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癖の盗人

「お電話ありがとうございます。◯◯図書館です」
受話器を取って相手の名前やお問い合わせ内容をざっくり伺い、「では担当者に代わりますね」と保留を押して内線に繫ぐ。
4月に入職してから約一ヶ月、業務の三分の一くらいを電話番が占めている。
直接何かに対応するというのではなく、あくまで担当者に引き継ぐまでがいまの私の仕事だ。

先週のことである。
「はい、はい。それでは……」と言いながら担当の先輩の手が空いているかどうかを首を伸ばして確認しようとしたら、先輩がくるりと振り返り「わたし?」と口の形で訊いた
そうです、そうです。
片手で拝んで、保留を押す。

「お電話代わりました」という先輩の涼やかな声を聞きながら、そういえば先方のお名前も用件も復唱していなかったことに気づく。どうして自分宛だとわかったんだろう。
内線をかける前に担当の先輩が振り返り、「わたし?」と確認することは、その後何度か続いた。
いま私が電話を回している先輩は三人いるのだけど、三人ともが一度も間違えることなく自分宛の電話に振り返る。
繋ぐ側としては先輩が振り返ってくれることは様子を窺う手間が省けてありがたかったものの、そのスマートさはちょっと異様だった。
あらかじめ先方と時間を決めていたのかと思ったけれど、どうもそういう様子ではない。

「最近みなさん私が復唱する前に振り返ってくれるんですけど、どうして自分宛の電話だってわかるんですか?」
仕事が落ち着いたタイミングで、そう訊いてみた。

「テレパシーが使えるんだよ」とか囁かれたらどうしよう。
私もゆくゆくは使えるようにならないと、ここではやっていけないかもしれない。
しかし先輩は当然のように「え、あなたの電話の口調だよ」と返した。
「相手の名前聞いて『お世話になっております~』からの、話すテンポとか声の特徴とか、全力で相手に寄せていっているよね?あれ、うちらへのヒントだと思っていたんだけど」
ぜんっぜん、意識してませんでした。
前職でも一度も指摘されたことありません。

そう言うと先輩は「無意識であんなに似せていたの?」と目を丸くした。
言われてから電話に出てみると、たしかに私は相手がゆっくりしゃべれば自分もゆっくり、張りのある声なら自分も声を張って、語尾を伸ばす相手に対しては自分も語尾を伸ばして話していた。
電話は一対一だから、私が声音を使い分けていることをたぶん相手は知らない。
それにしても私の口真似から現状100パーセントの確率で相手を推測できる先輩、すごい。

思えば相手の口調を真似する習慣は、大学生のときに意識的に身に着けたものだった。
おむすび屋でバイトをしていたころのことだ。
レジに立っていた先輩が、お客さんから何度も説明を聞き返されていた。
おむすびを結びながら耳を澄ますと、もともとかなり早口な先輩の言葉をお客さんが飲み込めていないようだった。
「もっかい言って」「なんて?」と聞き返されるたびに先輩は少しずついら立ち、それに比例するように話すテンポもどんどん上がっていった。

あぁ、もっとゆっくり話してあげればいいのに。
そう思ったけれど、あとで「何度も聞き返されて困ったわ」と首を振る先輩にみんなが「見てたよ、大変だったねー」「意地悪してるんじゃないかと思うくらい、何度も聞き返してたよね(笑)」とねぎらっていて、私は何も言えなかった。

その先輩を反面教師に、と言っては言葉が悪いけれど、そのときから私は相手の声のトーンに合わせた接客を意識するようになった。
あくまで自分の感覚だけれど、聞き返される回数が減った気がする。
ちなみに、あえて相手のトーンに合わせないようにしているパターンもある。
急いでいる人と、怒っている人が相手の場合だ。
急いでいる人には早口で対応するのではなく、使う言葉自体を減らすといい。
注文を復唱する代わりに「これと、これですね」、「クレジットでのお支払いは一括払いとなっております」は「一回払いで失礼します」に省略する。

