一生書けることと、商業で書けることは違う
「消去法でフリーランスにならないほうがいいですよ」
行きつけの古本屋の店主さんは、思いふけるように言った。
私は痒くもない鼻をかいている。ずいぶんと珈琲が冷めてしまった。ここは古本屋でありながら、飲み物も出してくれる。やさしすぎる声色と、瞬きの間隔が短い。耳を澄まさなければ聴こえないくらいの音楽が流れている。どこかここは、現実とは異なる場所なのではないかと錯覚しそうだ。
「"やっぱり"、そうですよね…」
何が、やっぱりなのだろう。私は人と話すとき、多くの保険をかけてから話し始める。誤解を恐れずに言うけど——変な意味じゃなくてさ——自分でもわかっているんですけど——と、私はつべこべ言いたがる。人と話すのはとても好きだが、自分の気持ちが曲がって伝わることや、別のものとして伝わることを酷く恐れている。また同時に、私は相手の気持ちを、100%理解できなければ、いつもその場から立ち去ってしまいたくなるのだ。
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数日前、私は退職を決めた。
3ヶ月ほど休職してきたが、10月末で会社を正式に辞める。いままで正社員もアルバイトも派遣も日雇いもいろいろやってきたが、どうも私には合わなかったらしい。それは本当に働き方の問題なのか、実際のところ答えは出ていない。私はとりあえず、こうして文章を長く、長くしていくことが得意なようだ。
会社を辞める理由は単純に、復職できる心が揃わなかった。
と言うとあまりに冷静そうだが、実態は、復職を頭の中で浮かべただけでパニック発作が起き、立っていることもできなくなり、胃液もろとも吐き出しながら歯をガタガタ揺らし、手足に電流が流れ始めるからであった。
そもそも休職に至った理由は別に、会社がブラックだったとか、そういうことではない。誰でも背負えそうな責任やプレッシャーに押しつぶされてしまった。あたたかい環境であり、甚大な足枷があるわけでもないのにやっていけなかった。私は30歳を越えて、やっと、自分が弱すぎることを自覚した。それは内臓が異常に震え出すほど勇気のいる決断であった。
さあ、そしてどうする。
このままぼおっと空を見上げているだけでは、かなわないだろう。精神疾患を抱えているから——障害があるから——と言って何かを許されようとするのではなく、私に向いていて、私にできることをやっていくしかない。
考えた末、私は書く仕事をやってみようと思った。
やってみよう、などと言っても、素人の私にそもそも仕事などない。とはいえ、弱さを自覚する過程のおよそ10年の間で唯一続けていたのは、ブログなどで"エッセイを書くこと"であった。これが仕事になるかはわからないが、とにかく動いて、やってみることにした。自信なんかない。私の場合、「自信」を待っていたら灰になってしまう。やっていきながら自信を拾っていくしかない。幸い、こうしてnoteを今年の2月に始めていたのだから。
退職を決めてから、ひとまず私は仕事依頼のnoteを書いて、公開してみた。
エッセイストとして仕事をしたことがなくとも、私には「こんなことが書けるよ」と想像以上に並べることができた。私は手癖のように悲観的になってしまう性分だが、意外と掘ってみれば見つかるものである。
とはいえ、仕事依頼の記事を書いたからといって、ひょいと仕事が舞い込んでくることはなかった。そんな簡単に言ったら、みんなやれているだろう。
まあ。まあ。受け身でこのままいても仕方がない。現在に至っては、私には時間がある。だったら他にもやってみようと思い、今度はクラウドソーシングサイトに登録してみた。
ぞろぞろと並ぶ仕事案件に目を通していく。
想像はしていたつもりだが、とても単価が低い。そうは言っても、何も仕事として書いたことのない私にできるラインはこのくらいなのかと、やや痛みもあったが、すぐに癒えてくれた。
そして私は「ライター」として書く仕事がしたいわけではない。選り好みなどする身分ではないかもしれないが、私には選り好みする時間が幸いまだある。結局数時間サイトを巡回してみたが、目を輝かせるような内容のものは見当たらなかった。
ただ、こんなことでよいのかと思いふける。
なんでもとりあえずやってみればいいではないか。アンケートでもデータ入力でもなんでも。色々調べていくと、まずは経験をサイト上で積めと皆、口を酸っぱくして言っている。
私は一生書けると思っていた。
大人になってからこれまでの間、ずっとやってきたことだ。今更"できなくなる"のは、あまりに想像できない。私の中で文章を書くことは、自分の過去と未来を救うことであった。その過程で、零れた数滴が誰かに当たり、救われたらと願っていた。
だが商業、いわゆる"お金が発生する物書き"になろうとしたら、途端に手が止まってしまった。別世界である。家、電車内、公園、喫茶店、待ち時間、旅先、トイレ、風呂、ベッドの上。どこでだって私は書くことができた。常に頭の中は、書くことで溢れていた。会社員として、普通にやっていくことを想っていたこの10年の間も、誰にも頼まれていないのにそれを馳せていた。面白いことがあればすぐに頭の中に、紙に、メモをとった。人生がこれから躍動していく気配がした。頼まれなくとも、やっていきたかった。
しかし頼まれると「時」が止まった。
何もできなくなった私は、いま、"頑張っていない"のではないかと途端に焦った。汗が全身から止まらなくなる。ひとり、部屋で篭り、私は身体を震わせ、吐き気をもよおしていた。
「書きたいのに、どうして…」
私は「頑張る」を考え始めた。
商業を考えずに書いていた以前、私はnoteで記事を公開できたとき「今日は頑張った」と自分を褒めることが僅かにできた。そのひとつの成果物が、私を安心させてくれた。いくらでも書いていけると思った。
