弱虫諸葛孔明 第参部 p.26

これが第参部の導入からの抜粋である。サンゴクシシャンか……
現代日本における『三国志』世界の広がりについての文章だが、酒見版三国志は本編もこのノリで進む。

三国時代の中国世界は大方の読者の脳内にできあがっているが、それをば現代語をバンバン入れて積極的にぶち壊していく。めちゃくちゃ愉快痛快な読み口になっている。

夏口につくられた仮本営では三日三晩を越して記録更新中のぶっ通し宴会が、耐久レースであるかのように行われている。脱落者が次々に出るなか、狂宴はヒートアップしてゆき、最後の一人が觴(さかずき)を持ったままげろを吹き出しつつ気絶するまで終わらない。なぜそこまでしなければならないのか、誰にも分からない。

泣き虫弱虫諸葛孔明 第参部 p.27

適当に選んだ箇所でもコレである。この2ページあとには劉備が「皆の者、ご唱和ねがおうぞ! 一、二、三、ダーッ」と叫ぶ。猪木やん。
 
酒見さんはわざわざカタカナ語や現代語を多用することで、本家「三国志」との距離を取りながら、読者の現在地と「三国志」世界をつなげるという離れ業を見せている。もはや私も自分が何を言っているのかわからないが。
 
このように、古い時代の、人口に膾炙した物語を現代語で語りなおす際に、わざわざ世界観にそぐわない語彙・言い回しを多用する小説群がある。
 
いしいしんじ「げんじものがたり」などはこのジャンルの大傑作だと思う。
初出が「京都新聞」。媒体からして期待大である。

 どちらの帝さまの、頃やったやろなあ。
 女御やら、更衣やら……ぎょうさんいたはるお妃はんのなかでも、そんな、とりたててたいしたご身分でもあらへんのに、えらい、とくべつなご寵愛をうけはった、更衣はんがいたはってねえ。
 宮中で、フン、うちがいちばんに決まったあるやん、て、はなっから思いこんだはった女御はんらみんな、チョーやっかんで、邪魔もん扱いしはるん。

「げんじものがたり」p.9

京都のギャルのマシンガントークを聞いているような気分になる(聞いたことないけど)。いや、そうなのだ。「源氏物語」は京の都のイケイケな(死語)女房がおしゃべりしている物語だったのだ。

「女子でね、この子はもうピカイチ、文句なし、120点、みたいな子ぉってマジ、未確認動物(UMA)並にレアなんやて、ようやっとわかってきましてん。ただ、うわっつらの雰囲気だけで、サラサラ字ぃ書いたり、その場のやりとりだけ上手につくろうたり、それくらい、それなりの身分の女子やったら、まあまあ普通にやらはりますわ。けどね、そういう方面でほんまにスゴイ子ぉて、さて、誰や、て選ぶ段になったら、満場一致で手ぇがあがる女子て、なーかなかいたはらへん。」

「げんじものがたり」p.33-34

めっちゃスラスラ入ってくるやん。ラノベか、いう。
 
でな、こうして現代語になってみるとな、光君のダメ男っぷりが、あっりえへんくらいにあからさまになるねん。
マジこいつ、チャラ! 無責任! て。
昔の女の人は本っ当にカワイソーやった。男に適当につまみ食いされて。ほっとかれて。待つしかできひんで。
日本だけやないと思いたいねんけど、ルッキズム、ちゅうの。平安の貴族らのルッキズムゆうたら、半端なかったんやなあ、て。光君って、ほぼ9割、ルックスで許されて愛されてんの。もちろん歌とか舞とか、知性や芸事のセンスのよさもあるけどな。とにかく、「えっらいご器量よし」で「目がつぶれそうなくらい男前」やいうのんが、一番やんか。もしこれが並みのイケメン程度やったら、当時の読者やった女房連中、許さへんかったんちゃう?
 
……などとエセ京ことばで感想を述べたくなってしまうくらい、この一冊は完璧に「翻訳」されている。大阪にいったら三日で大阪弁うつる、みたいなもので、一冊読み終えると誰でもこうなる(?)。
 
それはさておき。
「源氏物語」というと、日本の古典文学で、中学校で冒頭をわけわからんまま暗唱させられて、大学受験の古文で悩まされて、先生は現代語訳でもいいから読んでみろっていうけどそもそも長すぎるし、みたいな、「誰もがタイトル知ってるけどハードル高くて中身読んでない小説」の代表選手なわけだが、そのハードルを全部ぶち壊してみせたのがいしいしんじである。
 
それっぽい言葉、「角髪(みずら)」「脇息」「長押(なげし)」はきちんと使ったはるんよ? でもな、
「うーん、方違えか、マジかったるいなあ」……て調子なん。平安と平成(初出2017年)のハイブリッド。
長さ的にもな、「きりつぼ」から「あふい」で区切って一冊になってんの、ちょうどええ感じ。 

おもろいよ、としか言いようがなくてまとまらない。続編が出れば必ず読む。


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