敗戦の追憶 -シュールストレミングという悪夢- #035
※今回、いつもよりちょっとだけ長いです(2000字くらい)。なぜかと言うと、あまりに衝撃すぎて、何度書いても短くまとめられなかったから。
あの時を思い出すと、心臓がドキドキする。といっても、恋ではない。
それは鯉(コイ)でもない。
鯡(ニシン)である。
何を言っているかわからないと思うが、大丈夫だ。なぜなら、自分でも何を言っているのか、わからないからだ。
それくらい、衝撃の体験だった。
友人から「シュールストレミングを食べてみたい」と聞いたのは、夏のある日のことだった。
ミュージシャンであるその友人は、ラジオ出演の際、食べてみたいものを聞かれ、そう答えたという。
私は寡聞にして、シュールストレミングがどんなものかを知らず、海外での大きな仕事を前にしていた彼に、「凱旋祝いにプレゼントするよ。なんなら一緒に食べよう」と安請け合いした。
シュールストレミングとは、主にスウェーデンで生産される、塩漬けのニシンの缶詰である。有名なのは、それが「世界一臭い食べ物」だということだ。
アラバスター(Au)という測定機で数値化した、臭いの単位がある。
履いた靴下が120Au、納豆が452Au、くさやが1267Auに対して、シュールストレミングは8070Auということだ。つまり履いた靴下の67倍、納豆の18倍臭いということだ。
なんだか、まったくわからないが、とにかくすごいらしい。
シュールストレミングは、塩を節約した保存食として、発酵をとめずに缶詰にしたもので、缶詰の状態でも中で発酵が進んでいる。開ける時には、ガスやとんでもなく臭い汁が出るため、屋外や水の中で開封することが一般的であるようだ。
開封の仕方や、食べ方を調べるため、スウェーデンの方が現地で食べている様子や、料理人による調理の動画などを観て、食材や、開封の為の手袋、バケツなどを用意をした。シュールストレミングは、マッシュポテトや、紫タマネギ、サワークリームなどと一緒に、トルティーヤのような薄いパンに巻いて食べるらしい。
「あの…、もともとこうだったんです」
配達のお兄さんが、申し訳なさそうに言う。
海外から届けられた、シュールストレミングは、缶が膨らみ変形していた。
(いや、これはこういうものらしいんですよ。発酵が進むんで!)
と、私は知ったばかりの知識を披露したい気持ちを抑えつつ、粛々と受け取り、それ以上発酵が進まないよう冷蔵庫に保存した。思ったより大きなサイズで、冷蔵庫のスペースを圧迫した。
友人達と開ける日が来た。
ミュージシャンの彼と、共通の友人の女性、私と妻の4人である。彼と友人は手を大切に使う仕事のため、私は開ける役を名乗り出た。
ご存知の方もいらっしゃると思うが、シュールストレミングは、いろいろな著名なYoutuberの方が「食べてみた」動画をあげておられる。
その地獄絵図のような開封状況や、食べた時のリアクションは、大げさだという人も、実際その通りだという人もいる。私自身は事前にあまり見ないことにしていた。
「これは、余裕だな」
開封した瞬間、私は大丈夫だと思った。
シュールストレミングは、魚が腐った臭いとか、下水の臭いとか、生ごみを直射日光の下で数日間放置したような臭いとも言われている。確かに、そういう感じではあった。
私は台湾の臭豆腐(420Au)の臭いを思い出していた。そっちの方がきつい。
衝撃的だったのは、中身が無かったことだった。発酵が進むと、中身は溶けてなくなると言われていて、私たちのはそうなっていた。受け取った直後、ドヤ顔で、冷蔵庫にすぐ保存したはずなのに。(画像はあるのだが、あまりにアレなので自粛)。
しかし、とにかく少し残っている部分で味を確かめよう、と私たちは帰宅した。
地獄は、ここからだった。
私は残っている食べられる部分を探し、手で骨から身をはがし、小骨を取った。その作業は、私の手に永遠に残るかと思われる、強烈な臭いを刻み込んだ。
何をしていても、臭い。
口に運ぼうとする全ての食べ物が臭くなっている。なぜなら手がくさいからだ。この時ほど、口と鼻が近いことを、憎いと思ったことはない。
生物の口と鼻が近いのは、食べ物が臭っていないか、有害ではないか、臭いで確かめるためである。臭いにおいには、警告だ。私の脳は、死の危険を感じている。
心臓がドキドキしてきた。
普段慣れている猫たちは私に近づくと、オドオドしたようすで逃げ、みな放心したように、その後しばらく宙を見つめていた。
用意していた食材と一緒に、トルティーヤに包んで食べると、ほんの少量でも、強烈な臭いである。
「うわぁぁぁぁ!!」
友人達も、それぞれ絶叫している。
味はよくわからなかった。が、別段美味しくもない。私達は、そのにおいの記憶を消そうとするように、いろいろなものを口に詰め込み、腹を満たしたのだった。
気づくと、私は半ば放心しつつも、自分の指を何度も嗅いでいるのであった。
(シュールストレミング&臭い測定機アラバスター、参考情報)
参考1、参考2、参考3、参考4
シュールストレミングを食べることを、私は決してお勧めしないが、食べたい方は次のリンクを参照。私が買った少し安いものとは別の、おそらくしっかりしたものだと思う。
(追記1)
その日、我々は音楽の話をたくさんしたのだが、途中、映画『ハウルの動く城』の主題歌「人生のメリーゴーランド」(久石譲作曲)の話になった。
私は鼻腔に残った死の臭いを嗅ぎながら、曲を聴き、これは「走馬灯かもしれない」と思った。
またその日、クラシックギターを弾く私に、ミュージシャンの彼が、佐藤弘和さんの「evergreen」という曲を勧めてくれた。
youtubeで松田弦さんの素晴らしい演奏を聴き、とても癒されたのだが、「evergreen」は「永遠」という意味であって、私の手に永遠に残るこの臭いはどうすればいいのか。
この曲を練習するたび、私はあの日の友人達との死線を乗り越えた謎の一体感を感じるのである。
(追記2)
「名前出してくれてもよかったのにー」とのことなので、ご紹介させて頂くが、友人のミュージシャンというのは、マンドリニストの堀雅貴氏(マンドリン系楽器奏者、作曲家、指揮者)のことである。
私はなぜかシュールストレミングの臭いをまったく覚えていないのだが(命の危機を感じて、脳が記憶を拒否しているのかもしれない)、彼は臭いをよく覚えているという。
音楽の神に愛され、才に溢れた彼には是非、臭いの記憶があるうちに、「シュールストレミング -敗戦の追憶-」という曲を書いてほしいものである。
《ご案内》
調布FM「ドリームワークス」のラジオ出演の際、彼が本記事とつなまよ日記を紹介してくれました
番組は、知られざるミュージシャンの仕事の秘密(メーカーとタイアップしてのピック作成)、クラシックの海外講師招聘や公演の経験や、ニューヨーク散策や食など、興味深い話題満載です。
シュールストレミングについては1:07:40-1:22:40頃です。よかったら、以下のリンクよりお聴きください(2023/12/27水公開)。
2023年12月10日執筆、2023年12月24日投稿、2023年12月28日追記
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