【再掲】指を切る勇気
忘れもしない2018年、8月15日。転職したての会社で、仕事や人間関係に慣れるのに必死だった夏の日のことだ。
直属の上司に「明日著者がご来社するから、その前に打ち合わせよう」と会議室に呼び出された。業務の話が終わると彼は「あなたが毎日仕事を頑張ってくれて、俺嬉しいよ」と突然近づき、私の身体を抱いて唇に口を寄せてきた。
相手は54歳、独身。こちとら当時24歳。この30もの年の差と今起きているこの状況を、いったいどう繋げたらいいのだろう。
①これはドイツ式の挨拶である(彼はドイツが好きでよくドイツ旅行に行ったりドイツグッズを蒐集していた)。
②彼は実はディメンター(吸魂鬼。ハリー・ポッターに登場する闇の生物)であり、私の魂を吸おうとしている。
③彼はロリコンセクハラ野郎である。
④彼はあまりに空腹なので、私の唇が明太子に見えている。
どう考えても③一択なのだけれど、それまでの親切で教育熱心な上司と「ロリコンセクハラ野郎」がどうしたって繋がらない。繋げたくない。
目を白黒させたまま顔を背けると、彼は私の頬を押さえて自身の唇を何度か押し付けて舌で口をこじ開けようとし、身体を撫でまわした。
やがて満足したのか、彼は「明日も頑張ろうね」と笑顔で階下へ降りていった。
私は、ただただ呆然と立ち尽くしていた。
想定していなかったところから思わぬ災難が降りかかってきたとき、人は、本当に動けなくなるらしい。
その日は定時になるや否や神社に駆け込んで「キモキモキモキモ」と呟きながら手水舎でめちゃくちゃ口をゆすいで帰り、帰りの電車のなかで何人かの友だちにLINEを送った。
しかし部屋で一人になると、急に自分にも非があったのではないかという思いがむくむくと湧きあがってきた。
彼は私に彼氏がいることを知らなかったのかもしれない(彼氏がいようがいまいが許されることではない)。
もっと早く今川焼きを断ればよかったのかもしれない(彼はよく今川焼きやあんぱんを隣の席の私に半分くれた)。
これまでの私の勤務態度に、何か隙があったのかもしれない(隙があろうがなかろうが以下略)。
スマホを開くと友人たちから、「マジでキモい、そいつ殺そう?」という過激な提案や「私もバイト先で似たような目に遭ったことがある。すぐ会社やめな」という経験を踏まえた助言が届いていた。
私は、どうしたいんだろう。
殺したいのだろうか、仕事を辞めたいのだろうか。
眼の前が真っ赤に染まるような憎しみと、いい年こいてそんなことするんだという悲しみと、明日からどんな顔して会社に行こうか、いや行かないべきかという混乱とが頭のなかでぐるぐると渦巻き、身動きが取れなくなってしまった。
それでも、朝はやってくる。
翌朝もその次の日も私は吐き気をこらえながら家を出て、表向きは何でもないような顔をして会社に行った。
けれどこの気持ち悪さは抑えようとすればするほど膨れ上がり、まもなく耐えられなくなるであろうことは明白だった。
数日後の土曜日、先輩にその話を打ち明け、その先輩の付き添いのもと社長に話した。
最初は信じられないと驚いていた社長だったが「彼に直接話を聞いてみる」と言ってくれ、その数日後、私はセクハラ上司に再び会議室に呼び出された。
社長が事件を知ったことを知った彼は、私に直接謝りたいと言ったらしかった。「とんでもないことをしてしまった」「なんとお詫びを申し上げたらよいのやら……」と赤べこのようにへこへこと上下する頭を眺めながら、「どうしてそんなことをしたんですか」「何に対して謝っているんですか」と尋ねたものの、彼は頑なに「とんでもないことを……」と繰り返すばかりだった。
私が録音していることを警戒していたのかもしれない。
とはいえ、本の角でぶん殴れば簡単に死んでしまいそうなくらい弱々しくぺこぺこ謝ってたしなぁ……と、慰謝料を取る気満々で待機していた彼氏をなだめた。
しかし、すごく反省しているみたいに見えたよ、と彼氏に告げた数日後、上司が「向こうもその気だった」と社長や同僚に話していたことを先輩から聞き、私に彼氏がいることを知っていたことを大学の先生から聞いた。
まごうことなき、とんだゲス野郎である。
それまでの彼は、私の拙いメール文案を紙が真っ赤に染まるほど細やかに添削してくれたり、よくお菓子をくれるいい人だった。
「この仕事に全青春を注いでしまった」と自嘲気味に話すほど仕事熱心な、尊敬できる人でもあった。
そんな人が、そんなことするんだ。しかも自分の担当著者を通じて紹介された、著者の教え子に対して。
その事実が判明したあたりから、私と先輩と社長の間にも不穏な空気が流れるようになった。社長が上司を庇いはじめたのだ。
社長は度々大声で私たちの発言をねじ伏せ、自分の解釈したいように事実を発言で上塗りしようとした。
その対応の汚さは、上司にセクハラされた以上の不快感をもたらした。
人間不信が最高潮に高まっていたとき、私は友だちの紹介で『バーフバリ』と運命的な出会いを果たした。
「『バーフバリ』観ようよ」
中学の吹奏楽部の仲よし四人組で集まろうという話が出た時、友だちの一人が唐突に切り出した。