だが私は、会社を退職し、これから書く仕事でやっていきたいと思っている。その状況は同時に、稼がなければ生きていけないことを意味している。つまり、お金になる文章を書かなければならない。
書くことが本業の方がこのnoteを読んだら、私は本当に嗤われてしまうだろうな。だとしても自分でしっかり確かめるために書いている。
頑張るとは、何なのだろうな。
結果が出ないと、私は自分を評価したり、抱きしめてやることがずっとできなかった。自己肯定する確固たる材料がたくさん必要だった。それに自分の能力や行動が追いつかず、私は飢えていった。
私はこれから、お金になる文章が書けない日、自分を責め続けるかもしれない。私はお金になる文章を書けたときだけ、自分に対して「頑張ったね」と言うようになってしまうかもしれない。
そして私は、よく泣く。
泣いてしまう、といった表現が近いか。些細なトゲのある言葉、空気の乱れで涙が溢れた。そうしていつしか、私は苦しんだり、涙を流したりしないと、仕事や生活などを"頑張っている"と認識してやれなくなっていた。
なあ。書くことで生きていきたい!と思ったら、じゃあ、いままで書いてきたnoteはどうなる。一銭にもなっていない。私がこれまでこのnoteを書いてきたことは、"頑張ってきたこと"ではないのか。そもそも、"頑張って書いている"なんて領域、心意気で、物書きになどなれるだろうか。いやでも書いてしまう、手が動いてしまうのが私なのではないか。ずっと10年間そうだった。だから書き続けることができた。"楽しかった"。
ただどうだ。商業的に書いて、食べていくには、果たしてどんな文章を書けばいいのだろうと思ったら、途端に手が止まったのだ。苦しい、痛い。涙がいま出るということは、頑張っているということかもしれない。でも違うな、私はただ怠惰なだけだ。これから私は、どこへいけばいい———
そんな瞬間、ひとつ、通知が届いた。
noteに来ていた。おろおろとしながら通知欄を開くと、そこにはこんな画面が映し出される。
私がnoteで書いてきて、初めてサポートをいただいた。私の文章に、なのか、「私」に対してなのか正確なところは定かではないが、言葉とともにいただいてしまった。濁さず言うのであれば、お金をいただいてしまったのだ。
胸の鼓動が早くなっているのに気づき、私はこんなにも嬉しくなる自分に驚いた。「応援しています」という言葉に——、伝わるだろうか、涙ぐんでしまった。よく泣いてしまう私の涙など価値がないだろうか。
それでも本当に嬉しかった。いままで書いてきたnoteが、まるっと「頑張り」になったようだった。だけれど同時に、私はこのお金がなかったら、自己を肯定できないままだったのかと考える。
商業として書くこと。それを目指してこれからたくさん悩んだり、行動したり、挫折したり、喜んだりするに私は違いない。それも含めてこのnoteに書いていくつもりだ。
そもそも商業として書けるようになるのには、頑張りとして抱擁できなかったこのnoteにこそあるのではないかと思う。お金にならない文章の積み重ねが、人を伸びやかにしてくれる。それは物書きだけではないはずだ。
いままで散々うまくいかなかった会社員生活。どれも、自分の存在意義がわからなかった。わからないまま、私は辞め続けていたのかもしれない。"頑張っている"と、自分を認めてやれなかった。「あなたは頑張っている」と、思えば多くの人に言ってもらえていたのに、受け取ることができなかった。もしかしたらあと数歩進んだ先に、見えた景色もあったかもしれない。でも私の場合は、それはもういいのだ。やりたいものが違った、それがもうわかったから。
結果、というもの。
いつか私に、クライアントさんの承諾、読者の評価、お金となってついてきたときだけ、「頑張っている」と言ってやるのはあまりに遅いだろう。そもそもそんなことではきっと、走り続けたり、走り抜いたりすることはできない。
ぜんぜん結果が出ていないよ。それでも今日を書いて、生きたことを抱きしめるのだ。そうやって誰しも前に進んだり、後ろに下がったり、立ち止まって考えたりしている。
全部に対して、「頑張っている」になるかどうかで物事を見なくてもいいのだ。それは同時に、どんなことでも自分の行動を「頑張り」として認められることにつながる。
行きつけの古本屋の店主さんも言っていた。
「会社員ができなかったからフリーランスになりたい、という理由だけでは続かない。その先に自分の"像"が見えていないと絶対に失敗します」
私は書いて、過去と未来を救いたい。自分の弱さや、精神疾患のこと、働き方のこともそうだし、ちいさな生活を守っていくこともそうだ。
「僕は本屋がやりたかったから、本屋になったんです」
店主さんは、か細いながらも太い文字で話しているように見えた。この古本屋に訪れるようになって、私は度々、自分の夢を話すようになっていた。その夢は、作家になること。すなわち、書籍を出版したり、連載を持つことだ。保険をかけずに言えば、私は書いてお金を稼いで、食べていきたいと思っている。
お金を稼ぐんだ。それすなわち、責任もプレッシャーもある。いままで自分にあった大きな課題であり、壁だ。それとどう向き合って、進んでいけるだろう。
「焦らず、一つひとつやっていきましょう」
どこかから、声が聴こえた。
つられて私の瞬きも早くなり、ぎゅっとつむる。
色々考えながらこのnoteを書いてとても疲れた。そういえばいま、涙は引っ込んでいるな。だけれど今日、私は私に「よく頑張った」と言ってやる。そうしてまた明日も生きるんだよ。とにかく。葛藤も、財産にしていく。
つべこべ書いているけれどやりたいんだよ。やっぱり。答えは出ているではないかじれったい。
書いて生きていくために頑張っています。 いただいたサポートは、私の「作家になるための活動費」として使わせていただきます☕️🍀