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誰でもできる事でさえできない私はなんなんですか。




「誰でもできる事でさえできない私はなんなんですか。
あなたが望んだような人になれない私を叱るでしょうか。」



私の大学時代の友人の言葉です。
いつも一緒にいた所謂“いつめん”のひとりでした。


彼女はこの言葉を残して、自ら命を経ちました。
駅近くのビルから空へと旅立ちました。

大学4年の冬。
卒業を間近に控えた頃でした。


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彼女がなぜ命を経ったのかはわからないままです。
遺書を残すこともなく、事件性がないと判断されたため
携帯の情報開示も行われずでした。

冒頭の言葉は事故直前に彼女がLINEのプロフに
書きかえたものです。



彼女は卒業直前にどうしていなくなってしまったのか。
あまりに突然に。


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彼女とは同じ学科でいつも一緒に授業を
受けていました。
私のも彼女もやる気がなく、私がビリ2、彼女がビリ1
周りに単位が取れるか心配されるタイプです。

そんな適当さがありつつも、人柄は人見知りなのに
破天荒。ピンクの髪色にしてきたかと思えば
青色になっていて、可愛い風貌をしているのに
バンT着て頭を振るのが趣味。
笑顔がとーっても素敵な癒しキャラでした。

卒業間際となると授業も減り、
各々卒論の期日に向けラストスパートの時期です。
友人と会うのもゼミ会のときくらいでした。

束の間の羽伸ばしで飲み会をしました。
その時に彼女が彼氏と別れたことを知りました。
彼氏のために就職場所を選んでたことも
聞いていたので、とても驚きましたし、
彼女もずいぶん落ち込んでいたので、
もっといい人いる!あなたは素敵すぎるもったいない!
なんて酔いの勢いに任せて褒めちぎった記憶があります。
その頃の彼女はまだ元気そうでした。

案の定卒論の進みが悪い彼女を心配し、
いつめんのグループLINEでは、
「いつまでだからね」
「頑張って終わらせるんだよ〜」と
励ますLINEが送られていました。

ある日のゼミ会。
ゼミの準備で早めにきていた私といつめんAのところに
1通のDMが届きました。

「○○が亡くなりました。
仲が良かったと聞いています。
情報提供をお願いしたいので警察に連絡先を
教えても良いでしょうか。」

彼女のお姉さんからの連絡でした。


頭が真っ白になりました。
言葉が理解できませんでした。

え、これからゼミに来るんだよ?
亡くなったってなに?

手の震えが止まりませんでした。


もうひとりのいつめんBとも集合しましたが、
わかっていることはDMでの情報のみ。
どこにいるのか、今どうなっているのか、
なぜいなくなってしまったのか、
わからないままでした。


ゼミの時間になったので、事を確認するべく
ゼミ室へ向かい、教授に話を聞きました。

「私のところにも話が来ました。
とりあえず今日のゼミは中止です。
なんで、、こんなことに、、、、」

教授も泣いていました。
私たちも呆然として言葉が出てきません。

そのまま学部棟でぼーっと時間を過ごしていました。


夕方になり、ご家族の方が大学を訪れました。
荷物をまとめ、葬儀のために彼女を実家に
連れて行きます。とのこと。
最後のお別れをしたいと願い出ましたが、
警察に身柄が抑えられているので難しいとのことでした。


私たちは泣きました。
教授たちがぼろぼろ泣いていたから私たちも
泣けたのかもしれません。
ただただ、彼女がいないことが信じられませんでした。


その日から私たち3人は一緒に生活しました。
お互いひとり暮らしでとてもひとりぼっちでいられる
心の状態ではなかったからです。

「ご飯食べないと元気がでないよ!!!」

そんなことを言ってみんなでうどんを作りました。
美味しかったです。でも彼女がいません。

みんなで寝るころ、
「なんで死んじゃったんだろうね」
「私たち何かできたかな」
「卒業旅行みんなで計画したじゃん」
ぽつりぽつりと語り合った夜でした。



後日、同じ学科の同期が集められ、
話が全員に届きました。
みんなの泣きすする声苦しかった。
何かあったらカウンセリングもできるから
すぐに連絡して、とケア体制も敷かれました。
ひと通り説明が終わった後、教授は部屋を出て
現場は私たちに任されました。

