【読書メモ】『「教養」を最強の武器にする読書術』(著:樋口裕一)
息子も大学の授業が始まり、それなりに忙しくしているようです。1-2年のうちは一般教養の授業もそれなりに入ってくると思うのですが、リビングに微分積分の教科書とか転がってました、、未知の世界です。その他、語学や経済学っぽいものもあり、なんだか楽しそうだなぁ、とも見ています。
個人的には、留学まで視野に入れているのであれば、特に「自国の歴史」については一通り留学先でも説明できる位の知識は入れておいたほうが、なんて風にも思います。
できれば、欧米社会では一般教養の範疇に入ってくる(らしい)、古代ギリシャ・ローマ関連のトピックと比較できる雑学レベル位には、なんてことを考えながら思い出したのが、『「教養」を最強の武器にする読書術』との一冊。
「教養」、本書を手に取ったころには「地頭」なんて言葉でも表現されることも多かった覚えがありますが、最近も似たようなものでしょうか。個人的に「価値観の多様性を認識すること」とは、なるほどなぁ、と思ったのを覚えています。あくまで認識、理解とのことで、(ボーンヘッドに)受け容れることではないことにもあわせて留意しておくべきとの点とともに。
教養はたくさんの価値に触れることで育まれる、ではその「多様な価値」に触れるための近道はというと、やはり読書は有効な手段の一つだよなぁ、と、個人的には。
多種多様に存在する「本」への触れ方を知り、推測し、そして(自分と異なる考えでも)許容することが大事ですよと、そういった意味での「読書が知の座標軸を作る」とは、ストンと肚落ちしてきました。
そして、まずはノンフィクションから入りましょうというのも興味深く。
「環境」「日本文化」「政治」「ポストモダン」
「歴史」「哲学」「人権」「宗教」「心理」
「日本語」「自然科学」「自己啓発」
と、12分野に分けた上で、それぞれはじまりの一冊を紹介しています。そういった意味では、ある種のブックガイド本としても位置付けられるのでしょうか。
で、ノンフィクションを踏まえた上で、フィクション、、「文学(物語)」に突入していくのがよいのではと。これは根底に「(文学は)教訓的に読まない」のが大事との思いもあるのでしょうか、ようは「現実と空想は区別しましょうね」とのことですかね。どこぞの「本(文化)を焚し続けている」クレーマーに投げつけてやりたいものです。
なにはともあれ、文学(物語)を、心の赴くままに書き手の想いをすくい上げ、浸っていく。この基盤になるのは、ノンフィクションから得られる知識なのだろうなぁ、、とも感じています。
その上で興味深かったのは、日本と西欧の「物語」へのスタンスの比較でした。個人的には、西洋であればトールキンやムアコック、日本であれば漱石や太宰などの書籍を思い出しました、、鴎外とかもかな。
好きこそなれの、とでもいいますか、自分が読みたいと思ったものを読むのが印象に残るのは確かですし、自分自身で何かの糧になると思えば良書でしょう、自分にとっての、、それこそ、ジャンルは何でもいいと思います、「乱読」は大事だなぁ、ともあらためて。
なんて見てしまうと、積読するも大事なんですよ、、と自己弁護もかねて。最近は図書館活用も深めているので、3桁は切っているはずです、、積(罪)読本。。
ちなみに本書とは書店をブラウジング中に出会ったはずです、確か。こういった出会いがあるからこそ書店巡りは、なんて最近では思えなくなりつつもあるのが悲しくもありますが。というのも、少し気になることがあり出先等での街の実店舗な書店を覗く機会を増やしているのですが、その成果はあまり芳しくはなく。
なんというか、店頭在庫がないだけならまだしも、検索端末にすら上がってこない店舗があったのには、正直、愕然としました。これって、自分自身に鎖を巻いていることにならないのかな、そりゃ、廃れていってもしまうわけです、言論がテロに負けてどうするのか、が、杞憂で終わることを祈りつつ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?