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パニック障害を「寛解」ではなく、携えることを選んだ私の10年間のこと
「死ぬ——」
そう本気で思うことにも、なんだか疲れてしまった。
会社を辞めてから、私は散歩をするか、文章を書くか、そのほとんど二択の人生を歩んでいる。書く仕事を細々と続けているのみで、会社勤めもしていない。そんな精神が安定しやすそうな環境にいるにも関わらず、パニック発作が起きてしまう。
最近よく発作が訪れるのは、眠る直前だ。ベッドの上に体を横にし、数分後、ぴくぴくと手足が痺れ始める。頭が内側から がさつに殴られているかのように痛む。目の奥に眼球が落ちていく感覚。顔全体が萎んでいき、その反動で、吹き出すようにして涙がぼとぼとと音を立てて流れ始める。
これが10年、持続的であり、偶発的に起こるようになった。発作が起きる、不安の原因はやはり、自分をいつまでも認められないせいだろう。
ちいさな成功を抱きしめ、完璧を目指さない生き方。心身をリラックスさせるための呼吸法の練習。心が過去や未来に焦点を当てることはせず、今この瞬間に意識を向けること。不安感を受け入れる。自分を責めない。規則正しい生活を心がけ、時にはサポートを受けることも考える。こうしたことをいろいろやってみた。意識しようとしてみた。
だけれど、私の根本的解決にはいつもつながらなかった。私はこうして「悲劇」のように見せて、その自分でいることに安心していることがある。そんな気持ちのわるさに、また嗚咽してしまう。「矛盾」なんて言葉では包みきれない、どろどろとした液体が心の中を常に渦巻いている。
「ねえ、私たち。パニック障害、治るとおもう?」
たぶん、治らないよ。じゃあどうするのか。ずっとずっとこうして私のように叫び続けるのか。破り捨てるように涙を流し続けるのか。そんな自分に満足し続けるのか。それはとても惨めではないだろうか。
それでも私は、書くことしかできない。
精神疾患の専門医ではない私だが、深くこの「パニック障害」そのものに向き合い、時に衝突し合ってきた。自分自身に起きていることとして、どこまでもどこまでも深く考えてきた。この軌跡を、今回改めて振り返ってみることにした。
先日、パニック障害についてのエッセイを更新したところ、多くの方に読んでいただけた。それが私の中でひとつのきっかけとなった。
それに加えて、もっと自分自身この障害と向き合い、作家を目指していきたいという想いが今まで以上に強く芽生えた。より踏み込んだ内容を書いてみたくなった。
私の実体験に基づいた内容が多いため、有料記事にしている。メンバーシップの加入も検討していただけたら嬉しい。私の葛藤してきた10年が、どうか誰かの支えになることを願って。
●この記事がおすすめな方
・パニック障害を携えている方
・パニック障害と向き合っていきたい方
・パニック障害に付随して、うつ病や適応障害に悩んでいる方
・パニック障害と向き合ってきた人の軌跡を読んで、ひとつの参考にしたい方
・ご家族やご友人、職場にパニック障害を携えている方がいる
・精神疾患を治したいとはおもうけれど、今の自分を変えようともおもえない、そんな矛盾に苦しんでいる方
・詩旅 紡を応援していただける方
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作家を目指しています。