みんなが泣いていると思ったとき
私は笑おうと思いました。
涙をぼろぼろこぼしながら笑ってみんなの前に
立ち、話をしました。

なにが苦しかったんだろう、なにができたんだろう
もっとこんなことやりたかった
伝えたい言葉がいっぱいある
でももうサヨナラなんだって
実感湧かないけどサヨナラなんだって

私たちは彼女にお別れをしに彼女の実家へ行きます。
一緒に来てくれる人がいたら一緒に行こう。
行けない人はぜひお手紙とかプレゼントとか
思いを必ず届けるので用意して欲しい。

つらいのはみんな一緒だから
なんかあったらお互いを頼ろうね


そんな話をした気がします。

その会の後、
何人かからLINEが届きました。

「一番つらいはずのおぬたちが笑顔だったから
私たちも前向かなきゃって思ったよ。」
「おぬたちも無理しないでね。」
「すっごいかっこよかったよ。頼れる姐さんだった。」
「みんなの前で伝えてくれてありがとう。」

優しい言葉だらけでした。
私はみんながつらいときこそ先陣切って
頑張るタイプだったな。
そしてそれを支えてくれたのが友達だったな。


それから葬儀の日まで私たちは
一緒に生活しながら、アルバムを作りました。
ずっと一緒にいたので、使う写真が多すぎて
迷いながら作りました。
作りながら涙が止まりませんでした。


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葬儀当日。
雪の降る中、彼女の実家へお邪魔しました。
彼女そっくりなお母さんと気さくなお父さん、
連絡をくれたお姉さんとお兄さんがいました。

彼女の顔を見たら涙が止まりませんでした。
安らかな顔とはとても言えないと思ってしまいました。
少し苦しそうで、
痛かったんだろうなつらかったんだろうなと
思ってしまいました。
それがつらくて余計に涙が止まりませんでした。


彼女はまだ夜が明ける前、駅のビルの屋上へのぼり
そこから飛び降りたと聞きました。
発見者の方が119番通報してくださった頃にはもう
亡くなっていたそうでした。
顔や体の損傷がひどく修復に時間がかかったそうです。

みんな泣いていました。
お姉さんは途中で堪えきれず
部屋を出て泣き崩れていました。

ひとりの若い死はこんなにもたくさんの人を
悲しませるのかと思いました。


無事彼女は葬儀を終え、天国へと旅立ちました。


私たちは十分に心の傷を癒せる間もなく
4月から各地の学校に赴任しました。

「友達ひとり救えなかった私に何ができるだろう」
「このまま養護教諭をしてていいのか」
「でも彼女のためにも頑張って仕事しなければ」
そんな不安や葛藤を抱えながら。


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若い人の死、身近な人の死は本当に
周りの人に胸を裂かれるような苦しさを与えます。
いちばんつらかったのは亡くなった本人。
それでも、自分が大事に思ってた人が
苦しむのはきっと本人も見たくないはず。

私もこの状況になってから何度も死を考えました。
どうしたら迷惑をかけずに死ねるか。
どうしたら確実にいなくなれるか。
もう死のうと考えるたびに思い出すのが、
彼女が亡くなったときの苦しさです。

私の大事な人たちにあんなつらい思いをさせたくない。
その思いが私の死への行動をなんとか止めています。
死にたいと思う気持ちは止まらないけど、
実行への歯止めにはなっている気がします。


○○、あなたの死がわたしを、わたしの大事な人を、
救ってくれているよ。ありがとうね。

はやく会いたいね。大好きだよ。


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