精神疾患のある私が、複数の収入源を持つまでに至った経緯と現在の仕事内容
毎秒不安である。
毎日ではない。毎秒である。私は常に何かを考え続けながら生活している。例えば朝、目を覚まして体を起こし、カーテンを開けるまでにあらゆることを考えている。
今日の仕事、絶対に失敗できない。これができなかったら、また働けなくなってしまうかもしれない。上司に嫌われたらやっていけそうにない。また駄目になってしまったら私に行く場所なんてない。これから私、どうなっていくのだろう———
洗面所まで行き、鏡の自分を見て苦悶する。削るように顔を洗い、砂漠のようになったタオルで水気を拭き取る。
少なくとも昨日の自分より前に進まなくてはいけない。ただ焦ってはいけない。とはいえ焦らなすぎも問題である。気を抜くだけで、熟れた果実のように涙がぼとりと落ちてきてしまいそうだった。私は強い、私は弱い、とどちらも唱えながら、私は左右に振れながら歩いていた。
「今度こそやり続けるんだ」
正社員として毎日身を粉にして働いていた。長らくアルバイトの人生であったが、やっと、正社員になれたのだ。年齢も30代に突入した。"これが駄目になったらもう終わり"。それくらいに思っていた。
あらゆる仕事の難しさ、責任、上司や同僚、先輩後輩との人間関係、お客様からクレーム、会社の将来性、自分含めた周りの地位やポジションの変更——、悩みは大いに膨れた。
元々パニック発作持ちの私は、ちょっとしたトラブルが起きただけで「もう終わりだ」と思ってしまい、心の中で焦りが加速する。あっという間に過呼吸になり、救急車で運ばれることが今までに何度もあった。
「どうして…どうして…」
病院の天井を見て何度も思った。どこにも焦点が合わない、真っ白な空間。ベッドに体を横にしている、その時の私の呼吸は落ち着いていて、さっきの自分の発作が嘘だったみたいで自分を信じられなくなる。
どうして私はこんな発作持ちになってしまったのだろう。どうしてどんなものでも「不安」や「焦り」と捉えてしまうのだろう。街を歩く人、会社にいる人。そんな人、どこにもいないように見える。私だけどうして、どうして———
考えれば考えるほど、頭の中がまたいっぱいになり、パンクした。何か考えているようで、何も考えがまとまっていかない。それどころか不安や悩みだけは広がりを止めることを知らない。些細なことで息ができなくなる自分が情けなくて、哀しくて仕方がなかった。
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そんな私は、意を決して心療内科のカウンセリングを受けた。
「不安や焦りが止まりません…」
正直に私はひとつひとつ現状を伝えていった。考える必要のないことも考えてしまうこと。ひとつのことに集中したくて、他のことに意識が向いてしまうこと。"マルチタスクが全くできないこと"。不安や焦りから、あらゆる被害が広がっていく妄想が止まらないこと。
現状を吐露すればするほど、目頭が熱くなっていった。私は私が醜い。こんなに私は"普通そう"なのに。だから誰も、理解してくれない———
「まずはあなたが自分を理解してあげてください」
カウンセリングの先生は、柔らかい口調でそう言った。あなたは自分を責めすぎている、と。そして先生は、私にとって意外な言葉をこぼす。
「あなた、自分にマルチタスクが向いていないと話されましたけれど、もしかすると向いている側面もあるかもしれません」
私は顔をきょとんとさせた。そんなはずがない。なぜなら私はいくつも仕事を並行させることが苦手だ。何かをやりながら何かをやる、みたいなことを自然とやってのける人を私は大道芸人のように思う。それくらい奇想天外だ。ひとつのことを考えるのも私はままならないのに。
「あなたは複数のことが同時にできないのではなく、ひとつのことを重く捉えすぎているんです。むしろあなたは、複数のことをやるのに向いている気がします」
"考えを分散させていい"という前提を持って取り組めばいいと先生は続けて話してくれた。これは働き方にも活かせるらしい。
例えば、私は正社員として働いている。だからこの正社員という仕事に集中しなければならない。同時に、この正社員という働き方ができなければ全てが終わりだと思っていた。だけれど、"いくつも駄目になっていいものがあり、いくつも成功させていいものがある"と思えることこそ、私の心についた重りを外すきっかけになった。
「正社員が駄目だったらどうしよう」
そう思い、私はひとつのことを重く捉えすぎてしまう。だったら、複数収入源がある場合どう思うだろう。副業をやっていれば、正社員が駄目になっても0になるわけではない。副業が駄目になっても、正社員や、アルバイトは続けていられるかもしれない。
