「繊細さん」という言葉を長らく受け入れられなかった
「繊細さんには、そういう言葉を言っちゃダメだよ」
心の上に、重たい石を乗せられたみたいだった。
私はとにかく気が弱い。人の言葉に敏感で、周りに不機嫌な人がいるとひどく緊張する。気づいたことがあってもなかなか言えずに相手の表情を伺い続け、勝手にひとりで疲弊している。誰かから問いかけがあれば、自分が思っている言葉ではなく、相手が一番気を悪くしないであろう答えしか提出できない。疲れやすいし、ストレスが体にも出やすく、手足が痺れたり、よく過呼吸を引き起こしている。
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新卒の会社をパニック障害と うつ病で退職。心身ともにボロボロではあったが、働かなければ生きていけなかったため、私は自分に鞭を打ち、転職活動をしていた。
面接では、正直に前職でパニック障害になったことを伝えた。とはいえ、「もう大丈夫です」と力強く私は話していた。前職を辞めると決まった時は、それは途方もなく嗚咽していた。その数日後に「もう大丈夫」になるはずなかった。私は"生きるための嘘"をついていた。
自分ひとりで稼げる力はない。雇用してもらうしかないのだ。やれるかやれないかなど、やってみなければわからない。"飛び込ませていただく"しかないのだ。
そんな熱心さを買っていただけたのか、私はなんとか一社内定を手にする。そこへそのまま入社。私の一次面接を担当してくれた課長が、私の配属された部署の直属の上司だった。
「パニック障害だったことは、みんなには言わないからね」
課長は私の耳元で、ささやくように言った。その方が私も良いと思った。「この人はパニック障害だった人」と揶揄されるのは想像容易かったし、「私パニック障害だったんです」と言って、相手に気を遣われるのも心苦しい。自分の弱さを押し付けて相手を圧するようになってしまうことも避けたかった。言わないで済むのであれば、それでいい。結局私はどうにかここでやっていくしかないのだからと思っていた。
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数週間経ち、私は少しずつ仕事に慣れていった。
周りには優しい方が多く、わからないことを聞けば、すぐに教えてくれた。難しそうな性格の方もいたが、それでもなんとか続けられていた。
そんなある日、耳にしてしまった。
「あの子、この前手が震えてたけどヤバい子なんじゃない?」
給湯室から聞こえてきた。聞き耳を立ててしまう。嫌な予感は大抵当たってしまうのだ。話題は、"私の様子"についてだった。
「彼、焦ると手がめっちゃ震えてるの。少し過呼吸気味にもなってた。ウケるよね」
気づかれていた。
どうしても私はわからないことが重なったり、情報で頭がいっぱいになってしまうと、焦り、文字通りパニックになってしまう。このままだとまた過呼吸になってしまうと思った時は、お手洗いに行ってなんとか誤魔化していたつもりだった。
仕事だけでなく、私は人間関係についてもよく考え、感じ取ってしまう。あの人今日機嫌良くなさそう、私が何かしてしまったかな、あの言葉ってどういう意味だったのかな、嫌われてしまったかな、聞きたいことがあるけど話しかけるの怖いな。そんなことでも頭がいっぱいになって、ひどい時は嘔吐を催していた。
「あの子、多分"繊細さん"だよ」
胸がズキンと傷んだ。それは"繊細さん"という言葉が引っかかったわけではなく、その後の台詞が「マジで!?超めんどくさいタイプじゃん」だったからだ。
給湯室での会話を聞いてから、私の頭の中はさらに考えることが増えた。「パニック障害だと思われているかもしれない」という思考は、私を急激に圧迫させた。苦しくて、息が上がり、書類やパソコンに書かれている文章を理解することも難しくなった。話しかけられたことも即座に反応できなくなり、私は私をうまくコントロールできなくなっていった。
そうしていくうちに、私の様子がおかしいことに、他の方達も気づいていく。ひそひそと、私に聞こえないようにしているのかもしれないが、全然聞こえた。悪い噂は、どんどんと社内で広まっていった。そんな時でも、私は自分を隠すのに必死だった。隠して隠して、なんとか乗り切ろうとした———
「おい。大丈夫か!?」
私は過呼吸になり、お手洗いの個室で倒れこんでしまったところを先輩に見つかってしまった。"結局こうなること"が、最初からわかっていたみたいに、悔しくて、哀しかった。見られてしまった私の噂は確信へと変わっていき、私は私として職場で立っていられなくなってしまった。"ヤバい子"として腫れ物のように扱われ、私が気丈でいられるはずがなかった。もとより、そんな性格をしていたら、パニック障害を患うこともなかったのかもしれない。
