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HSPとうまく付き合っていくために、「HSP」という枠を一旦外してみる


「はあ〜疲れた」

 声が聞こえた。些細なコミュニケーションのひとつに過ぎない。そのはずが、私は脇から嫌な汗を流していた。

 言葉に含まれる空気、棘、様子。視線の動き、所作、呼吸、色、筋肉の使い方。すべてが手にとるように見えてしまう。それが"合っているか"はわからない。本人に答えを聞けるわけではないし、本人だって答えがわかっていないかもしれない。なんにしても「情報」が入ってくるせいで、日々呼吸が浅くなる。

「やってられないね」

 今日も機嫌の悪い先輩と一緒に働いている。いや、「機嫌の悪い」なんて言うものではない。先輩は私より仕事量も多いし、責任も重いだろう。自分より手いっぱいの人の機嫌を悪く思うなんて、私はなんて、最低なのだろう。そもそも私がもっと仕事をかって出たり、もらいにいくべきである。というか、「られないね」という語尾の場合、私に話しかけているのだろうか。であれば、早く反応しなくてはならない——


「ねえあのさあ」

 別の人に声をかけられた。と思ったら、私ではなかったらしい。自分の仕事に集中しなくてはならない。メールの文面。細かく言葉を気にして、間違いがないか何度もチェックを重ねる。失礼があったら、私が恥をかくだけならまだしも、会社に迷惑がかかってしまう。それだけは避けなくてはならない。それより、先輩のデスクに置いてあるコーヒーはとっくにぬるくなっていて、いつになったら飲み始めるのだろうと意味のない気を張っている。

 社内は騒がしい。誰かが怒られている、誰かが怒っている。私のことを言われているのだろうか。私の責任だろうか。頭の、脳の中の方が熱く、絞られているような感覚がある。怖い。恐ろしい。そう考えていただけで、ぽとりと目から落ちた水滴に、私はさらに焦ってしまう。


 気にしすぎだよ、とか、考えすぎだよなんて言葉は、もう数百回と言われてきた。「どうしてそんなことで泣いてしまうの」という言葉は、相手の落胆や呆れも見えて、鋭く、それは勝手に痛んでいた。


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 HSPという「枠」を、30代になって私は受け入れた。

 20代の頃、聞いたことはあった。だけれど、なんとなく「また自分が責められるものだろう」と無意識に遠ざけていたところが大きい。

 今まで私は自分のことを、単に弱いやつだと思っていた。恐る恐るHSPについて調べたところ、私は弱いのではなく、『感受性が高く、環境刺激に敏感に反応する人』というだけだったらしい。そう思うことにした。再三なことだが、答えは私にもわからない。

 だが少しずつ自分を理解していこうと思った時の、"助け"になってくれた。自分が気にしすぎである時の事象を、枠と照らし合わせる。そこが合致すると安心するのだ。心の調子が幾分良い時なんかは、自己を肯定できたような感覚にすらなる。


 しかし段々と、不穏な空気が漂う。

 そのHSPという"枠"は、いつでも逃げ込める場所のようで、最悪、自分をそれに当てはめてしまえばいい、言い訳をすればいい、なんて考えてしまっていただろう。HSPを盾にして、他者を遠ざけたり、攻撃をしていたこともあったかもしれない。思い当たる節があり過ぎて、今も頭が、胸が苦しい。この「苦しい」という気持ちも、傲慢な気がしてしまう。

 考えに、考え込んだ。結論が溢れ落ちてくれないせいで、頭の中で何度も思考の塊が跳ね返り、暴れ続ける。

 そして私は、今振り返れば、過去にうつ病、適応障害、パニック障害などになったことも、このHSPが関係しているのではないかと思い始める。



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 私は社会人生活を10年ほど今までやってきた。うつ病、適応障害、パニック障害。さまざまなやまい、障害に直面してきた。この3つはどれも、職場で抱えたストレスによって起きたものたちだろう。上司から罵詈雑言浴び続け、長時間労働を繰り返した。身体的にも精神的にも潰れていた。

