「誰でもできる事でさえできない私はなんなんですか。 あなたが望んだような人になれない私を叱るでしょうか。」 私の大学時代の友人の言葉です。 いつも一緒にいた所謂“いつめん”のひとりでした。 彼女はこの言葉を残して、自ら命を経ちました。 駅近くのビルから空へと旅立ちました。 大学4年の冬。 卒業を間近に控えた頃でした。 ------ 彼女がなぜ命を経ったのかはわからないままです。 遺書を残すこともなく、事件性がないと判断されたため 携帯の情報開示も行われずでした。
こんばんは。 突然ですが、皆さんは誕生日が好きですか? 大人になるにつれ、歳を重ねることが嫌に なったりすることもあって、 素直に喜べなくなった人もいるのではないでしょうか。 ちなみに私はというと誕生日が好きです。 一年で唯一自分が主役になれる気がするから。 メッセージやプレゼントをもらって心がほくほくするから。 そんな私が誕生日を迎えたくなかったのが去年、 26歳の誕生日です。 白黒の誕生日でした。 今日はそんな去年の誕生日の心境を 書いてみようと思います。 ---
私がうつ状態と判明したのは2021年5月半ば。 自覚のある不調は2月頃から始まっていた。 私は大好きな彼と半同棲をしていた。 お互い実家暮らしだったが、通勤距離の短縮を 理由に一人暮らしを始め、彼が転がり込んだ形。 慣れない生活だが、何もかも頑張りたい私。 日常の家事や彼のお世話、もちろん仕事、 どれも気を抜かず頑張っていたと思う。 好きな人と一緒に生活するってとても気を張る。 最初の異変はすごく神経質になったこと。 スリッパがないと床が歩けない。 忘れ物があるといや。
閲覧いただきありがとうございました! 次回は大学時代の話をしていこうと思います。
閲覧いただきありがとうございました。 処女作となりましたが、私に中学時代の エピソードでした。いかがでしたか。 いくつか今の私から見たあの頃について 書き添えておきたいと思ったので、 あとがきを作らせてもらいました。 まず、メディアリテラシーについて。 今でも悩んでいる人はきっと多いと思う。 SNSの普及で知人同士のやりとりは多少 減ったのかもしれないけど、 それでもあの1回の行為であの頃の私は ガラッと崩れ落ちた。 元々私はすごく活発で学級委員や生徒会を 務めるよう
先生との文通は私が教室へ戻れるように なってからも相変わらずだった。 どういう筋からかは覚えていないが、 K先生が私の腕の傷について知ったらしい。 「何か困ってることがあれば聞くよ」 これまで私は自分の苦しさの理由を 誰にも話してこなかった。 行きたくない。人目が怖い。そんな曖昧な 言葉で隠し続けていた。 できることなら打ち明けて楽になりたかった という思いもあったかもしれないが、 中学3年生の私には、男子中学生の興味に 唆され自分の裸を晒したという事実そのものが 恥
保健室登校中の私はベッドをカーテンで遮り 保健室内で自由に過ごすことはほぼなかった。 別に養護教諭と特段仲が良いわけでもなく 何かがしたくてきているわけでもなく 教室へのスモールステップとしてという提案で 連れてこられているだけなのだ。 保健室には時折友達が訪ねてきた。 部活の友達やクラスの友達。 そんな中、珍しい訪問者が私の前に現れた。 「おぬ、調子はどうだ?」 カーテンを開き声をかけてきたのは数学担当の K先生だった。K先生は初任でこの学校にきて3年目。 比較的若
わたしの右腕には大きな傷がある。 今私がうつ病を患っていることを知っている方は 想像するに容易いかもしれないが、 リストカットによる傷だ。 ただ、その傷は患った今できたものではなく、 中学3年生の夏にできたものだ。 今思えば私のはじめての苦しい思いだった。 そして、恋と夢が混ざった出会いでもあった。 その頃わたしはアメーバピグというSNS?に はまっていた。自分のキャラを動かし、 その世界の友達と会話をしたり部屋を作ったりする。 部活も引退し、試験勉強に向かおうかという