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あれから数年間、私は様々な職場を退職、転職を繰り返した。どこへ行っても私は過呼吸を起こし、嗚咽。惨めにいつも項垂れていた。
私は弱い。弱くてヤバい子として、そのイメージを持たれることをいつも避けられなかった。誰とも上手にコミュニケーションが取れず、ただただ傷が増えたり、深くなっていく。
そうしている間でも、私は働くことを諦めるわけにはいかなかった。生きていかねばならない。仕事を放っていられるほど、お金に余裕もなかった。そんな中また新たに入社した職場で、出会った人がいる。その人はよく私に話しかけてくれた。
「一緒にこれから頑張りましょう!」
その方は、とても明るそうに見えた。以下その方をTさんと呼ぶ。
いつもTさんは仕事に一生懸命で、皆に愛されていた。ミスも多くある人のようだったが、全く気にならないくらい素直な人だった。「すみません!次から気をつけます!」と笑っていた。ただなんとなく、気をいつも張っていそうな姿が見て取れた。私も近いタイプだったからか、そういうところに気づいてしまう。
「お疲れ様です!」
休憩室でTさんと、二人きりになった。特に目立った会話をするわけではないけれど、気まずいとは不思議と思わなかった。そうして天気の話や、最近食べた美味しいご飯の話などをした。そんな中、一言Tさんが切り込んでくれた。
「私、実は"繊細さん"なんです」
驚いて、私は心の中でぽかんとしてしまった。自分にとって今までコンプレックスでしかなかった"繊細さん"という言葉を相手から謳われることは初めてだった。
そうなんですね、と私は微妙な反応をしてしまった。そんな中でもTさんは続けて話し続ける。
「私は周りに不機嫌な人がいると緊張しちゃうし、相手が気を悪くしないようにいつも気を張っちゃうし、ストレスがすぐに体に出ちゃうんです…。でも別に、それで何か言い訳をしようと思ってこうして伝えているわけではなくて、知ってもらえてた方が"お互いの助け"になるかなって!」
私にはない感性と考えが溢れ出す。私は思わず聞き入ってしまった。
「私は人より多分傷つきやすいし、気にしいなんですけど、その分色んなことに気づけてると思うんです。人の体調とか、他の人の些細な抜けとかにびびっと頭が反応するというか。他にも、頭の中がいつも思考でいっぱいだからか、人より仕事は遅いけど、そのかわりみんなが意外と忘れてることも私は覚えていたり、メモをとっていたりするんです。弱いところもたくさんあるけど、裏返したり、見る角度を変えたら私にも強いところがあるから任せてください!って色んな人に言ってます!」
あまりに強くて、私にはもはや"弱いところ"などTさんには見えなかった。私と近い特性を持っているのに、全く考え方が違った。私は一生懸命仕事をして、なんとか隠して、嘘で乗り切ろうとしていた。それが一番、"お互いの助け"になると思っていた。けど、逆だった。
私は私のことを正直に話して、自分の強みもまた身につけていけばよかった。Tさんは明るかったけれど、考えが合わない人ともたくさん出会ってきたそうだ。それでも自分らしく正直に生きていたら、気の合う人たちと、深い絆で繋がれると話していた。自分自身を尊重することで、嫌われる勇気ももつことができたと言っていた。
私は、自分を尊重などできなかった。いつだって自己犠牲で、自分が苦しい思いをして、他の人が楽をできるのであればそれがいいと思っていた。
ただTさんは、自分に正直にいることで自分を大切にしてもらえる人に囲まれることができていた。考え方も明確で、だからこそ相手の考えも尊重できていたように思う。私は相手に合わせるだけで精一杯で、自分の信念もなく、相手に不信に感じられたらそれで終わり。そしてその場面をいつまでもくよくよと考えてしまった。
「繊細さん」とラベリングされると、私は苦しい思いばかりするのだと勘違いしていた。「繊細さん」と自分から謳い、その中身をゆっくり自分の言葉で話していければ、寄り添ってくれる人は確実にいる。全員から好かれようとすると、誰からも好かれなかったりするだろう。
嘘をつかずに、自分のことを正直に話していく。それはとても怖いことだし、相手が自分から離れていくことの方が多いかもしれない。だけれど時間をかけて、ゆっくりゆっくり、自分に合った人が寄って来てくれるよう、「私はこんな人だよ」と謳いたい。そして謳う人の声に耳を傾け、受容していきたい。
時に、生きるための嘘をまたつく必要がある時が来るかもしれない。それでも私は、少しずつ、大丈夫になっていけるだろう。