彼女以外のみんなは「めっちゃ長いインド映画」という知識しかなかったけれど、彼女の熱意に押されてその同窓会は『バーフバリ』のDVD観賞会になった。
そして迎えた当日、友人宅でカレーを食べながら観た『バーフバリ』は……はちゃめちゃによかった。
最初は「ずいぶんと顔の濃い、むっちり系の主人公だなあ」と思っていたのに、いつしか主人公のバーフバリが世界一の美男に見えてきて。
馬にまたがるわ象にも乗るわ、弓を射るわ鉄球で殴るわ。
そんな猛者でありながら、恋仲のデーヴァセーナを支える手つきは優しく、とろけるような笑顔に彼の周りの人間はみんなメロメロ。機転のきいた戦術で必要以上に人を傷つけることなく勝利を収める勇姿は、彼の部下だけではなく、画面の向こうの私たちまで魅了した。
とにかく人間離れしたアクロバティックな動きと、人間離れした人柄のよさ。
「こんな完璧な人間いるんか?」とツッコミたくなるのは最初だけ。
気づけば彼の周りの人々とともに「ジャイホー!(万歳)バーフバリー!」と諸手を挙げて叫んでいた。
しかし私が完全に『バーフバリ』の虜になったのは、物語の中盤のシーンがきっかけだった。
バーフバリの妻、デーヴァセーナが役人の指を切り落として捕らえられた時のことだ。
「何があった」とバーフバリに尋ねられたデーヴァセーナは「列に並ばせるふりをして、女の体をなで回していた。私の番が来たので、指を切った」と答える。するとバーフバリは「そなたが悪い。切り落とすべきは男の指ではない……首だ!」(セリフはうろ覚えです)と刀を抜き、一瞬で役人の首を切り落としたのだ。
その瞬間、それまで私が抱いていたモヤモヤが、ばっと四散した。「私にも落ち度があったのかも」なんて、「いい人だったのに、謝ってくれたのに、どうして」なんて、考えることなかったのだ。
首の飛んだ役人と上司の姿が重なり、「彼の行為は首をぶっ飛ばして当然のことじゃないか。私が気に病む必要なんて、どこにもない」と心が軽くなった。
そしてその勢いで、『バーフバリ』を教えてくれた友だちと二人でインドに飛んだ。南インドにあるテーマパーク、ラモジ・フィルム・シティに『バーフバリ』のセットがあるという情報を得たからだ。
私たちは「『バーフバリ』が大好きで日本から来ました」と言ってタクシーの運転手にドン引きされたり、ショーの開始前に流れるBGMにノリノリで踊り狂う幼児を見て「さすがインド……」と感心したりした。
ラモジ・フィルム・シティの中はとても広くて、あちこちで有名な映画をモチーフにしたショーが行われていたり、映画のセットを巡回するバスが出ていたりした。
けれど私がとりわけ気に入ったのは、鳥&植物園だった。
かなり広いドーム型の植物園で一羽のカンムリヅルの写真を撮ったら、羽を広げてこちらに向かって駆けてきた。「わあ、おかんむりだ!」なんて茶化している場合ではない。鶴の脚には留め具も何もついていない。細く鋭い嘴に突かれないよう、全速力で走って逃げた。「私もこれから、ちゃんと怒ろう」と密かに決意して、そのときの鶴をSNSのアイコンに設定した。
数日後に日本に戻った私は、自分のような人をこれ以上生まないよう、上司のしたことを折に触れて書き続けていくつもりだと社長に伝えた。本当は指を切りたい(さらに本音を言えば首を切りたい……)くらいだが、それよりもこれから社会に出る人に上司のような人間の存在を知らせ、自分を反面教師にしてもらうことの方が大切だと思ったからだ。
「起きたこと自体はあなたの経験だから、それを書くのは止めようがないよな」と社長は悔しそうに顔をゆがめながら言った。その後もいろいろと騒動はあったものの、その年度末に上司は退職し、のちに同業他社に転職したらしいと風の噂に聞いた。自己嫌悪と人間不信に挟まれていたあの頃。『バーフバリ』に出会ったことで、私は「こういう時には指を切ってもいいんだ」と思えた。
これから働こうとしている人にぜひとも伝えたいのだけれど、仕事を始める時に一番必要なのは、「早く仕事を覚えなくちゃ」でも「職場の人といい関係を築かなくちゃ」でも「報連相大事にしなきゃ」でもない。
必要とあらば相手の指を切る、勇気だ。
指を切ったり首を切ったりするのは極端だとしても、自分の身体と心を守るためには、そのくらい過激な勇気が必要な時はある。なによりも大切なのは仕事でも上司でもなく、あなた自身なのだから。
『バーフバリ』に話を戻すと、そうした「護身用映画」として、ストレス社会で闘う社会人に重宝されているような向きがある。
ストレスフルな職場に勤めている別の友人は、限界になるとバーフバリにボコボコにされる族長に嫌な上司を重ねてそのシーンだけ何度も繰り返し再生するらしい。
映画自体の壮大さや爽快感を楽しむもよし、ストレスの根源を敵に見立ててバーフバリにぶっ飛ばしてもらうもよし。
もしも猫の動画でもα波オルゴールでも癒やせないような闇に呑み込まれそうになってしまった時には、ぜひとも『バーフバリ』を観てほしい。彼のパワフルさに、心の優しさに、きっとあなたも、勇気が湧いてくるはず。