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ビル・ゲイツのおすすめ本がピンと来なかったので理由を考えた(植田かもめ)

植田かもめの「いま世界にいる本たち」第15回
"Upheaval: Turning Points for Nations in Crisis"
(大変動:危機にある国家のターニングポイント)
by Jared Diamond(ジャレド・ダイアモンド) 2019年5月出版

ピュリッツァー賞を受賞した大名著『銃・病原菌・鉄』。その著者であるジャレド・ダイアモンドの新作が、本書"Upheaval"(大変動)だ。ビル・ゲイツも「2019年の夏のオススメ本5冊」に選出している。

……が、正直言って個人的には、これは失敗作だと思う。ダメな本がダメな理由を考えるのも読書の楽しみのひとつなので、この記事では筆者がそう感じた理由を書く。

個人の危機と国家の危機

まず、どんな本であるかをざっくり紹介する。

本書は「危機」に瀕した国についてのケーススタディだ。取り上げられている事例はすべて近現代の19世紀以降の事例である。ソビエトと戦争して独立を保ったフィンランド、明治時代の日本、ピノチェトの独裁政権時代とその後のチリ、スカルノとスハルト時代のインドネシア、第二次世界大戦後のドイツ、そして建国から現代に至るまでのオーストラリア。

危機に瀕した国がそれをどう乗り越えたか。比較研究を行うためのフレームワークとして、ジャレド・ダイアモンドは「心理セラピー」を持ち出す。個人が危機にどのように対処するかの心理学の枠組みを、国家の危機にも適用しようとする試みだ。

この枠組みが、本書の最大の特徴である。そして、ミもフタもない言い方だけど、このフレームワークを使った分析に説得力がない。

“誇り”があれば危機に立ち向かえる?

最初の章で、ジャレド・ダイアモンドは自らが人生の危機を過去にどう乗り越えたかを語る。個人が危機に対処する際のフレームワークを説明するためだ。世界的に著名なベストセラー作家であり学者である御年81歳の人間のプライベートによっぽど興味がある人なら、楽しんで読めるかもしれない。

そして、次の章から上述した各国の事例紹介が始まり、各章の最後で、「国家の危機に関する12の要素」とジャレド・ダイアモンドが整理した枠組みを適用する。具体的には、「1.危機にあるという国家的な合意があること」「2.何かをやらなければならないという責任を受け入れること」といった12の要素を挙げて、各事例がどの要素を満たしていたかを検証する。

けれども、この要素に主観的なものが多く、各事例が要素を満たしていたかの検証も主観的と言わざるを得ない。

たとえば危機に対処する要素のひとつに「ナショナル・アイデンティティ」の存在を挙げている。その国を特徴づける言語や文化や歴史が、市民に共有されることが、危機に立ち向かうために重要なのだ、と。たとえばチリがピノチェト軍事政権下での17年におよぶ抑圧から立ち直れたのは、「チリは他のラテンアメリカ諸国とは違う」という誇りがあったからだと本書は語る。その「誇り」とやらがあった根拠は、驚くことに「私のチリ人の友人がそう語っていたから」だという。ジャレド・ダイアモンド大先生のお友達の発言であれば、国家の代表的な意見に違いない、と読者は思うべきなのだろうか……。

そもそも、本書が挙げる12の要素が、国家が危機に立ち向かうための十分条件なのか必要条件なのかも結局あいまいだ。「ナショナル・アイデンティティ」が危機に立ち向かう条件ならば、第二次世界大戦時の日本も、本著が詳述する明治時代の日本と同様に「ナショナル・アイデンティティ」の塊だったと思うのだが、なぜ危機を乗り越えられなかったのだろうか。

ジャレド・ダイアモンドの魅力は「ステレオタイプからの脱却」だったはず

さて、ジャレド・ダイアモンドのこれまでの著作の魅力は何だったか。

それは、政治的なイデオロギーや偉人たちの物語を軸に語られることが多かった歴史を、環境要因の視点から語り直した点ではないだろうか。

銃・病原菌・鉄』では、世界の文明や生活水準に格差が生まれたのは、人種間の生物学的な差異ではなく、置かれた環境の差異によるものだと主張して、生物地理学や農作物の遺伝学や疫学といった観点から人類史を統合しようと試みた。

続く『文明崩壊』では、たとえば特定の戦争によって滅んだ社会があったとしても、究極の要因はそこに至るまでの気候変動や近隣の敵対集団との関係などの変化にあったのではないかという考察を行った。

それなのに、心理セラピーの適用と称する本書のフレームワークは、まさに政治的なイデオロギーを軸に歴史を語っている。

それが最も現れているのは本書の後半だ。ジャレド・ダイアモンドは過去の歴史だけでなく、現代の日本とアメリカの「危機」にも同じフレームワークを適用する。そして日本の戦争責任に対する姿勢や移民政策を批判する。

さらにジャレド・ダイアモンドは、彼のフレームワークにある「正当な自己評価をすること」を日本ができていない例として、「(太平洋戦争で)原爆が投下されなければさらに多くの犠牲者が出ていたかもしれないのに、日本は自らを被害者と見なしている」ことを挙げる。別の章では「人類レベルの危機」として核兵器の管理の問題を挙げているのに、である。

この「原爆が戦争の終結を早めた」という見方は典型的なアメリカから見た歴史観だ。こうしたひとつの国からのステレオタイプな視点を離れて、人類史的な見方をすることが、ジャレド・ダイアモンドの著作の魅力ではなかったのだろうか。

ジャレド・ダイアモンド著"Upheaval"は2019年5月に発売された一冊。なお、『銃・病原菌・鉄』や『文明崩壊』の続編ではなく、地理と歴史と政治についてのエッセイとして、つまり司馬遼太郎の『街道をゆく』みたいなものとして読めばとても面白い本であることを最後に付け加えておく。原著、あるいは日本語版が出版された際にはぜひご一読して確かめていただきたい。

執筆者プロフィール:植田かもめ
ブログ「未翻訳ブックレビュー」管理人。ジャンル問わず原書の書評を展開。他に、雑誌サイゾー取材協力など。ツイッターはこちら

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