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遠回りのような近道

社会的成功、経済的成功が
物理的に「成功」だと心のどこかで思ってた。
何者かになれる日が来るのを待ち望んでいた。
だけど、まるでそれは蜃気楼のように感じられて
そこに自分の求めてる”何か”は存在するのか?
不安、焦り、嫉妬、疑いの念が絶えなかった。

正直、そのループの渦中に居る自分は
夢を追っているはずなのにちっとも楽しくない。

まるで美味しそうな包み紙に包装されたキャンディー
開けて食べてみると全く味がしない無味無臭のただの飴。
そんな感じの虚無を感じてしまう。

自分で勝手に設けたタイムリミット。
”30歳までに何らかの成功をおさめ輝いている自分”に
日に日に首を絞められて気持ちを削がれていく。
実体のない夢や成功に手を伸ばすたびに
結局、何が本当に欲しかったのか分からなくて。

今の自分と理想の自分のかけ離れたギャップ。

埋められない溝

満たされない心
嵌まらないピース


ここじゃない、これじゃない、そうじゃない。
毎日がそんな繰り返しだった。


これじゃあ、何も変わらない。

地下3階から見る景色はあくまで地下3階のまま。



そう、だから動く。
今までの偏った概念を捨てて。

1、不足に目を囚われず、足るを知ること


”ない”ものではなく、”ある”ものに目を向ける。
身近なことや今の生活に日々感謝をして過ごす。

2、未来ではなく”今”を感じること


人生は選択の連続。そして未来を築くのは常に今。
目の前の事をおざなりにせず「今ここ」を生きる。

3、生活の基盤を整える


心と体はひとつ、偏りから健やかさは生まれない。
まずは早寝早起き。朝の時間は自分を整える時間。

4、気の良い人、場所、言葉、モノに触れる。


身体は食べているものから出来ているように
自分という人間性や思考、感性、意識も
関わる人や身を置く環境、耳にする言葉などで
出来ているということ。
ただ受け身になるのではなくて、自ら形にする。


この習慣を始めて間もないけれど
あらゆるベクトルが外ではなく”内”に
他人ではなく”自分”に向いてきていること。
誰かと比較したり、誰かに嫉妬したりってことが
どんどん少なくなってきたこと。
日々の小さなことに感謝を見つけ出してからは
ノートいっぱいに埋まる感謝に溢れていたこと。
おかげで、気にもせず見えていなかったことに
自然と意識が向くようになってきていること。
そして何より以前と変わって心が軽くなったこと。
もう縛らなくて良いんだと思えてきていること。

この記事を書きながらも
こんな風に思えたり気付けたり感じたりできるのも
悩んだり、つまづいたり、壁にぶち当たったりした
自分がいたからこそ得れたことだよねっておもうと
それすらも”ありがとう”で、何一つ無駄じゃない。


遠回りに見えるけど最短ルートかもしれない。

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