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『万の文反古』を読んで江戸時代とSNSを想う【井原西鶴】
図書館へ徒然草と方丈記を探しに行った際に、ついでだからとなんとなく手に取った本がある。
それがこちら↓
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『世間胸算用』、『万の文反古』、『東海道中膝栗毛』が一緒になったお得なセットみたいな本だ。
普段noteで旅行記事を読みまくりな自分だが、そういえば東海道中膝栗毛はしっかり読んだことがない事に気づき、借りる運びとなった。
でも今回紹介するのは東海道中膝栗毛ではなく、『万の文反古』である。
もはやタイトルをどう読むのかすらわからないが、一体どんな内容なのだろう?
さっそく読んでいこう。
ちなみに『万の文反古』は、『よろずのふみほうぐ』と読むらしい。
著者の井原西鶴によるこの本の序文はこんな感じ。↓
賢人の書いた名著と違って、世間の手紙というのは見苦しいものだ。
手紙を捨てるときには気をつけよう。
差出人の書いた見苦しい文章は、送った相手だけでなく、第三者にも知られることとなり、再度恥をかくのだ。
この前大掃除の際に出た反故紙(不要な紙)を買っていく人がいたのだが、その人は高津の里(大阪市天王寺区の北部)で美人人形を作っているらしい。
その人の家に積み上げられたクズ紙の中には、色々な人々の手紙が混ざっており、それを読んでみたら、人の心の動きがよく見えて興味深かった。
そう、この本は他人の手紙がたくさん載っている本らしいのだ。
そして「見苦しい」とまで言った他人の手紙を盛大に公開して恥をかかせようとしているのが井原西鶴なのだが大丈夫か?
こりゃ相当いい性格をしてそうだ。
だが考えてみれば、普通はそうそう読めないのが他人の手紙。
これは自分もちょっと気になるぞ……!!
では2つほど紹介しよう。
全部書いたら普通に長いので、手紙の内容だけ箇条書きしていく。
まずはとある兄弟間の手紙だ。
差出人は故郷大阪から江戸へ一攫千金を狙って飛び出した弟。
受取人は大阪にいる兄。
・弟は江戸へ飛び出して色々な仕事をやってみるも、上手くいかない。
・さらには江戸で結婚して子供まで産まれ、完全に生活苦に。
・ああ、大阪に帰りたいなあ……兄ちゃん、旅費をください!!
・江戸の嫁とは離縁して、子供と一緒に他へ引き取ってもらうから!
・とにかく自分は大阪に戻りたいんだ!だからどうか旅費を!!
・あと江戸での結婚は浮気じゃないです!相手は12歳も年上だし!!
く……クズ……!!
江戸に行って頑張ったけど商売が失敗してしまったのは仕方ないにしても、嫁と子供を捨てて自分だけ大阪に戻りたいというのはアウトだろう。
しかも最後に「浮気じゃない」とわざわざ釈明しているということは、そもそも大阪に妻がいたのに江戸へ飛んでいる……?
これは酷い。
そして手紙紹介のあとには、井原西鶴の感想文が入る。
この手紙の内容を見るに、この男は世帯を持ち崩して兄にも相談せずに江戸に行ったのだろう。
今は金が金を儲ける時代。
覚悟をもって家業に精を出すのが大事だ。
日本中の金銀が集まっている江戸から長々とお金を無心する手紙を送るのも兄弟の縁があるからこそ。他人には銭一文であっても無心は言いにくい。
世渡りは大事である。
なるほど。
世渡りは大事らしい。
でも結婚周りのクズさについての指摘は特にないんですね……。
(当時の妻や子供の扱いはそんなものなのだろうか?)
では次のお手紙。
差出人は人気の遊女。(太夫なので最高位)
受取人は遊女が駆け出しの頃から支えてくれていた客の男。
・酷い……手が震えて手紙も書けない……なんでこんなことするの……?
・あーもう死のう……私、今にも死にかねない女だよ?
・遊女だし他の客に尽くすことだってあるよ。仕方ないでしょ?
・あなたも他の子と遊んでたよね?知ってるよ。言わなかっただけで。
・田舎客に膝枕したくらいでそんなに怒るのはなんで?
・私はあなたのために【あれやこれや】したのに。こんな仕打ちは酷い!
・私人気だし、お金が欲しくてこんなこと言ってるんじゃないからね?
・返事ください。こちらは自害する覚悟があります。
・良い剃刀があるの……私が先に冥土で待っていても構わないよ……?
・はぁ…人気絶頂のうちに死ねるのもいいかも……神に感謝だ。
・今宵が明けた昼前までに返事をしてね? 七二サマへ。白雲より。
めちゃくちゃ病んでる。
江戸時代にこんなに仕上がった病み系が存在しただと……?
