自作小説を書くクリエイター向けの「著作権」、「著作者人格権(刑事罰)」、「2次創作」の法律的な考え方の覚え書き

(*注意事項)以下に書いてある内容は、「法律」という考え方は、解釈学のような範疇もあるので、個々の法律家や学者の議論の仕方で判断が変わる部分もあるので注意。
一応、自分は、特許法の法律の専門家である「弁理士」の勉強をしていた時期があるので、普通の人よりかは、かなり詳しく細かい判断ができます。(ただ、プロの法律家では無いし、法律は時代の流れで判断内容が変わっていく事があるので注意が必要です)

現在、自分は、「自作ラノベ」小説的な何かを作っている最中なので、以下に書かれている判断内容は、その時のための、「法律と著作権の勉強」の覚え書きのような内容です。
ですから、厳密な法律の知識が知りたい人は、きちんと調べた方がいいです。

<著作権が無い、著作権が切れているもの>

・(神話、伝承など古代からの言い伝えで出典が古すぎるもの。また、神話、伝承などは「全員の共有資産」のように考えられるもの)

<著作権が切れているもの>
国によって若干違うが、日本の著作権保護期間は、著作者の死後70年間です。

(日本の著作権保護期間は、著作者の死後70年間)
https://chizai-faq.com/2__copyright/5486

『著作権は、著作物の創作のときに発生し、著作者の死後70年間(共同著作物の場合には、最後に死亡した著作者の死後70年間)存続するのが原則です(著作権法51条)。この保護期間は、正確には著作者が死亡した日の属する年の翌年から起算します(57条)。
従前の保護期間は著作者の死後50年間でしたが、平成30年12月30日施行の改正著作権法では70年間に延長されました。これは、環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(TPP11協定)の発効によるものです。

ただし、無名、変名の著作物の著作権は、公表後70年間です。周知の変名の場合(例えば、手塚治虫先生)はこれに含まれず、保護期間は原則どおり死後70年間となります。
著作権者が死亡した場合、著作財産権は相続財産となります。
相続人不存在の場合、一般的に土地などの相続財産は国庫に帰属することになります。しかし、著作財産権の場合には著作権は消滅し、パブリックドメインとなります(62条)。』

上の説明文に、
・ただし、無名、変名の著作物の著作権は、公表後70年間です。周知の変名の場合(例えば、手塚治虫先生)はこれに含まれず、保護期間は原則どおり死後70年間となります。
と書いてあって、
・一般素人のペンネーム公開作品の著作権は、「公表後70年間」のように書いてある。(「手塚治虫」のように著名人になれば、ペンネームでも、「死後70年間」と書いてあり差別があるので、法律家の議論次第では、「差別が違法」になりつつある現在、ここのラインは変わる可能性が無いわけではないと思われる。(「差別やめろ!」とギャンギャン言って社会変革が起こった場合))

ここの箇所は、現在、「SDGs」、「インクルージョン」、「ダイバーシティ」社会の実現へ向けて、「誰もが差別無く活躍できる社会の実現」へと、世界全体が動いている中で、時代錯誤の法文なので、むしろ変更が早急に望まれる箇所のはずなので、きちんとした法律家や裁判官が動き始めれば、「一般素人のペンネーム公開作品であったとしても、差別無く、著名人と同等の権利を得られる」ように変更されるべき箇所です。
要するに、「手塚治虫」などのように、出版社やテレビ局などと提携した人物のみが優遇され、一般素人クリエイターは、どんなに頑張っても「永年貧乏である」という差別社会を法律で決めているような時代錯誤の異常な法文の箇所と認められる。(「SDGs」、「インクルージョン」、「ダイバーシティ」社会の実現へ向けて社会全体が動いている中で有り得ない事です。堂々と「差別」対応を法文に書くべきでは無い!)

