『ブラック霞が関』 千正康裕
【前文】
以下は繁忙期の財務省主計局でされている会話だ。
『「ゆうべはオークラですか?」と尋ねると
「僕は帰ったけど泊まったやつもいる。今夜は長いよ。」』
【庁舎地下のホテル「オークラ」】毎日新聞2020年12月8日朝刊8面
オークラといえば、港区虎ノ門にある41階建ての高級ホテル『ホテルオークラ』を普通思い浮かべる。
が、官僚の言うオークラは、それとは違う。
オークラとは財務省地下にある職員用の仮眠室のことなのだ。旧名称の大蔵省をもじって名付けられた。
予算編成の際は休日返上で早朝から深夜まで休みなく働き続けなければいけない。家に帰る時間もないため仮眠室で、夜を過ごす。
このようなブラックな働き方は財務省の官僚に限った話ではない。
どの省庁の官僚も長時間労働に苦しんでいる。
昨年、ある事件をきっかけに怒りを爆発させた官僚達のSNSへの投稿を皮切りに、そのブラックな労働環境が世間に知られることになる。
そのある事件とは
国民民主党の森ゆうこ(現立憲民主党)参議院議員の質問通告遅延問題である。
2019年10月11日。記録的な勢力の強さをもった、台風19号が東京に接近していた。気象庁は早めの避難を呼びかけ、厳重に警戒するよう呼びかけた。
翌日の12日はデパート、スーパー及びコンビニ等が休業したほどだった。
しかし、このような帰宅命令出ているにも関わらず、官僚は、森が質問通告の期限を守らなかったため、自宅に帰ることができなかった。
質問通告とは、議員が国会の場で行う予定の質問を事前に行政側に知らせておく、というものだ。
国会の運営や官僚が業務を遂行するために、予め行う質問通告には期限が決められているのだが、森はそのルールを破ったのである。
森は形式的には時間を守ったとしているが、常識を欠いた下品な言い訳だ。国民の命を守るべき国会議員の発言ではない。
この事件の経緯について詳しく知りたい方はこれを読んでください。
『森ゆうこ議員質問通告問題に見た、国民民主党の危うさ』
https://news.yahoo.co.jp/byline/azumiakiko/20191018-00147340/
『質問通告めぐり「漏洩」と“逆ギレ”、官僚“犯人捜し”に走る野党』
森は、勘違いが積み重なった不幸な出来事として、非を一切認めなかった。
結局、この件を質問通告漏洩問題に話をすり替え、森は逃げた。
質問通告の期限を守らないのは森だけの問題ではない。
かなりの数の国会議員なかでルール違反が常態化している。
今までも当たり前に行われていたが、今回初めて台風19号のおかげで世間的に注目を集めた。
森自身はいつも通り行動したが、タイミング悪く台風が来てしまった。
彼女にとっては、単に不幸な出来事に過ぎないため、罪の意識が全くないのだろう。道徳的にはいかがなものか、と思うが。
ちなみに、森ゆうこ事件の際に、元財務官僚で、国民民主党の代表玉木雄一郎は自身の経験を踏まえてこう述べている。
本書は元官僚が書いた嘆きの書である。
度を超えた長時間労働に疲弊した官僚が、職場を去る。
なぜ、こんなことが起きているのか。
どうやったら解決できるのか。
現在の行政及び国会のシステムの数々の問題点が浮き彫りになる。
死屍累々の官僚の呻き声。
この声は誰に届くのか。
そして、官僚はどこに向かうのか。
読んでいきたいと思います。
【要約】
著者は官僚がブラックな労働をせざるを得ない
原因として以下の5つの点を挙げている。
①「霞が関フルスペック人材」の減少
「霞が関フルスペック人材」とは、平日の深夜早朝はもちろん、土日もフルで働くことのできる人材のことである。
このような超人のような人材が官僚が減っているという。
現在の働き方改革の一環で、定年延長、介護休暇、育児休暇など仕事をする上で配慮の必要な人材が増えている。
予算の関係で全体の定数は削られ、「霞が関的フルスペック人材」の割合が低下しているのだ。
『……高齢でもない、子育てや介護などの事情も抱えていない、健康に不安もない、そういう「霞が関的フルスペック人材」の20代、30代の職員が減ることである。全体の半分以上が「要配慮者」にならざるを得ないような職場で仕事が回るわけがない』(Kindle版529頁)
かといって官僚の仕事量が減っているわけではない。手続関係が煩雑になり、むしろ彼らの仕事は増えているのだ。
『本省での仕事は重要な政策を担当するのでプレッシャーも大きいし、政策作りには意見調整がつきものなので、国会対応、審議会対応、メディア対応など外部とのやりとりも非常に多く、特に国会開会中は24時間土日も含めた対応が求められる。このため、本省の幹部・管理職のポストは、仕事ができる上に体力・精神力の面でも家庭環境の面でも、24時間365日対応ができる職員ばかりで埋め尽くされる』(Kindle版1,718頁)
このような状況下では、「霞が関的フルスペック人材」ばかりにしんどい仕事を押し付けられることになる。
一部の人達ばかりにしんどい仕事が回ってきて、何年も働き詰めになる。
その結果、しんどさに絶えられず、辞めてしまう、ということになるのだ。
②国会質問におけるルール違反
国会質問をする際は、事前に省庁に質問を伝えるのが通例となっているが、この質問の提出期限を守らない国会議員か非常に多い。
『……質問通告のタイミングは与野党の申合せで原則2日前の正午までに行うこととされているが、その期限が守られることはほとんどなく、前日の夕方から夜にかけて通告されることが多い……事前通告が前日の夕方から夜にかけてなされる限り、深夜から明け方までの対応が必要になり、官僚の睡眠時間は削られ続ける。』(Kindle版551頁)
他にも、国会議員の質問のやり方にも問題がある。
国会議員の中には、『新型コロナウイルスの対応について』など大雑把な項目しか伝えてこない場合がある。
これでは国会で具体的にどんな質問が来るのか分からない。
しかし、官僚はどんな質問が来ても対応できるようにしなければいけない。そのため、大量の想定問答の作成するのだ。
官僚の質問はあくまで想定問答のため、実際には不要な問答を作成するという非常に無駄な作業を強いられるのだ。
なお、このような国会対応に時間を割いていたとしても、自分の業務は変わらずに残り、精神的にも肉体的にも追い詰められるのだ。
なぜ、国会議員が質問時間を守らないのか?
