【読書メモ】『河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙』(著:河北新報社)
こちら、つい先日に拝読した『「正しさ」の商人』の林智裕さん(福島在住のジャーナリスト)がポストされていた内容で、河北新報の実際の社説も引用されておられます。
これが事実だとすると、さすがに酷い、、河北新報さんは東日本大震災とは飯のタネとしてしか向き合えなくなってしまったのかなぁ、と、なんとも残念な気持ちになってしまいました。
というのも、震災の年に出された『河北新報のいちばん長い日』という一冊ででは、被災した当事者の一人として震災と真摯に向き合っていたとの印象を感じたからです。確か、ハードカバー版が2011年10月発行、その3年後の2014年3月には文庫にも落ちてきています、3年越しのプラスアルファの記載とともに。
その内容は、東北に根差した地元の新聞『河北新報』さんが、自身も被災者の一人として東日本大震災と向き合っていく日々を綴ったルポルタージュ、私自身は2013年頃に図書館でハードカバー版と出会ったのですが、当時、何かに急き立てられるように読み進めたのを覚えています(今は文庫版を手元に置いています)。
徹頭徹尾「被災者に寄り添う新聞」であることを貫きながら、様々な視点での多重的な現地の取材状況が丹念に、当事者としての視点からも積み重ねられていて、重く心に響いてきたのを今でも覚えています。
焼け跡が存在しない「焼野原」
何も無いところから立ち上る「生の臭気」
空撮カメラマンの「後悔」
福島配属であった記者の「懊悩」
一つ一つの出来事が全て圧倒的な現実として迫ってきます。決して正解を一つに集約することができない現実として。情報を伝えるという事、事実を伝えるという事は、ジャーナリズムの本質なのだと、そんなことをあらためて感じさせられました。
ただ単に記事を書くだけが新聞の仕事ではない、情報を可能な限りに正確に伝えることが公益なのだ、と。そして、30年前の教訓を伝えきれなかったのではないかとの忸怩たる思いと、次の30年後に備えるために伝えていくとの、そんな覚悟の模索が痛いくらいに伝わってきました。
伝えていく使命と責任は報道機関だけに背負わせていいものではないのだろうと、「自助、共助、公助」との言葉と共に考えさせられましたし、また、地元に寄り添う「被災者の一人」としての決意が、どうすれば「わがこと」になるのか、なんて感覚と共に突きつけられたなぁ、なんて風にも覚えています。
そんな『河北新報』さんでしたが、被災者の一人として、「わがこと」として、地元・福島に寄り添っていこうとの気概は手放してしまったのでしょうか、、だとすれば非常に残念ですし、福島に根差す地方紙としての存在価値は無くなってしまったのではないかなぁ、とも思います。