この手紙は、今や太夫にまで上り詰めた遊女が、かつて支えてくれた男に愛想を尽かされて病んでしまったという内容なのだ。
ちなみに井原西鶴の感想文はこちら↓
これは遊里での痴話喧嘩の文のようだ。
しかし太夫で白雲という替名(馴染客にだけ分かる名前)とは誰のことだろう?
流行らないときに捨てられて命を断つ女郎はいても、人気が出てから死のうというのは遊女にしてはしおらしいことだ。
我も人もそうだが、女郎の体に疵(きず)をつけさせて、別れるときには必ず始末がつかないことになるもの。これは浮気心のせいである。
そもそも遊女は他の客に勤めて当然の存在なのだから、それを批判するのは不要というものだ。
「七二」という客がどこの九兵衛か九右衛門かは知らないが(7足す2は9なので替名に使ったのだろう)、手紙から本名がバレなくてよかったな。
なんだかあれこれ遊郭知識が手に入る感想文である。
遊女には馴染客だけにわかる名前というのがあるらしい。
そして西鶴は一体どこの店の人物なのか思案しているようだ。
(これは手紙なので実際に書いた人が存在するはずなので)
「九兵衛だから七二(しちに)と名乗ったんだろう」と西鶴が考えたのもなんだか面白い。
当時の人々はそういうちょっとひねりの効いた替名(偽名)を使って遊郭を利用していたのだろうか?
そういえば手紙の要約部分では【あれやこれや】で誤魔化したが、どうもこの時代の遊郭遊びでは遊女に対して肉体にダメージが残ることをやっていたらしい。
例えばこの太夫に入れ込んでいた男は27歳だったらしく、
太夫の肘に自分の名前の入れ墨を27個入れさせたり…… (えっ…?)
あとはその……指とか爪とかを……
更にはよく熱したキセルで女性のふとももを……
・・・
(この時代ヤバくないか?)
でも皆さんには衝撃の事実を告げなければならない。
……実はこの手紙、
井原西鶴による創作である。
そう、これは『他人の手紙を読んでみた』という体の書簡体小説なのだ。
まあそれを知ったときは、興ざめにも程があったよね……。
序文とかあれは何?
大掃除で美人人形の作者の家がうんたらかんたらとか言ってたけど…
ああ、リアリティを出すための仕込みパートか。
そうか……
そして創作であるという事実を知って再度見てみると、手紙紹介のあとに西鶴の感想を書いているのが最高にマッチポンプだったことに気づく。
この手紙を見るに、家業に精を出すのは大事で、世渡りは大事だなと…
……いや手紙書いたのあんただろと。
まるでSNSでの『都合のいい作り話から持論を展開する行為』を見ているかのようだ。
遊郭の手紙の感想なんてどんな顔をして書いていたのだろうか。
「七二」という客がどこの九兵衛か九右衛門かは知らないが(7足す2は9なので替名に使ったのだろう)、手紙から本名がバレなくてよかったな。
「確かに本名載ってたら大問題だったよなー!」と、納得してしまった自分がバカらしくなってくる。
……いや、これも西鶴のリアリティの追求による効果なのだ。
騙された自分が悪い!!
そして西鶴がすごい!!
だがしかし、井原西鶴に文句を言うのはお門違いかもしれない。
実は『万の文反古』は、西鶴の弟子が遺稿を集めて出した本の一つなのだ。
なので西鶴自身は、「さすがに他人の手紙を装うのはアレか…?」とか思って出さないでいた可能性もあるかもしれない。(ないかもしれない)
結果として「万の文反古」は創作だったものの、実際にやりとりをした書簡をまとめた本はあれこれ出版されている。
ちょうど最近聴いていた映像付きポッドキャスト、「ゆる哲学ラジオ」で紹介されていた『ライプニッツ−アルノー往復書簡』では、天才同士の煽り合いが楽しめるそうだ。
他にも夏目漱石の手紙をまとめた本なんかもあったりするようなので、そのうち機会があれば手に取りたいなと思う。
なお、現代で他人の手紙を晒す書籍なんてものを出すと、「プライバシー権」やら「著作権」の絡みで厄介なことになるかもしれないので気をつけよう。
そしてこんな紹介の仕方をしているが、万の文反故は『色々な市井の人々の心情や背景を一通の手紙から読み取れる名作短編集』みたいな感じで高く評価されているものらしいので、誤解なきよう。
(本物の手紙集だと思ってた自分が興ざめしたのは事実だけど…)
そんなわけで、何十年も生きてきたのにタイトルすら知らない古典も世の中にはまだまだたくさんあることをあらためて実感した。
一生かけてもその全てを楽しむことは出来ないのだろう。
少し寂しくもあり、恵まれてるなぁとも思う。
これからも興味の赴くままに本を読んでいこう。
そして、古典の翻訳者に感謝を!
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