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うつ病経験者の私が、会社員を辞めてフリーランスになるタイミングを考える


 およそ10年前、私はうつ病を患った。

 1Kの一人暮らしの部屋から抜け出せなくなった。身動きひとつ取れそうにない。雪国で遭難しているような気分だ。実際は夏空にかんかんと照りつけられ、アイスは数秒で溶けきってしまうような当時気温だったが、まあ、カーテンどころか雨戸も締め切っていたので外の様子はよくわからない。

 新卒で入社した職場でメンタルをやられ、うつ病になった。いわゆる「よくあるパターン」と書いたらあまりに多方面へ愛のない書き方であるが、まさに私は自分自身に対して当時愛がなかったのである。


「誰にも迷惑かからないし」

 そう胸のどこかでつぶやき始めた。私はうつ病と診断される、その少し前のあたりから、自分を愛する行動を取れなくなった。

 食事を取ること、睡眠を取ること、運動をすること。あらゆる要素が欠如した。

「うつ病の頃、何してたの?」

 今になってそんなことを時たま聞かれるが、返答にいつも困ってしまう。本当に何もしていないからだ。

 食事をしなくても誰も怒らない。しっかり食べろと叱る家族も友人もいない。睡眠に関してもそう。どうせ眠れないんだ。それに、当時の私に明確な「明日」はなかった。我々は恐らく、夜がふけると眠りにつき、日時の"またぎ"を無意識に捉えている。

 一方うつ病になると、日時が進まなくなるのだ。スマホを見ることもない。「今日が何日かわからない」こと、それに怯えるのを忘却していた。

 何も考えられなくなった。ただぼんやりと、すでにあの頃、"私が想像していた姿"があったのだけれど。


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 数ヶ月続いた。

 一人暮らしの部屋が、私の世界すべてだった。誰とも会わない、会話しない。突然むしゃくしゃした私は、久しぶりに声を出してみようとりきんだ。しかし誇張抜きで1dBデシベルも出てこなかった。だがこの行動こそが、僅かな「前進」であった。


 ここまで来るのに、とても長く感じた。

 少しずつ私は、身体を起こしたり、伸びをしたり、カーテンを開けたりする。洗面所を掃除したり、台所を少し拭いてみるようになった。可燃ゴミを出す曜日を調べて思い出し、捨てていく。なんてことはない。昔はできていたことだ。そうはいっても、私は何かを確かめるようにして家事をこなしていた。私は小さな行動を積み重ねるのに必死だった。それは、"ある恐怖"から逃げていたのかもしれない。


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 半年が過ぎた頃、私は窓も開けられるようになり、散歩にも出かけられるようになっていた。声も出せなかった人間が、街を歩いている。スーパーで「袋なくて大丈夫です」と、か細いながらも発声していた。

 うつ病の何が苦しかったかと言えば、落ち込みから抜け出せない——というよりは脳機能の低下だった。情報が読めなくなる。物事を記憶しておけない。集中できないことによる脳疲労があまりにも酷かった。疲労した先にあるのは頬を伝う涙のみで、それを手で拭い、混乱に飲み込まれる。"いままでできていたことができなくなる"のは途轍もない恐怖だった。

 でも。少しずつ、少しずつ、小さな「壁」に手をかけていった。大きな壁を想像してしまうと、私は途端に過呼吸になってしまった。

 勇気のいることだが、自分でも馬鹿らしいくらいの小さな行動をまずは起こしていくことにした。小さな壁だとしても、倒せたら、次はほんの僅かだが前より大きな壁が倒れてくれる。ドミノ倒しをしていくかのように。


 いきなり外に出ようとするのではない。

「焦らなくてもいい」

 はじめ、そう病院の先生に言われたとき、私は「何もしなくていい」と解釈していた。そのときは本当に、"そうだった"のだと思う。だけれどだんだん身体が、心が動くようになったとき、また思い出した。「焦らなくてもいい」という言葉を。