<パブリックドメイン(PublicDomain)と著者が宣言している作品>


<著作権があるもの>

上に書いたやつ以外で、逆に、「著作権があるもの」の中でわかりづらいものを書くと、次のような法律があります。

<翻訳文>
「翻訳」という作業自体に、別に、著作権が発生する。

<「2次創作」可能と著者が言っている作品>
「2次創作」可能と、「著作権フリー」、「著作権が存在していない」のとは、全く意味が異なります。
「2次創作」可能というのは、「著作権はまだ原作者の方にある」ので、著作者の指示には絶対的に従わないといけないし、その判断は、著者の判断で変更される事があります。

(著作者人格権)

「著作者人格権」というものが別の概念としてあって、これは、いわゆる名誉毀損罪とかのたぐいになるので、「刑事罰」という違う法律の概念になって、著者の死後とかに関係無く、おそらく、永遠に発生し続ける権利になります。
ですから、「2次創作」といっても、「著作者人格権」に違反すると、著者の遺族などから損害賠償請求がくる事がある。

(「著作者人格権」の刑事罰)
https://chizai-faq.com/2__copyright/5486

『(著作者人格権)
(刑事罰)
著作者の死後の人格的的利益を故意に侵害した者は、500万円以下の罰金に処せられます(120条)。これは非親告罪です。
生前の著作者人格権侵害に対する刑事罰は、10年以下の懲役若しくは1千万円以下の罰金又はその併科(119条1項)であり、非親告罪(123条1項)であるのとは若干異なります。』

(「著作者人格権」の細かい内容について)
https://chizai-faq.com/2__copyright/5486

『公表権(18条)
自分の著作物で、まだ公表されていないものを公表するかしないか、するとすれば、いつ、どのような方法で公表するかを決めることができる権利

氏名表示権(19条)
自分の著作物を公表するときに、著作者名を表示するかしないか、するとすれば、実名か変名かを決めることができる権利

同一性保持権(20条)
自分の著作物の内容又は題号を自分の意に反して勝手に改変されない権利』

「著作者人格権」は、「刑事罰」という別の法律の範疇の話なので、上のような細かい内容がある。
細かく説明すると、

(1) 公表権(18条)
「公表権(18条)」は、主に、出版社と著者との間で起こりやすいトラブルの話で、「著者が、まだ作品が中途半端にしか完成していないので、まだ公開したくないと言っているのに、勝手に、出版社が公開してしまった場合」とかの裁判の話になる。

(2) 氏名表示権(19条)
これも、主に、出版社と著者との間で起こりやすいトラブルの話で、著者は、「ペンネーム」を使いたかったのに、出版社が、「実名」で出版してしまったトラブルとかの裁判。
また、現在のネット文化だと、「2次創作OK」とか原作者が言っている場合に、ネット煽り連中などが、「実名公開してやれ!」とかやってしまった場合の刑事罰になる。

(3) 同一性保持権(20条)
これも、主に、出版社と著者との間で起こりやすいトラブルの話で、最もわかりやすい事件例が、最近だと、『セクシー田中さん』の著者死亡事件のようなケースです。
著者の原作漫画と、実写ドラマ化された後の「大幅な内容改変」のような刑事罰になる。

「著作権切れ」以降の「同一性保持権」というやつは、おそらく、「オリジナル版を出版社や映画製作会社などが勝手に内容を改変してしまった場合」の刑事罰の意味です。
例えば、最近の例だと、
・「コンプライアンス」を重視するあまり、アニメ版『ドラゴンボール』の表現の一部を作り直して改変されたバージョンがある。などのような場合の刑事罰になる。
ここら辺は、事前に著者とテレビ局との間で法的取り決めを先にかわしている事が多いです。