どうせ複数のことを考えてしまうなら、最初から考えることを複数用意しておけばいいとのこと。ただひとつ、疑問がここで私に湧いてくる。
「考えることや働き方を複数用意したら、またそこからさらに細分化して考えや不安が巡ってしまいませんか…」
私はどんな事象も不安や悩みを広げる天才である。複数収入源を持ったら、それに比例するようにして不安が増えていくことを恐れた。ただ先生は和やかにまた話を続けてくれた。
「そしたら今度は、それぞれの"答え"を小さくしていくんです」
答え…?私は首をかしげる。
先生はまた噛み砕いて説明してくれた。
"正社員として20万円以上稼がなきゃいけない!"と思うと私には荷が重い。そして、複数収入源を持ったからといって、そのどれもが20万円稼がなければいけないわけではない。例えば、"1万円の収入源をひとつひとつこなしていく形"を考えていけばいい。
私が発達障害であることも先生には伝えていた。発達障害の方は完璧主義であることが多いとのこと。どこまでいったとしても、「まだ頑張りが足りない」「まだできることがある」と、それはどこまでも不安を広げ、心をすり減らすことに繋がっていくと先生は言った。
完璧主義から、完了主義に切り替えていく。
ひとつの働き方、それぞれに小さなハードルを設定しておく。ひとつハードル(例えば1万円の収入)を越えたら、その目標を達成できた自分をきちんと褒めてあげる。
他のハードルを越えるのが難しそうだと思えば、他のハードルをその分越えればいいと考える。不安を散らしていく。それは自分に合った気分転換を持つことでもあった。
「いいんです。いろんなことを考えて。考えた先に、たくさん答えを出していく才能があなたにはあるんです」
先生からの言葉を、少しずつ自分の中に取り込んで考えてみる。大丈夫、大丈夫。そう唱えては、自分を生き生きとさせる道を考えていく。ただまたさらに最後の不安が私を襲ってきた。
「じゃあ先生。全てが駄目になったら?」
私はなんでも不安を思いついてしまう。この考えの癖を、どうしていけばいいのだろう。またふとしたことで涙が溢れ、過呼吸になってしまいそうだ。どうしたらいい、どうしたらいい———
「そしたらまた、小さなハードルをひとつひとつ越えていけばいいんです。完璧な人なんていませんよ」
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カウンセリングを受けて以来、私は会社(正社員)を退職して、現在はフリーのライターとして生きている。
その収入源は、このnoteでのメンバーシップや有料記事と、クラウドソーシングサイトから請け負った仕事と、大きく2つにわかれている。
まだまだ月の収益合計は前職に程遠い。だけれど、小さなハードルを設定し、ひとつひとつ乗り越え、完了させていく思考が段々と習慣づいてきた。
精神疾患のある私がたどり着いた働き方は、フリーという存在であり、複数の収入源を持つことだった。
不安なのは、知らないからだ。何を考えればいいのか、どんな行動をすればいいのか。どうやったら解決するのか。お金はどれくらい必要なのか。
小さな不安の塊を、一生私たちはゼロにはできないのかもしれない。だけれど、その小さな不安の粒たちに、ひとつひとつ寄り添っていく。そして、ある程度不安は残っていていいのだ。それこそ、完璧を目指さない考えであり、心に余裕を持たせてあげることだ。
そして不安が重なりやすい私は、お金の勉強を続けている。資産運用、株、手当、節税、確定申告、仮想通貨、ポイ活等々。他者と関わりたくないわけではないが、他者との関わりで不安を感じやすい私は、誰にも左右されない「お金」をきちんと持っておく必要があると思った。現金な話のようで、私はどうしても避けていたお金のことだが、勉強すればするほど活かせるものはたくさんあることを知った。これは今、貯金が少なかろうがそれは大きな問題ではない。
知識が増えると、今まで不安に思うことも、重く受け止めなくなっていった。それは、知っているからだ。そんな単純なことに気づき始めてから、私自身の持っていた能力は変わっていないのに、1日にできることが増えてきた感覚がある。
これからはXやnoteでの発信も利用しながら、書く仕事に繋げていきたい。小さな収入源を、少しずつ増やして自分を肯定していきたい。(精神疾患やHSPの記事を書けるので、是非私にお仕事ください…!)
現代の日本で、全く不安のない人なんて稀有だ。老後のこと、年金のこと、健康のこと、働き方のこと、生き方のこと。「どうして不安になってしまうのだろう」ではなく、不安で当たり前なのだ。その不安をひとつひとつ、紐解いていきたい。
今日もひとつnoteを書き切ることができた。完了できた自分を盛大に褒めてあげようと思う。