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「平成」の時代を戦い続けた仮面ライダーたちへ

【『仮面ライダー 平成ジェネレーションズ FOREVER』/山口恭平監督】

「平成が終わる。すべてがはじまる。」

年号を冠したシリーズの宿命として、まもなく幕を閉じることになる「平成仮面ライダー」シリーズ。

オダギリジョー(クウガ)、水嶋ヒロ(カブト)、佐藤健(電王)、菅田将暉(W)、福士蒼汰(フォーゼ)、竹内涼真(ドライブ)。

そして、まさに今スターダムへと駆け上がっている犬飼貴丈(ビルド)。(昨年のドラマ「獣になれない私たち」での好演が記憶に新しい。)

若手俳優の登竜門として、毎年のように新しい「ヒーロー」を輩出し続けてきた「平成仮面ライダー」シリーズとは、いったい何だったのであろうか。

一言でまとめてしまえば、今シリーズは、既存の特撮ヒーロー、および、平成という時代に対する痛切な「批評」であった。

それぞれの正義を巡って、総勢13名のライダーたちが壮絶なバトルロイヤルを繰り広げた「仮面ライダー龍騎」。(中には、凶悪殺人犯のライダーも登場し、放映時は大きな波紋を呼んだ。)

物語の中盤、なんと主人公が、人類の敵対種族・オルフェノクであることが発覚するという衝撃的な展開を迎えた「仮面ライダー555」。

ライダーとして悪と闘うことを「職業」として描いた「仮面ライダー剣」。

このように、「平成一期」(1作目クウガ〜10作目ディケイド)は、既存の価値観を覆しながら、新しい時代に即したヒーロー像を確立するための、挑戦と実験の繰り返しであった。

より明るい作風へとシフトチェンジした「二期」(11作目W〜20作目ジオウ)においても、そうした試行錯誤は続いていると言える。

「勧善懲悪」が成り立たない世界。

何が正しくて、何が悪で、何のために戦うのか。その一見シンプルな問いかけに、明確な答えを導き出すことができなかった混迷の時代、後年に振り返った時、僕たちは「平成」をそう定義することになるのかもしれない。

(アメコミ映画界において、悩み、恐れ、そして屈する「ヒーロー」を描いてしまった『ダークナイト』が大ヒットを記録した事実も象徴的だ。)

それでも僕は、今回の映画を観て、一つだけ確信できたことがある。

いつの時代も、僕たちは「ヒーロー」を求め、そして、その存在に救われてきた。

突如現れた怪人から逃げ惑う人々、そこに颯爽と登場した仮面ライダー。人々は足を止め、果敢に怪人に立ち向かっていくライダーの背中をジッと見つめる。いつしか悲鳴は歓声に変わり、ライダーは人々の想いを胸に、決死の戦いに挑んでいく。

僕は、今作の終盤における、そんな超王道展開を観ながら、気付いたらボロボロと涙を流してしまっていた。

これから先、どれだけ時代が変わっていったとしても、助けを求める声に全身全霊で応えてくれる「ヒーロー」の正しさは不変だ。

今作を観たことで、平成に生まれ、そして平成仮面ライダーと共に歩んできたことを、心から誇らしく思えた。

そして、毎年のように「ヒーロー」が生まれる日本の文化は、やはり世界に誇るべきものであるという確信を持てた。

約20年にわたり、今シリーズを紡ぎ続けてきた製作陣に、僕は最大限の敬意を払う。

次の時代を救う、新しい仮面ライダーにも期待したい。


※本記事は、2019年1月12日に「tsuyopongram」に掲載された記事を転載したものです。

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