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いじわるな言葉
前々から思っていたこと、
例えば、「育児ストレス」という言葉。
その言葉がまるで、まるで子どもが悪いようなミスリード性のある言葉だと感じていた。
育児ストレス。
育児がストレス
育児に伴うストレス
本当はそうじゃない。
育児ストレスというものは、育児をすることが困難な状況下で生じる社会的なストレスだ。
当事者になってみてわかる。
育児だけならいい、でも、育児をしながら仕事をしてとか、育児をしながら土日も関係なく、休みもなく家事をしてとか、自分の時間を作ることが難しいとか、子どもと社会の板挟みで、自分だけではどうにもならないことを、実質、自分ひとり(あるいは親だけ)でなんとかしなければ回らない状況、経済的な困窮。そういった状況が続くことによって、出てくるストレスであるのです。
でも、「育児ストレス」という言葉には「育児」と「ストレス」しかない。
だから、実は深い、そこに見えない大きなものを、当事者以外には伝わらない性質を持っている。
以前「外人」という言葉にも感じたこととについて書きましたが、
同じように、前々から「発達障害」という言葉にも違和感があった
「発達障害」。
発達の障害があるこどもたち
これも、そうではない。
発達障害も同じように、この子だけの問題であるかのように思わせるミスリード性がある。
障害は、本人ではなくて、その子が一般的な社会との間で生じる障害である。私はそう思っている。
障害児だってそうだ。
その子の特性が、社会で生きる上で障害になっている。
その子たちが何の問題もなく生きやすい社会であれば、障害なんて言葉は出てこないはずだ。
社会の未発達性によって現れている言葉なのに、あたかも、その子が悪いような、その子が障害であるような言葉になっていないか?
そう思っていた。
「発達障害」という言葉の破壊力は大きい。
我が子が発達障害と言われたら、普通にショックだと思う。「障害」、「害」、その言葉の持つ力の大きさ、影響、それを受け止めなければならないなら、それははじめ、すごく大変で、不安で、心配であると思う。
その一点(子ども)だけではなく、もっと広く関係した言葉であるはずなのに、社会やその子を取り巻く環境は、責任を取れと言われたくないから知らんぷりしてはいないか?
そう思っていた。
どうでしょう?
「害」って言葉、無くならないかな...
獣害、
害虫、
人以外にも使われることも多い。
動物たちが悪いわけでも、
虫たちが悪いわけでもない。
こちらにとって都合が悪いから、「害」と言っているだけなのだ。
「良い子」と「悪い子」もそう、
その人にとって、都合が「良い」か「悪い」かだけなのだ。
でもその「都合の良い」ってところを言わない、いじわるさ。
肝心なところを言わないで、勘違いさせようとする、ずるい言い方。
そんな言葉がしれっと紛れて、
公然と使われている。
「発達障害」なら、「発達特性」って言ってくれないかな... と、私はそう思います。
「この子には発達特性がありますね。
周りとの関係に上手く関わるには、他の子とは違うアプローチやコツがあるので、一緒にこの世界でスムーズに生きていけるように、サポートしていきませんか?」
これなら、ちょっとは優しい社会になれるかしら
発達障害のお子さんをもつお母さんの番組を見て、前々から感じていたことと一緒に書いてみました。なんか、すごいなぁ、向き合ってるなぁ。と、カレー食べながら号泣してしまった。
みんなが更に生きやすい社会になったらいいよね。
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