注意してほしい事は、
・「コンプライアンス」という単語や概念は、法律用語ではないので、何ら法的拘束力も権限も存在していない。
という事です。
・「コンプライアンス」というのは、もともとの考え方は、「未来のトラブルを未然に企業が回避する」という目的で考え出されただけの概念であって、「未来のトラブルを未然に企業が回避しようとする場合の、多めに判断してある"社内倫理判断基準"というだけで、法律ではありません」
自分は、辞典学者なので、正確な単語の内容を書くと、
・「コンプライアンス(compliance)」を「法令遵守」と翻訳してあるのは、厳密には間違いで、「コンプライアンス(compliance)」という概念が発生した当時の事を書くと、「コンプライアンス(compliance)」=「法令遵守」+「未来のトラブルを未然に企業が回避する社内倫理、モラル判断」の混ざった概念です。
ですから、「コンプライアンス違反だから」というのを、「無敵の絶対正義だ!」みたいな言い方で言っている人がいるが、大変危険なのでやめた方がいい。(要するに、「コンプライアンス」=「自分だけの正義を振り回す人」の意味です)

「倫理学」は、かなり難しい判断になり、そうそう簡単に結論を「断言」できるほど甘い学問ではありません。
例えば、「イスラム教圏」の常識では、「女性がかぶり物をする事が倫理的に正しい」と判断されているが、欧米から見ると、「それは女性差別だ」と全然、逆の倫理判断になる。

「コンプライアンス」を全部、1番厳しい倫理である方に合せたら良さそうだが、1番厳しい倫理の多くは、「イスラム法」になるので、そうすると、それを、「コンプライアンス」だと言う事もできるので、そうすると、「映画などでお風呂の描写のシーンの女性が登場するシーンは、全部、湯着(ゆぎ)と言って、イスラム教圏では女性がお風呂に入る場合には、自宅でも、着衣したままですので、そういう表現しか許されなくなる。
これを全体的にやっていくと、「社会全体のコンプライアンス基準を、全部、1番厳しいイスラム法に合わせていくと、どうなってしまうでしょうか?」
という話で、「世界中の社会の中から、豚肉由来の全ての製品の完全排除の確実な実施」などとなります。
これは、「911テロ」の時の、イスラム過激派テロリストが要求していたような、「世界全体のイスラム化の達成完了」という意味になります。
「倫理感を高くもつ」とあたかも、自分自身が「絶対正義者である!」という心地良い錯覚に陥るが、その判断基準が正しいというわけではないわけです。
キリスト教圏でも、過去にそうやって、「絶対正義だ!」とキリスト教的倫理感らしきものを最も高く振りかざしていたキリスト教会の指示で、「魔女裁判」、「異端審問」といった、酷すぎる残虐な社会が構築されました。
そのような残虐で愚かしい大失敗とならないように、現在の法律は制定されています。

ですから、「法律では無いコンプライアンス」の基準に従ってしまい、本来の本物の法律である方の「著作者人格権」の「同一性保持権」という「刑事罰」に違反してしまうなどを最近は、やってしまいがちになっている。
そういったものが、
・「コンプライアンス(法律では無く、ただの「社内倫理」判断基準)」を重視するあまり、アニメ版『ドラゴンボール』の表現の一部を作り直して改変されたバージョンがある。などのような場合の刑事罰になる。
「倫理が正しい事」と「法律的に正しい事」は、全く意味が異なるし、判断基準も違うという事です。

「法律的に正しい事」を知る判断基準の、最もわかりやすい箇所としては、
・「法律的に正しい事」の判断基準では、憲法にかなっている必要があるので、「表現と言論の自由」が確保される事です。

・「倫理」、「モラル」というものは、多分に、「個人的判断」の要素が強くなる、いわゆる「ブレの大き過ぎる判断基準」となるので、あまり法律的な判断基準となる事は無い。(「倫理」、「モラル」や、「倫理」、「モラル」を基準の中に内在されている「コンプライアンス」の方を、法的判断基準として採用してしまうと、「あまりにも自由過ぎる判断基準」となってしまう為に、裁判所の制度などが崩壊しかねないので。個人が「俺の絶対正義を信じろ!」というようなものは、法律とは呼べないので)

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