普段、頑張っている自分は偉い【音声と文章】
山田ゆり
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今、「できない」と言って困っている人は、実はとてもラッキーなのです。
それは大きなビフォーアフターが望めるからです。
例えば整理整頓の例でお伝えします。
Aさんの机にはクリアファイルで分類された書類が山積みされています。
その高さは大人の身長よりも高く積まれています。
Aさんの背中には天井までのロッカーと隣には窓があります。
その窓の手前にも段ボールに入った書類が何段にも重ねられています。
その山はどんどん増えて行きました。
机の上のクリアファイルがドドーッと音を立てて崩れてきて、Aさんはそれを拾い上げてまた机の上に積み直します。
自分の椅子に座るとAさんの姿は見えずいるのかいないのかは覗き込まないと分からないです。
椅子までの僅かな距離は両側に積まれた書類があり、まるで雪の回廊を通っているような圧迫感をいだきます。
その通路の入り口あたりには一年中、扇風機が置いてあります。その扇風機の羽はグレー色です。でもよく見ると、埃が数ミリ溜まっていて、元々は透明な羽なのです。
また、椅子の隣にはいつもゴミ袋があります。ごみ箱ではなくゴミ袋があります。不要な紙ごみをその袋に入れて、その袋がいっぱいになるまで椅子の隣に置いています。
その袋がいっぱいになるまでそこにあり、満杯になってそのゴミ袋をゴミに出すと、また新しいゴミ袋を椅子の隣の床に置いています。
だから、ずっとゴミ袋の隣で仕事をしています。
また、背中の方に積んである書類の上に、出かける時に切るジャンバーを広げてかけています。おそらく、書類を見られたくないのでしょう。
社内はそれぞれが整理整頓していますが、Aさんのスペースだけは、険しい山のようになっていて、不穏な「気」が溢れているような気がします。
Aさんはその状態を恥ずかしいとは思っていないようでした。
社内の人が傍に来て話をする時もAさんは堂々としています。だからAさんにとってこの状態は普通で、ご自宅もこれと似たような状態なのだろうなと周りの人は想像していました。
Aさんのご自宅は足の踏み場もない「汚部屋」なのだろうなと思ってしまう。
しかし、ある日、来客がAさんに話しかけるためにAさんの机のところに寄って来ました。
いつも通りまっすぐ面談室に向かわれるものだと思っていたAさんは「すみません、あちらでお話をしましょう。」と話を遮り、お客様を面談室に誘導したのです。
異様な島になっているAさんの周りですが、社外の人には見られたくないという恥じらいはまだ持っているのだと、その時周りの人は分かりました。
Aさんのごみの山は減ることはなく、周りは既に諦めていました。
しかし、ある時から少しずつAさんの周りが変わってきたのです。
Aさんの不要な書類を捨てる人員(Bさん)を会社はあてたのです。
会社のシュレッダーは壊れたままで使えません。
Bさんは椅子に座りながら、書類を手で破っていきます。ずっと、ずっとただ破っていきます。用意したゴミ袋はすぐにいっぱいになりました。
また、必要なデータは破る前にスキャンしてデータとして残すようにAさんから指示をされたようで、書類を破っている音がない時は、複合機でスキャンをしている音が事務所内で続いています。
Bさんは一日中、書類の廃棄処分だけのためにいます。
そして、Aさんの書類は少しずつ少なくなっていきました。
数日たった時にAさんの周りを見て、ハッとしました。
勿論、まだ書類は山のようにあるのですが、壁面の窓が見えるようになっていたのです。
数年来見たことが無かった窓が現れ、周りの人の心を打ちました。
それはある意味感動でした。こんなに変わったのか。
周りの人たちは、その変化したAさんに感動しました。
しかし、その時、分かったことがあります。
Aさんの机周りは少しずつ変化している。それは感動に値することかもしれない。
しかし、片付けることをずっと放棄していた人が何年も人に不快感を与えるなどの迷惑を掛けていたのである。
その数年間のAさんの状態を忘れて、今、変化をしているAさんを礼賛するのはおかしいと思うのです。
普段、綺麗にしている他の真面目な方々の行いが評価されていません。
嫌なことでもコツコツと続けている、「普通の人」が評価されず、ずっと悪態をついていた人が重い腰をやっと上げ、大きな変化を遂げたからその人を称賛するのは、おかしいとは思わないだろうか。
「昔はこんなことができずにいた私が、勇気を出して、今、出来るようになりました」
よくある話である。
勇気を出して変われたのは素晴らしい。
でも、その人が勇気を出さずにいた当時に、ちょっとした勇気を出してやってきた大勢の人たちがいるのである。
その時に勇気を出してやった人たちは「普通の行い」として評価されず、相当の期間、勇気を出せなかった人が今、「凄い人」と称賛される。
つまり、普段真面目に頑張っている人を誰も評価しないのである。
ビフォーアフターの差が大きければ大きいほど、人は感動する。
しかし、そのビフォーの時に頑張っている人はたくさんいるのです。
普段、ちょっとした勇気を出して頑張っている自分を自分で褒めよう。
※note毎日連続投稿1900日をコミット中!