 うつ病と適応障害は、要因である職場から離れ、時間が経てば、少しずつおさまった。「時間が経てば」なんて簡単に記してしまっているが、この時間は5年、10年とかかっているし、もっとこの先かかるかもしれない。寛解したわけでなく、今でも"うつ症状"になることはいくらでもある。再び壮絶な環境、立場になれば、私はあっという間に適応障害になることもわかっている。

 パニック障害になった原因も、会社でのストレスだ。通勤で使っていた電車には一時期トラウマで乗れなくなった。エレベーターは、上司に詰められた場所であり、その逃げ場のなさから今でも酷く苦手である。

 会社でのストレスがなかったとしても、自分の想定外のことが起きたり、不安な出来事が重なると、パニック発作が起きてしまう。治らないと思う。手が震え、呼吸が乱れるたびに、もうひとりの自分が「まただ…」とどこか冷静であったりする。この冷静さの理由は、自己理解の積み重ねによるものだと思う。

 どれもなにも私は治っていないが、『こうなったら、私はこうなる』という整理は少しずつできるようになってきただろう。病や障害に、"ならないように生きる"とは似て異なり、"なることを受け入れた上で自分にできることを把握していく"しかなかった。


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 私のHSPな部分は、うつ病などの、多くの引き金になっていた。

 気にしぎてしまう、考えすぎてしまう、泣きすぎてしまう。

 私はその全てを自分で責めた。HSPを知ってからは、起きる事象全てを照らし合わせていた。救われることもあったが、多くは動きを狭めるものでしかなかったかもしれない。

「枠」として捉えると、自己理解や他者からの理解を深める手助けになることもある。ただそれが徐々に、"ネガティブなラベリング"として作用したらどうなるだろう。

 自分を、他者を過度に制限してしまうことがあった。

「HSPだから無理」「HSPだから特別扱いしなければならない」といった思考が自分にも他者にも生まれると、周りすべての可能性を狭めてしまう。

「HSP=自分」という思考に固執することが、時として自分を限界に追いやったり、社会での適応を難しくさせたりすることもある。私の前の職場に「私はHSPだから」の一点張りで、物事を突き放し、自分の環境だけを必死に守っていた方がいた。私がすべて配慮しきれればよかったと当時は思ったが、それで保てたバランスも、いつしか崩壊していたに違いない。


 HSPは、あくまで「感受性の高い人」という特性のひとつにすぎない。感受性が高いことは、豊かな感情や直感を持っていることにもつながり、それを活かしてクリエイティブな仕事や、繊細な仕事をすることも可能だろう。感受性が高いからこそ、人の細かい感情やニュアンスを敏感にキャッチし、深い理解を得ることができるという強みを持っているとも言える。


 そして、HSPという枠に囚われず、自分の個性や能力を認識して、自分の強みを見つけることが重要だ。

 私は傷つきやすい分、他者の悩みや不安にいち早く気づいて回り込めた時が何度もある。思い返せばそれは私のまさしく強みだ。感受性が高く、傷つきやすいことが自分の弱点だと思わずに、それをどう活かすかを考えていると、少しずつ自分を肯定していける。


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 最終的には、「HSP」をどのように活用するかは、個々人の選択に委ねられている。枠を活用し、自分の感受性をよりよく理解し、生活に役立てることはとても有益だが、その枠に囚われすぎるあまり、「自分はこれしかできない」「これは無理だ」といった思考に陥るのは避けるべきであろう。

 HSPという「枠」をたまには外して、自分の感受性をどう活かしていくかを考えることが、瑞々しく魅える。


 気にしすぎ、考えすぎ、泣きすぎ、など。

 こうなった場合、私は何?私はどの枠に入るのだろうと思ってしまう。そこの枠に入り込み、一瞬落ち着きを取り戻せるかもしれない。ただ自分の強みを創ることを、忘れないでいたい。


「コーヒー、温めてきましょうか」

 そう先輩に言ったら

「サンキュー!よく気づいたな。いつも助かってるよ」なんて言われて、ほんとうに泣き崩れてしまいそうだったことを覚えている。私の強みよ、どうかどこかで活かせるようにと——

 電子レンジの窓にぼんやり映る自分。頬を両手でパチパチと叩いて、律する。私たちは治っていくわけではない。心の姿を変えていくのだ。


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詩旅 紡
作家を目指しています。