国会システムそのものに不備があるのだ。
国会の日程があらかじめ全然決まってない。
そのため、突然国会質問をしなければいけないケースがあり、国会議員の方も準備時間がほとんどないこともあるのだ。
時間がないから、質問提出の時間も遅れてしまう、ということなのだ。
③フォローアップ作業
フォローアップ作業とは、政策の進展を定期的にモニタリングして公表する作業である。
このフォローアップ作業というのは、パッケージに盛り込まれている100以上の細やかな政策の一つ一つについて各省庁の担当者に進捗を確認して一つの資料にまとめる
『国会とは別に、若手を疲弊させる意義の乏しい作業の中に、政策パッケージのフォローアップ作業というものがある……働き方改革、人生100年時代の人づくり革命、就職氷河期世代支援プログラムと、毎年、内閣官房に各省から精鋭が集められて政策パッケージがまとめられている……毎年パッケージに盛り込まれた無数の政策がどの程度進捗したかをまとめて発表する「フォローアップ」の作業が続く。……創造性は必要ないものの手間と時間は非常にかかる』(Kindle版629頁)
④異常に多いコピー作業。霞が関に未だに根深く残る紙文化
官僚の作成する国会質問の答弁書は膨大になることが多いのだが、この答弁書を必ず紙で返答しなければならないこととなっている。若手は常に大量のコピー作業に追われている。
『……最後に大きなダブルクリップで書類を束ねる。それを封筒に入れて省内の必要な部署、首相官邸や国会議事堂に届ける。夜中の3時、4時に答弁書を届ける官邸たちが自転車で霞が関・永田町を走り回っている』(Kindle版632頁)
⑤不祥事への対応
森友問題や加計問題などの問題が起きた場合官僚たちはその対応に追われることになる。
『不祥事が発生すると業務量が異常に跳ね上がり、応援に入った職員も含めて超長時間労働が常態化する。応援を出した部署も人が減るので同様のことが起こり、組織全体にしわ寄せが生じる。特に、24時間土日対応可能な仕事のできる職員は、重要政策の立案→不祥事対応→遅れた重要政策を突貫工事で対応、という生活サイクルになり、疲弊する。』(Kindle版1,740頁)
『……対応のために多くのエース級の職員が不眠不休で対応して、組織が傾くほどの影響が出ている。それでは、組織の対応力が落ちて別の不祥事が起こりうるし、不祥事対応以外の重要な仕事が止まってしまう』(Kindle版1,755頁)
著者は以上のような問題点の解決策としては、ペーパーレス化や政策評価を他の機関への外注の提案などを挙げていた。
【評価】
元官僚が書いた本というのはたくさん出版されています。
その手の本で一番多いのは、内部事情暴露して、外野から行政組織の批判、というやつです。
外務省、経産省や財務省出身の人たちにお決まりのパターンです。
この手の批判は出世競争に負けた人の行う恨み辛みが見え隠れして一切読む気がしないのですが、本書はそういった類のものとは一線を画しています。
本書は非常に誠実です。
実体験を混じえて、丁寧に問題を取り上げているため説得力があります。
官僚の見えにくかった労働問題に光を照らし、問題の可視化に成功している。
実は官僚は弱者であった。
信じられないが本書を読めばこれは事実であることがわかります。
これは著者が厚労省出身だからこそ書けた本なのかな、と思います。現役時代に行っていたフィールドワークの姿勢がモロに現れています。
さて、著者の経歴及び近影を紹介したいと思います。
著者は慶應義塾大学卒業後、2001年4月に厚生労働省に入省し、2019年9月30日に退官しました。
官僚時代は以下の法律の作成に携わった。
『年金積立金管理運用独立行政法人法
建設労働者の雇用の改善等に関する法律
児童福祉法等の一部を改正する法律
平成22年度の子ども手当の支給に関する法律
民法等の一部を改正する法律
再生医療等の安全性の確保に関する法律』
現在は、㈱千正組の代表取締役を務め、講演会や政策提言等を行っているそうです。
noteもやっているみたいですね。
https://ameblo.jp/senshoyasuhiro
本書が誠実であることは先程述べたが、著者自身のパーソナルな部分まで踏み込んで語っているのに大きく驚きを覚える。
長期休職の過去まで話している。彼自身もブラック職場の犠牲者だった。
このエピソードを入れることによって問題の切実さが増している。
