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「仕事中に涙が止まらなくなったことがある」そんな人間が必要とされる日は来るのか。30代、社会から離脱して思うこと


「もう十分じゃないか」

 その台詞はつまり、「お前はもう辞めろ」と言われている。そういうことに気づいてはいるが、どうにかしてすがりつこうとしてしまう、往生際の悪い自分がとても苦手だ。

 どんな会社で働いても涙を堪えきれなかった。業務に追われ、人間関係に悩み、帰り道涙が止まらなくなってしまう。

 寒空を誤魔化すような熱波が電車内に立ち込める。吊り革に手首をぶらさげ、私は暗い車窓に映る、濡れている自分を見ていた。

 思考の整理をするための本も読んでみた。考えすぎな自分を変えたかった。悩む必要のないことと別れたかった。ただどれほど読んでも救われなかった。そして、本を読む隙間すら失っていく。


 朝は昔から強い方だったのに、目覚ましがいくら鳴っても起き上がることができなくなった。なんなら数時間、目を覚ましたままだ。手足が小刻みに震える。呼吸も徐々に荒くなっていった。またパニック発作だ。もうこういう自分を認識することになるのなら、死んでしまった方がましだと何度も思った。

 尿意が訪れる。失禁するわけにもいかなかったので、トイレまでは歩を進められた。便座に腰掛け、そのまま灰のように朽ちていく。早くズボンを履かないと寒い。寒いのに、体に意識が伝わっていかない。何もできず体が、心が、凍りついてくる。30分ほどトイレの個室に篭り、30分ほど床に座り、私は会社に電話をする。「申し訳ございません」と。


「うん。わかった」

 返答はとても簡素なものだった。なんだか最初から期待されていなかったみたいだ。なんの期待にも応えられなかった。また過呼吸になる。床が氷のように冷たい。私は本当に面倒くさくて弱い人間である。

 次の日は会社に向かうことができた。涙は枯れたような気がしていた。体の中に鉛をいくつも入れられている。膝の前あたりに、固い壁が常にあるような気がした。


「おはようございます」

 と、いつもの声が出ない。口だけを小さく動かしてはいるものの、声が出てこない自分に驚き、哀しんだ。

 その場。社内の中央で足を止めてしまいそうだった。ここで大泣きして、噴水のようになってしまおうかと思った。それでも、這いつくばるようにして自分のデスクに着く。とにかく仕事をした。どうしようもない私だとしても、どれほど陰口、悪口を言われても、これが私の精一杯だから仕方がなかった。仕方がなさすぎて、熟れるように溢れる水滴を留めておくことができなかった。

 目の周りが真っ赤に染まる。

 そんな自分を想像して、また消えてしまいたくなった。それでも仕事をした。鳴る電話をとった。相手の困っていることを解決した。感謝された。「優しいあなたに教えてもらえてよかったわ」と電話口で言われ、私は隠れてさめざめと泣いた。どうしようもなく存在し続ける自分を、砕けるように抱擁した。私は生きていたい。上手に生きていたいのに。真面目に生きているのに。どうしてそれが叶わない。どうしてこんなにも弱い。どうして、どうして———


「ちょっとこっち来い」

 上司が近づいてきた。小声だった。私はまた続けられなかった。皆に白い目で見られ、そうして忘れられていく。個室で上司と二人きり。「お前なら他に、もっとやっていけるところがある」と励ましのような言葉をいただき、私は情けなく、居場所もなく、必死に胸の中に涙を仕舞おうとしていた。

*     *     *



「仕事中に涙が止まらなくなったことがある」

 転職し、唯一打ち解けてきた同僚が、私に意を決するようにして教えてくれた。業務を抱え、誰にも相談できない。人間関係に怯え、責任に振り回されていた時、むやみやたらと涙が溢れてきたと話していた。

 私以外にも、そういう人間がいるのだと安堵した覚えがある。ぜんぜん、同僚はそんな風には見えなかったけれど、そう思うことは話の筋とは違う気がした。

 涙を携えていることを知り、私も打ち明ける。「私もそういう時あるよ」と伝えると、「そうなの?でもぜんぜん、そんな風には見えないけど」と返ってきた。

 ありがたい、のか。あなたの性格がそうさせるのか、はたまた本当に私は"そういう風には見えない"のか。私は人の気をどこまでも揉み、詮索してしまう性分のため、どんな物語を持って私と対峙してくれているのか、すべからく考えるべきだと思ってしまう。

 同僚はその数ヶ月後、音も立てずに退職した。私はその同僚の涙を見ることはなかったし、私も涙を見せることはなかった。もっと話せることがあったのではないかと後悔した。同僚が仕事で悩んでいることはわかっていたのに、私は私で仕事が苦しくて、手を差し伸べる余裕がなかった。そうしてまた数ヶ月後、私は退職に至る。リピート再生でもしているかのようで、ただそれがどこかで変わる現実を喉から出るほど欲しているが、動くことができなかった。

*     *     *



 現在の私は、社会から離脱し、仕事もせず、細々と今年から日記を書いてXに投稿している。これになんの意味があるのか、私にはさっぱりわからないし、いちいち意味など考えていたら、立ち止まっているだけで人生が終わってしまいそうだった。

2025/01/01
2025/01/02
2025/01/03
2025/01/04


 最近、くどうれいんさんの『日記の練習』という本に出会った。そこに記されていた、「おもしろいから書くのではない、書いているからどんどんおもしろいことが増える」という言葉が気に入り、日記を書く手はより躍動するようになった。人を言葉で救うことは大変に難しいことであるし、私も、わずかしか救われた経験はないが、"私のやりたいこと"となればそれが挙がるだろう。くどうさんのような作家になりたいと、30代だというのに瑞々しく思っている自分がいる。


 家族以外と、しばらく会話していない。そんな自分にさほど困っていないところを見るに、私に向いている環境は「文字」であったようにも思う。誰かに必要とされたいという欲のようなものは、正社員であった頃に満たされていたかというと、そうではなかった。私は文字を書いて、それで必要とされることが生きがいなのだと薄々気づいている。

 社会から離脱し、一度今、リピート再生されるビデオから私は抜け出した。新しいテープを入れている。うまく再生されないかもしれないし、巻き戻しも起こるかもしれない。擦り切れてもいくかもしれない。それでも見たい景色を何度も描いていく。そしてさらにそれが涙で滲もうと、書くことをやめなければ、私は私に、必要とされ続けるのではないだろうか。


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詩旅 紡
書いて生きていくために頑張っています。 「文章よかったよー!」とか「頑張れー!」と思っていただけたら、あたたかいサポートをお待ちしております🍀 メンバーシップでもエッセイを書いているので、よければ覗きにきてください…!🌱