怒っている人に対しては、店が悪い場合とどうしようもない場合があるので、慎重に対応を見極める。
店が悪い場合にはめちゃ謝る一択なのだけれど、たまに「それを私たちに言われても困るんだけど……」的なクレームが入る。
そういうときには経験上、「共通の敵を作ってお客様と一緒に怒る」が一番丸く収まる気がする。
物価のせい、政府のせい、地球温暖化のせい。
とにかく「私たちも困ってるんですよぅ!許せませんよね、物価ってやつはぁ!!」と何か大きなものに罪をなすりつけると、物価に対しては「安くなってほしい」、政府に対しては「ちゃんとしてほしい」、地球温暖化に対しては「冷えてほしい」くらいしか要望がないためひとしきり「安くなって(あるいは「ちゃんとして」「冷えて」)くれんかのう」と言い合ったのちに沈静化する可能性がわりと高い。

さて、バイトを通して身に着けた口真似の習慣は、いつの間にか私の癖として身体に染みついていたらしい。
口真似自体は仕事でそれなりに役立っているようだからいいとして、実はゆくゆく移ってしまったらどうしようと不安に思っていることもある。

私と同じグループに、まるで『となりのトトロ』のトトロサイドみたいな先輩がいる。
人間とは思えない、森の妖精的な雰囲気を漂わせた先輩だ。
あまりにもかわいい方なので、仮に「かわいさん」としておこう。
かわいさんは「目は口ほどに物を言う」を地でいくタイプで、口数は多くないものの、こちらを気遣ってくれているのが目線で伝わる人である。

入職したばかりのころ、他の先輩から備品を取りに行くよう頼まれてそこらをうろうろしていたら、少し離れたところに座っているかわいさんが両手を胸の前で組んでじっとこちらを見ていた。
私の視線に気づくと彼女は、キャビネットを指して深く頷いた。
「ありました!ありがとうございます!」と言うと、無言で親指を立ててくれた。かわいい。

朝礼で「今日は10時に◯◯社の方がご挨拶にくるそうです」と私たちに言うとき、「今日は(両手を握りしめる)10時に(握りしめた両手を振る)◯◯社の方が(両手でそれぞれ握りこぶしを作る)ご挨拶にくるそうです(握りこぶしを振る)」とめちゃくちゃお手々を動かしながら伝えてくれる。お手々語が堪能すぎてかわいい。

倉庫を案内してもらっているときに「これはもうほぼゴミなんですけど……」「ここらへんも整理しなくちゃと思ってるんですけど……」と紙の山を指したあと、両手で口を覆って恥ずかしそうにくふくふ笑う。かわいい。

そうした様子があまりにもかわいすぎて、私はExcelに「今日のかわいさん」を記録し始めた。もちろん広報活動として、夫や同期にかわいさんエピソードを報告するのも忘れない。
先日「かわいさんがコピー機から火が出た話をなぜか嬉しそうにしていた話」をカフェで同期にしていたら、彼女は「つるちゃん、かわいさんの真似がめきめき上達していくね」と笑った。

その翌日かわいさんと話しているとき、私は自分の口を覆う両手に気づいて戦慄した。
知らぬ間にかわいさんを真似ていたのである。
かわいさんの真似が上手くなっていくのは、素直に嬉しい。
けれど、無意識に出てしまうのは違う。

私はかわいさんのかわいさを見ていたいのであって、かわいさんになりたいわけではないのである。
このままいくと数か月後か数年後、私はかわいさんの廉価版になっていることだろう。
癖を盗んだところで、かわいさん的なかわいさまで手に入れることはできない。あの仕草はかわいさんがやるからかわいいのであって、私がやったところでかわいさは生まれないのである。
そのことを肝に叩き込んだうえで、来月からも職務に励んでまいりたい。

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つる・るるる
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