著者の経験からも必ず解決しなければいけない問題なのだという、本気度が伝わってきた。
さて、このブラック官僚問題を解決しようと本気で取り組んでいるのが、河野太郎行政・規制改革大臣です。
若手官僚の残業時間を定量的に調べ上げ、データで公表した。このようにファクトを示すことができたのは大きい一歩である。
議員レクのオンライン化、答弁書はメールで送る等、デジタル化の推進ができれば、大きく改善できるかもしれない。
これは、発信力及び行動力のある河野だからこそできるのかもしれない。
紙文化の廃止。これは河野が支持している行政文書におけるハンコ廃止とも親和性が高い。
『危機に直面する霞ヶ関』
『河野大臣「優秀な官僚が霞が関を去るのは問題」。働き方改革で夜10時以降“閉庁”求めた署名受け取る』
https://www.itmedia.co.jp/news/spv/2012/04/news133.html
【批判】
本書の官僚の視点で誠実に書かれていることは評価すべき点は弱点でもある。
官僚特有の意識が全面に出ている。かなり保守的なのだ。
例えばトップダウンの否定。
また、コロナにおける政権の対応批判もあった。これについて対案が示されているわけでもなく、アイディアには乏しい、と少し感じた。
『国民の関心の高い重要政策ほど、トップダウンで急に決定して作業が降ってくる。そうなると、役所の幹部は右往左往するし、作業部隊は全てそれに引っ張られる』(Kindle版1,763頁)
官僚がニーズを拾い上げていることももちろんだが、政治家だって色々している。安易にトップダウンは否定するべきではない。
官僚にありがちな調整型の性格なんだとよくわかる。
『本来は国会議員と官僚の戦いで決めるのではなく、与党内に行政改革に取り組んでいる国会議員を集めて会議体を作るなどして、役所から事業の実施状況や成果に関するデータや材料を出させた上で、外部コンサルタントなども活用しながら政治家同士が議論をして決めるのがいいのではないかと思う』(Kindle版1,815頁)
これは、そもそも前提が間違っている。
建設的な議論が不可能だから事業仕分けが出たのである。
最初から簡単にできたら事業仕分けになってない。
著者の評価する事業仕分けこそトップダウンの現れの政策であり、矛盾している。
あと、もう一点気になる記述があります。
『……タブレットPCは国会のルールで認められていないのだ。衆議院では各委員長の持ち込みで判断が可能とされているが一部野党の反対で実現されていない』(Kindle版640頁)
本文では一部野党の反対で持ち込みが不可能と書いています。
しかし、新聞記事では与党が認めなかったとかいてる。
『衆議院の各委員会でタブレット端末の使用解禁へ 質疑や答弁中の通信は禁止』
https://www.itmedia.co.jp/news/spv/2011/25/news140.html
衆院本会議ではタブレット持込禁止! 根拠は20年以上前の「申し合わせ」
これはどちらが正しいのか分からない。もちろん本会議と委員会の違いというものもあるだろうが、新聞報道を読む限り野党の方が推進しているように思える。
どちらにしても改善が進んでいるようでよかった、と思う。
【提案】
さて、本書を上から目線であれこれ語るだけもどうかと思うので一つ提案したいと思う。
それは質問書及び提出時間の公開である。事後的にでも可能とする。
是非ともやるべきである。
近年、国会議員の個別の能力は有権者からでは判断しにくい。最近ではスキャンダルの有無でしか語られなくなっている。これは非常に危険な状態である。
質問主意書の公開により国会議員の質問のレベル、がわかり有権者としても能力の有無を判断できる。
有権者が別の判断基準として
国会議員側としても自分の能力をアピールできる絶好の機会である。
また、ルールを守らない国会議員など誰も信頼できない。
前文において、森ゆうこ議員は質問主意書の漏洩を取り上げていたが、はっきりいってこれは何も問題ではない。
国会で質問するのだから、隠すような問題点はないのだ。
それに抵抗感を感じるとしたら、事後的な公開ならば、問題はないはずだ。
想定問答と質問主意書を合わせて公開するのも良いと思う。
どれだけ官僚が国会議員に振り回されているか、よくわかる。
さてさて、色々語らせてもらったが、かなりの良書であることは間違いない。新書であることからさくっと読むことも可能。
オススメの本です!