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お囃子に送られて

この地に引っ越してきたのは、2020年3月の下旬。
未知のウイルスがじわじわと蔓延しはじめたころだった。

引っ越しそうそう、原因不明の体調不良になった息子は、川崎病と診断されて、すぐに入院をした。付き添いでほぼ眠れない日々。はちきれそうな不安と、決定の連続。あの時間をどうやって乗り越えたのか、うまく思い出すことができない。

さいわい、早期の免疫グロブリン療法を受けることができ、二週間たらずで退院した。お世話になった医師や看護師、医療従事者の方々へ、どれだけ感謝してもしつくせない。勇敢で、とてもやさしかった。人間ってすごい、と感動した。

ほっとしたのも束の間、それから半年以上、息子のぜんそくが続いた。コロナ禍も加速し、気の休まらない日々だった。

   
    ***


近所に紅葉八幡宮という神社があった。
境内の下には公園があって、横にはこんもりとした紅葉山がある。

どこにも行けないとき、いつも子どもたちとそこに行った。セミやチョウを捕ったり、ピクニックをしたり。土地勘のない私たちを、その神社はいつでも歓迎してくれた。

名前のとおり、紅葉の名所だったが、わたしは真っ赤な紅葉よりも、緑色の、とりわけ新緑の葉が好きだった。その清澄な葉はまるで、きんと冷えた小川のようで、目にしただけで心中に涼しげな風が通りぬけていく。

不安で詰まりがちな胸が、すうっと流れていくようだった。

春はいちめん桜が咲いて、夏はセミの大合唱。


シャイなせいで、なかなか友だちのできなかった息子が、友だちとはじめて待ち合わせをした公園。最初は怖がって、上まで行けなかったジャングルジムも、いつのまにか、するするとてっぺんまで登れるようになっていた。

花見にセミ捕り、夏祭り。紅葉祭りに、節分祭。真夏の子ども神輿では、赤い法被にばしゃばしゃと水をかけてもらった。七五三詣には、私の着た古い着物を娘が着て、社を背景に写真を撮った。

右も左もわからなかった私たちを、ずっと見守ってくれていた。

 

    ***


今夏、この場所をはなれることになった。
福岡から東京へ。

その日、最後の夏祭りだった。
気がつけば、子どもたちには、それぞれ大事な友だちができていて、境内を歩けば顔見知りに会って、手をふって、あいさつをして、またわかれた。

夜神楽のお囃子を聞きながら、帰ろうかと、階段を一段一段おりていく。さっきまで明るかった空はいつのまにか暮れていて、提灯に黄色い明かりが灯っていた。

背中から聞こえるお囃子の音が、少しずつ小さくなっていく。寂寥をおぼえ、思わずふりかえって写真を撮る。わたしの、この夏の一枚。

ありがとう。またいつか。
新しい地でも、素敵な出会いがありますように。


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