あと60年、書き続けるとして
表彰台に立ったら、誰かに選んでもらえたら、書くことに対するモチベーションの何割かが成仏してしまうんじゃないかと恐れながら日本自費出版文化賞の表彰式に行ってきた。
受付で名前を名乗ると、胸につけるようにと黄色いリボンでできた花をもらった。
受賞者、入選者の目印だ。
我こそは入選者なり。
いそいそと花をつけて会場に入ると、すかさず運営スタッフに「入選者の方ですね?お名前は」と尋ねられる。
「つる様のお席はあちらです」
指し示された席には、堂々たる筆文字で「つる様」と貼られていた。
本名なのかペンネームなのかは知らないけれど、両隣も前列も後列にも、さらりと社会に溶け込めそうな名前が並んでいる。
そんな名前に囲まれて、「つる様」はめちゃくちゃ浮いてみえた。
noteのなかでは、特に浮いていないのに。
気恥ずかしさとこそばゆさでにやにやしながら、座席の写真を撮る。
これ、自分のペンネームじゃなかったらどんな人が座るのかだいぶ気になりそうだな、と思っていると「あの、つるさんですか?」と声をかけられた。エッセイ部門の受賞者の方だった。
その方は私のnoteを読んでくれていて、「どんな方なのかと思っていたんです」とご挨拶に来てくださったのだ。
最終選考に残った段階で作品名と著者名のリストが送られていたから、私もその方の名前も作品も知っている。みんなどんな文章を書くのかな、と作品名やお名前で検索して、記事を読んだりもしていた。
ほかの受賞者の方とも祝い合ったり照れたり、私の本の装幀、装画を担当してくれている編屋さつきさんと一緒に展示された受賞作品を眺めたりしているうちに、表彰式の開催時間に。
各選考委員の挨拶では、市井の人が自分史を自費出版することの大切さが繰り返し説かれた。
「書かずに死ねるか!」とほとばしる情熱で後世に残さんと綴られた本への賛美。
あの文豪のデビュー作も自費出版だった、等々。
このあたりから、だんだんと自分の顔がこわばっていくのを感じた。
私は「書かずに死ねるか!」と強い志をもって本を作っているわけでも、後世に残したいような特別な経験もしていないからだ。
私の根源はたぶん、出来心。
たまたまエッセイを書き始めて、たまたま評価されて、なんとなく本を作るようになって文学フリマに出るようになって、なんとなく応募した文学賞で入選して、いま。
出来心でここまで来てしまったことへの後ろめたさが、急速に心を覆い始めた。
たとえばいま死ぬとして、私が一番後悔するのは「書かなかったこと」ではなくて、「人からもらったちょっといいドリップコーヒーやお茶を飲まずに置いておいたこと」かもしれない。
私は人からもらったドリップコーヒーやお茶を、なかなか飲むことができない。
嬉しいなー、もったいないなー、お客さんが来たときに開けようかなーと思っている間に気がつくと2年くらい賞味期限が切れている。
2年くらい賞味期限が切れてもお茶は普通に飲めるし、おいしいのだけれど、切れる前のほうがおいしかったのかなぁと思うと小さく胸が痛む。
生きているうちに、おいしいうちに、いつか飲みきれるだろうか。
死ぬ間際にしそうな後悔を上から順番に並べていったら、「もっと書きたかった」は何番目になるのだろう。
「もっと食べたかった」よりは下。
「もっと読みたかった」よりも下。
「もっと稼ぎたかった」よりは上かな。
好きで書き続けてきたはずなのに、よくよく考えると思っていたより情熱は薄いのかもしれない。
ひっそりと沈んでいるうちに休憩が終わり、各部門の受賞者のスピーチタイムになった。
「17年間引きこもった経験を通して、引きこもり当事者やその家族の手助けができるんじゃないかと……」
「原爆から生かされた自分が何かしなくてはと、70代で大学院に行って……」
「定年を迎えてから海外旅行を始めて、見て回った美術作品を自分の言葉でまとめたくて」
……みんな、人生濃すぎじゃない?修羅場、くぐりすぎじゃない?
「この経験を世に広めたい」と本を書くのは当然の流れだよな、と思うような半生の数々に圧倒される。
文章力とか、本の構成とかそういう前に、その人の持っている経験の重みが重すぎて。
ひとりの持ち時間はたった4分なのに、それぞれがそれぞれに内臓をさらけ出してくる感じがたまらない。
受賞者じゃなくて、マジでよかった。
負け惜しみではなく、素直に思う。
彼らに比して私の人生は、悲しいほど薄い。
彼らの人生の濃さをカルピスの原液とするなら、私の人生は3杯目のティーバッグくらいの隔たりがある。
大きな葛藤もなく、挫折もなく、何かを一心に研究するでもなく。
ささやかな浮き沈みのなかで、はてしなく健やかに30年を生きてきてしまった。
受賞した人たちは、歩みたくてその人生を歩んできたわけではないかもしれない。
人生の厚みだ社会への警鐘だという前に、一個人としての幸せを追求したかったかもしれない。
そういう人たちを羨むのは違うと思いつつ、私にはいったい何が書けるんだろうと思うと、「自分はこれでいく」と覚悟を決めて生涯をつぎ込めるテーマに出合えたその人たちのことが、やっぱり少し眩しいのだった。
私も、内臓さらしたい。
受賞者のなかには、96歳と103歳の人がいた。
さすがに式場にはいらっしゃらず、ご家族が賞状を受け取ったりスピーチを代読したりしていたけれど、その人の生涯の一冊にかけた気概は十分に伝わってきた。
自分が高齢と呼ばれる歳になっても書いているところを想像したことはなかったけれど、こうして道を示されてみると、こういう人生もいいな、と心から思う。
「表彰台に立ったら、誰かに選んでもらえたら、書くことに対するモチベーションの何割かが成仏してしまうんじゃないか」
表彰式の前に感じた危惧が、ふと頭をよぎる。
いつか満たされてホッとして、書かなくなることもあるかもしれない。
でも私たちが思っているより、きっと人生は長い。
いつだって、戻ってこられる。
いままで私は切実さをもって書いているわけでもなく、表現する手段が文章でなければならない理由もないけれど。
いくつになっても、何歳まででも、文章は書ける。
そう示してくれた人のスピーチの余韻に浸ったまま、私は60年後も書き続けている未来を、ぼんやりと想像している。
選考委員の作家、中山千夏さんに「つるさんって、鶴っぽいからつるさんなのねっ!?」と「大発見!」みたいなキラキラしたお顔で言われたのが、この日一番嬉しかった思い出です。
そういえば入選者は何グループかに分けられ、指名された代表者が賞状をもらうシステムで。
賞状をもらいなれてなさすぎて妙にまごついてしまったうえに、編屋さつきさんがそれをばっちり動画に収めてくれていてすごく恥ずかしい。