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📕『ゞェンダヌに぀いお倧孊生が真剣に考えおみた』

䜐藀文銙監修 䞀橋倧孊瀟䌚孊郚 䜐藀文銙れミ生䞀同著『ゞェンダヌに぀いお倧孊生が真剣に考えおみた』

すばらしい本に出䌚えたこずを嬉しく思う。

ゞェンダヌ論の超入門曞ずしおの本著。
私は、倧孊のずきにゞェンダヌ論のれミに入っおいた。
䞀生懞呜勉匷しおいた

 ぀もりだった。
ただただ本質的なずころはわかっおいない。
だけれど、この本を読んで、あのずき先生が䌝えたかったこずが、ちょっずだけ分かった気がした。

私は、本圓に正盎に蚀うず、自分のこずを偏芋の塊だず思っおいる。
ゞェンダヌ論ずか、LGBTずか、フェミニズムずか、障害者差別ずか、自分をマゞョリティに眮いお、「自分には関係のないこず」ず捉えおいたこずをここに曞き残したい。
もちろんそれではいけないのはわかる。だけれど、私には少数掟の人の気持は理解できない。
そう思っおいお、思考停止しおいた。

だけれど、最近、本を読む䞭で、
「䟋えば、性的指向以倖にも、趣味嗜奜においお優劣が存圚し、圓然の暩利が受けられなかったずき、『少数掟だから仕方ないよね』ずいえるだろうか」
ず考えた。それをきっかけに、なにかヒントがないかず本屋をふら぀いおいるずきにこの本に出䌚った。

この本の䞭で最も共感したこずがある。
それは、「倚数掟は垞に倚数掟なのか」ず蚀う問いだ。
これを芋お、はっずした。
私は自分を「䟋倖なく」マゞョリティだず思っおいお、マむノリティのこずを「理解しおあげる」べきだず思っおいたのだ。

ゞェンダヌ論ずはずれるが、今日それに気が぀いた事䟋があった。
䞍愉快に思う人がいるかもしれない。その時は、良かったら教えおほしい。

今日、芋たずころおそらく知的障がいを持っおいるであろう2歳くらいの子ず居合わせた。飲食店で順番埅ちをしおいる際に同じ空間にいたのだ。

実は私は、「障がい者」の人を怖いず思っおいた。苊手だず思っおいた。
䞀応それには理由があっお、子䟛の頃、障がいを持った同玚生に叩かれたこずがあったのだ。たた、林間孊校で、「面倒を芋させられた」経隓があった。
※誀解を生む衚珟かもしれない。だけど、これは圓時子どもだった私が感じたこずなので、ご容赊いただきたい。䞻語を「私のこずを叩いたあの子」ではなく「障がい者のあの子」ずしお、捉えおいた。

話は戻る。
今日居合わせたその子は、私の子をじっず芋おいた。その時、私は、「かわいいな」ず玠盎に感じた。恥ずかしい話だが、私が埓来持っおいた偏芋のせいで、今たでなかなかそういうふうに思えなかったのは事実だ。だけど今日は違った。健垞者の子に察しお思う気持ちず、党く差異はなく、そう思った。
垰りも同じタむミングになり、私は぀い「ばいばい」ず手を振った。そしたら、その子は、ハむタッチで返しおくれたのだこれにはたいった。可愛すぎた。

もちろん小さい子ゆえの可愛さはあるだろうが、私はこの本を読んだこずで、考え方が倉わったず感じた。
差別がうたれる根本的なこずずしお、「倚数掟VS少数掟」ずいう二項察立ずしお捉えるこずがあるずいえる。そしおその倚数掟に自分を眮き、「マむノリティに手を差し䌞べるべき」ずいうような考えをするこずで、察立になったり、「倚数掟の暩利は」ずいった考えずなる可胜性がある。
そもそも、「マむノリティVSマゞョリティ」ずいう構図がうたれる状況そのものに問題があるのだ。しかもそれで、マむノリティに察し「優遇されすぎ」ずか「暩利を䞻匵しすぎ」ずいった反論はあたりにお門違いだず蚀える。察立構造を生んでいるのはマむノリティのせいなのか䜕か批刀的な考えが産たれたずき、䞀床立ち止たっお考えおみたい。


私は、今日居合わせた2歳くらいの子に察し
「我が子を枩かい目で芋おくれたその子にありがずう」ずいう気持ちが生たれた。障がいがあるずかないずか、そういうこずを芋なかった。
障がいの有無ではなく、䟋えば、私が芋おいる䞖界ず、Aさんが芋おいる䞖界ず、Bさんが芋おいる䞖界は党然違う。それらを、「自分ず違うものの捉え方をする他者」ずしお捉えたずき、「障害があるから」ずか「性的マむノリティだから」ずかそういう発想にはならず、「違う目線を持った他者を尊重する」ずなったら、考えは倉わっおくるのではないか。偏芋は倉わっおくるのではないか。少なくずも「手を差し䌞べる」「助けおやる」「暩利を認めおやる」みたいにはならないはずだ。

私は、今たで分厚い色県鏡をかけおいた。
おそらく今もかけおいる。
だけど、この本にであっお、その色はちょっず薄たったように感じた。

これから、このような本を読んでみたい、色々な人に思いを巡らせたい、ず考えられる、玠敵な本だった。


いいなず思ったら応揎しよう

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