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豪遊に引き込まれない様に抗う

豪遊とは、「効率」でもなく「味」でもなく、「快適さ」にお金を払うことである。羨ましく憧れる領域と思えるかも知れないが、人は一度でも豪遊に足を踏み入れてしまうと、決して抜け出せなくなってしまうのである。そうなる前に自らの足元を見直さなければならない。

私の在住する街では名古屋鉄道、通称「名鉄」と言う鉄道会社がぶいぶいと幅を利かせている。

名鉄の特急は一部特別車という仕組みになっている。列車の前数両だけが指定席になっており、追加料金を支払えば映画館くらいの快適な座席が確保されると言うものだ。その他の車両は一般的な在来線の仕様で、運が良ければ隣のおっさんと肩が触れ合うような横長の椅子に座れると言う具合である。

この土地に生を受けてから長らく経つ私は、今になって名鉄を使い始めた訳ではないのでこの仕組みは理解してるが、早く目的地に着く訳でもないし、追加料金なしでも座れる事もあるのだから決して特別車に乗ることはなかった。

しかしある日、30分ほどの乗車の旅程で座れるどころか立っていても押し潰されるような状態の時、同行者が追加料金を払って特別車に乗ろうと提案してきた。

私一人でいたら間違えなく出てこない発想だが、正直車内は劣悪な環境であったし、特別車がいかがなものかという好奇心も背中を押して、その案を可決し特別車に乗ることとなった。

そうして乗ることとなった特別車が快適なこと、実家の食事とその片付けの如し。

先程まで満員の普通車に乗っていたからその差が顕著に感じられたこともあるが、こんなにも快適なものかと感動した。

満員だった普通車に対して特別車の乗車率は10%ほどで、好きな席を選びたい放題、座席は背中の折れない方向にまで倒せる。テーブルも広げられるからパソコンを出して動画を見たり作業をしたりと、さっきまでいた普通車では考えられないようなこともできる。

しかもその特別車に乗るための追加料金が300円なのだから、飼い犬が教えていない芸を覚えてきたくらいに驚きだ。

携帯すら落ち着いて見れない普通車で押し潰されている人たちのことを考えると、彼らのご冥福を特別車の穏やかな椅子の上からお祈りするばかりである。

こんな快適に生きる術を知ってしまったら、これから毎回特別車に乗ることになりそうで怖い。だが特別車に乗っている今ではそれならそれでいいんじゃないかとまで思えてしまっていることが、これまた怖いの二乗である。

ただ目的地に到着して一斉に駅のホームに降り立った瞬間から、先程までの「特別車のお客様」と言う特権は効果を失い、普通車にいた人も含めてみんな平等な存在であることに気づかされる。

むしろ特別車に乗っていた人たちは、その一時の豪遊に目が眩んだボンクラ息子の様に思えてしまい急に恥ずかしくなってくる。逆に普通車から出てくる方々が嫌に逞しく見えて眩しい。

このままではどんどん情けない存在になってしまうと身を引き絞めて旅路を続けるのであった。

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