 今度は私に、「焦らなくてもいい。やれることを一つずつでもやっていこう」という、"追加された意味"が聴こえてきた。同じ言葉だったのに、解釈が変わった。


 10年前から私は精神疾患と連れ添うようになって、とても落ち込みやすい気質になった。些細な言葉が気になり、空気のよどみを隅々まで嗅ぎ取り、吸い込んでしまう。所作も目線の動きも、見逃したいの見逃せない。あらゆることを悲観的に考え、全てをネガティブに落とし込んだ。

 だけれど私はもう、"うつ病"ではないのだと思う。もちろん、完治したわけではない。ただ心療内科の先生に最近、私は"抑うつ状態"なのだと教えてもらった。


 うつ病のとき、私は雪国で遭難しているような気持ちだった。何もできない。息をするしかできない。なんなら過呼吸は頻発したし、身体を横にしているだけなのに、なぜか疲れが尋常ではなく降りかかってくる。


 私は長い年月をかけて、家事をこなしたりして生活をしていく中で、確かめ続けている。私がもともと、できていたことを。

 うつ病になったら、うつ病になる前の世界には戻れないとよく聞く。全てを鵜呑みにするわけではないが、ほとんど合っているだろう。だが全てではない。助走をするきっかけをくれた。



 私は社会人なりたての頃から、作家になりたかった。

 文章を書くことが好きで、エッセイを書くのが特に好きだった。だけれどそれで食べていくのは、私にとってとても大きな壁だった。10年前からぼんやり想像していたのは、"書く仕事に関わり、自分を表現すること"だったのだ。

 きっとうつ病にならなかったら私は、適当に勢いをつけて作家になる壁に突撃していたかもしれない。だけれど当時、何も準備もしていなかったどころか、書いてきた期間も短かった。本当はなれた姿にも、「なれない」と諦めていたかもしれない。

 私はうつ病になってから、自分を研究する時間が増えた。落ち込んだらまずは珈琲を飲んだらいい、集中できないときは散歩をしたらいい、涙が止まらないのであれば、出なくなるまで出し切ってしまえばいい。あれから私は、小さなドミノを倒し続けている。

 病気ではなくても、悲しいことが起きたとき、つらい思いをしたとき、誰しも気持ちが落ち込んで「抑うつ状態」になることはあると先生は言っていた。パニック発作が起きて、直近、休職に至った私が落ち込むのは、至極当然の出来事であると知った。


 10年前からたくさん挑戦して、たくさん失敗してきた。正社員もアルバイトもうまく続かなかった。でもそれもある意味、ドミノを倒していた。

 最近の私のnoteでも「やってやるぜ!」と奮起し、物書きとしてのフリーランスを志し、動き始めているわけだが、そもそも稼ぎがないので未だ無職である。笑ってくれていい。


 私は毎日これからも、小さなドミノを倒し続ける。

 色々最近調べていく中で、「会社員を辞めてフリーランスになるタイミングは、、」といった記事をよく読むようになった。私なりの答えは以下だ。


 朝起きて、ご飯を食べる。散歩に行ったり、写真を撮ったり、買い物もする。なるべく笑顔で過ごす。noteを更新する。Xの投稿を増やす。先輩フリーランスの方のnoteをたくさん読む。メディアにエッセイを応募してみる。

 少しずつ、本当に少しずつだ。私にはそれが合っているとわかった。そうして少しずつ小さなドミノを倒していって、気づいたらフリーランスとしての物書きができているに違いない。「タイミング」などない。


 でもまあ、そもそも私は「フリーランスになる」のが目的ではない。本を出版する。これだけは忘却してはならない。

 例えば会社員を辞めて、私のようにフリーランスを目指す方がいるとしたら、それはとてもエネルギーのいることだと思う。大きな壁、といって間違いないだろう。まあ。それをいきなり倒せたとしても、格好いいだろう。

 でもさ。私は少しずつやっていこうと思う。他のことでも一緒だ。


 こういう気持ちでやっていくのはどうだろう。実際のドミノも、長い距離倒れ続けた方が最後、感動すると思わないか。


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詩旅 紡
作家を目指しています。