1803日目。
※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。
どちらでも数分で楽しめます。#ad
普段頑張っている自分は偉い
それは大きなビフォーアフターが望めるからです。
例えば整理整頓の例でお伝えします。
Aさんの机にはクリアファイルで分類された書類が山積みされています。
その高さは大人の身長よりも高く積まれています。
Aさんの背中には天井までのロッカーと隣には窓があります。
その窓の手前にも段ボールに入った書類が何段にも重ねられています。
その山はどんどん増えて行きました。
机の上のクリアファイルがドドーッと音を立てて崩れてきて、Aさんはそれを拾い上げてまた机の上に積み直します。
自分の椅子に座るとAさんの姿は見えずいるのかいないのかは覗き込まないと分からないです。
椅子までの僅かな距離は両側に積まれた書類があり、まるで雪の回廊を通っているような圧迫感をいだきます。
その通路の入り口あたりには一年中、扇風機が置いてあります。その扇風機の羽はグレー色です。でもよく見ると、埃が数ミリ溜まっていて、元々は透明な羽なのです。
また、椅子の隣にはいつもゴミ袋があります。ごみ箱ではなくゴミ袋があります。不要な紙ごみをその袋に入れて、その袋がいっぱいになるまで椅子の隣に置いています。
その袋がいっぱいになるまでそこにあり、満杯になってそのゴミ袋をゴミに出すと、また新しいゴミ袋を椅子の隣の床に置いています。
だから、ずっとゴミ袋の隣で仕事をしています。
また、背中の方に積んである書類の上に、出かける時に切るジャンバーを広げてかけています。おそらく、書類を見られたくないのでしょう。
社内はそれぞれが整理整頓していますが、Aさんのスペースだけは、険しい山のようになっていて、不穏な「気」が溢れているような気がします。
Aさんはその状態を恥ずかしいとは思っていないようでした。
社内の人が傍に来て話をする時もAさんは堂々としています。だからAさんにとってこの状態は普通で、ご自宅もこれと似たような状態なのだろうなと周りの人は想像していました。
Aさんのご自宅は足の踏み場もない「汚部屋」なのだろうなと思ってしまう。
しかし、ある日、来客がAさんに話しかけるためにAさんの机のところに寄って来ました。
いつも通りまっすぐ面談室に向かわれるものだと思っていたAさんは「すみません、あちらでお話をしましょう。」と話を遮り、お客様を面談室に誘導したのです。
異様な島になっているAさんの周りですが、社外の人には見られたくないという恥じらいはまだ持っているのだと、その時周りの人は分かりました。
Aさんのごみの山は減ることはなく、周りは既に諦めていました。
しかし、ある時から少しずつAさんの周りが変わってきたのです。
Aさんの不要な書類を捨てる人員(Bさん)を会社はあてたのです。
会社のシュレッダーは壊れたままで使えません。
Bさんは椅子に座りながら、書類を手で破っていきます。ずっと、ずっとただ破っていきます。用意したゴミ袋はすぐにいっぱいになりました。
また、必要なデータは破る前にスキャンしてデータとして残すようにAさんから指示をされたようで、書類を破っている音がない時は、複合機でスキャンをしている音が事務所内で続いています。
Bさんは一日中、書類の廃棄処分だけのためにいます。
そして、Aさんの書類は少しずつ少なくなっていきました。
数日たった時にAさんの周りを見て、ハッとしました。
勿論、まだ書類は山のようにあるのですが、壁面の窓が見えるようになっていたのです。
数年来見たことが無かった窓が現れ、周りの人の心を打ちました。
それはある意味感動でした。こんなに変わったのか。
周りの人たちは、その変化したAさんに感動しました。
しかし、その時、分かったことがあります。
Aさんの机周りは少しずつ変化している。それは感動に値することかもしれない。
しかし、片付けることをずっと放棄していた人が何年も人に不快感を与えるなどの迷惑を掛けていたのである。
その数年間のAさんの状態を忘れて、今、変化をしているAさんを礼賛するのはおかしいと思うのです。
普段、綺麗にしている他の真面目な方々の行いが評価されていません。
嫌なことでもコツコツと続けている、「普通の人」が評価されず、ずっと悪態をついていた人が重い腰をやっと上げ、大きな変化を遂げたからその人を称賛するのは、おかしいとは思わないだろうか。
「昔はこんなことができずにいた私が、勇気を出して、今、出来るようになりました」
よくある話である。
勇気を出して変われたのは素晴らしい。
でも、その人が勇気を出さずにいた当時に、ちょっとした勇気を出してやってきた大勢の人たちがいるのである。
その時に勇気を出してやった人たちは「普通の行い」として評価されず、相当の期間、勇気を出せなかった人が今、「凄い人」と称賛される。
つまり、普段真面目に頑張っている人を誰も評価しないのである。
ビフォーアフターの差が大きければ大きいほど、人は感動する。
しかし、そのビフォーの時に頑張っている人はたくさんいるのです。
普段、ちょっとした勇気を出して頑張っている自分を自分で褒めよう。
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