「リアル」とは何か? 「推し」とは何か?
「この葉っぱ、めっちゃリアル」
わたしには娘が三人います。現在、小学5年生、3年生、保育園年中です。三人の言葉や行動にあらわれる生活のようすをみていると、いろいろと考えさせられることがあります。
ついこのあいだ、一番下の娘がもみじの落ち葉を見て発した言葉に衝撃をうけました。
現実に、目の前にある、本物のもみじの葉を見て、5歳の娘はこう言ったのです。葉っぱのおもちゃでもなく、模造品でもなく、本物の葉を手にもって言ったのです。
一般的に、「リアル」とか「リアリティがある」という表現は、架空や想像上のできごとのなかに、現実に近いものを感じたときに使います。また、本物でないものが、本物のように感じられるときにも使います。
例えば、
・その話、リアルすぎてちょっと怖いんだけど!
・夢の中なのに、なんかリアルな感覚だった。
・彼の演技、リアルすぎて本当にその人みたいだった。
・このゲーム、グラフィックがリアルすぎてびっくりした!
一方で、最近は、「質量のある現実そのもの」を指すときにも、この
リアルという言葉がよく使われているように思います。
例えば、
・それ、リアルにあった話なの?信じられない!
・SNSやオンラインもいいけど、リアルで会って話したいな。
バーチャルだったり、画面上に表現されたものではない、「3Dの本物」を指す言葉として、「リアル」という言葉がよく使われるようになってきました。娘が発した「ねえ、みて、この葉っぱ、めっちゃリアル」という言葉の使い方は、まさにそれです。
三女の娘は、赤ちゃんのころから、二人の姉がデジタルデバイスを使っている間近で育ってきました。画面上でモノや生き物や植物を知ることのほうが多いです。
わたしたち大人もそうですが、いまの子どもたちはタブレットやスマホといったデジタルデバイスだったり、YouTubeやInstagramといったSNSメディアをとおして情報を得ています。そういった子たちが、「3Dの本物」を手にしたときに、どんな言葉を発するでしょう。
富士登山に行けば、「この富士山、めっちゃリアルできれい!」
動物園に行けば、「このゾウさんのからだ、リアルだね〜」
と言うかもしれません。
これからも、子どもたちの発する言葉に、よく聞き耳を立てていきたいと思います。
長女のお年玉のつかいみち
正月あけ、長女とショピングモールに行きました。ロフトという文具・雑貨店で、娘はもらったお年玉で大量にあるものを買い込んでいました。というのも、
「もらったお年玉、使ったほうがいいかな?ためておいたほうがいいかな?」
と娘に質問されたので私は、
「いま物価が上がっているときだから、来年の5000円は、今の5000円より価値が下がっているかもしれないね。」
と答えていたからです。
来年になったら今の値段で買えなくなるかもしれないという焦りからなのか、娘は「推し」の缶バッチを十何個も買っていました。レシートをみると、総額5080円!。
缶バッチに使用価値はあるのでしょうか。娘に聞くと、自分のバッグにつけて「痛バッグ」を作るということです。いたばっぐ(痛バッグ)とは、好きなキャラクターの缶バッジやキーホルダー、ラバーストラップ、ピンバッジ、ぬいぐるみなどのグッズをバッグに大量に付けてアピールするバッグです
娘とお金のつかいみちを話し合うなかで、「推しとは何か」という話題に発展しました。10年くらい前までは「萌え」という言葉がよく使われていましたが、「推し」という言葉をよく使うようになったのは、ここ数年ではないでしょうか。アイドル好きやアニメ好きが使っていたイメージの「推し」という単語ですが、いまでは誰もが使う一般的な単語になってきたように思います。
「推し」の分析
精神科医の熊代亨さんに『「推し」で心はみたされる?』という著書があったので興味をもって読んでみました。
熊代さんはハインツ・コフートの「自己対象」「ナルシシズム」や、マズローの「承認欲求」「所属欲求」という概念を借りて、「推し」や「推し活」の現象を説明しようとしています。
ひとには、自分を承認してくれる・「いいね!」をしてくれる、つまり承認欲求を満たしてくれる存在が自己愛(ナルシシズム)を満たすために必要です。その存在を「鏡映自己対象」とします。
また、ひとには、尊敬や崇拝できる存在も自己愛を満たすために必要で、その存在を「理想化自己対象」とします。「推し」のキャラクターなどは、まさにこの理想化自己対象であると、熊代さんは考えるのです。
いまは「いいね」と「推し」の時代であり、SNSがそのようなトレンドの背景として大きな影響を与えていると熊代さんは分析しています。
一方で「適度な幻滅」は、「推し」と自分との間柄ではなかなか体験できないので、リアルな人間関係も大切であると、熊代さんは主張しています。現実の人間関係では、親や友達同士、恋人同士のあいだで仲違いがあったり、喧嘩をしたりします。が、「喧嘩をしても仲直り」「雨降って地固まる」といったかたちで相手に対する「適度な幻滅」があっても、人間関係が続いていきます。「推し」では、これが起きにくいというのです。
熊代さんは、ナルシシズムの成長にプラスの影響をもたらすのは「欠点がみえたり、意見の相違がチラチラ見える人間関係であること」「そうしたものがあっても続いていける人間関係であること」(前掲書、152ページ)とまとめています。
「いいね」と「推し」の時代に生きていくわたしたち。自己対象を、間近な人間と、ディスプレイの向こう側のキャラクターやインフルエンサー、つまりバーチャルとリアルにもっているわたしたち。子どもたちの生活をよく知る上でも、これらの視点をよく頭に入れておきたいと思いました。