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今の仕事観について

人生初の無職生活、そして仕事さがしが始まった。
パートナーが週3日在宅勤務をしているので、わたしもがんばろう!という気にさせてくれる。それでも、無理はしないように。

今回は、転職して2ヶ月で適応障害になり、そのまま退職したわたしの、今の仕事観について話してみようと思う。



適応障害になるまでの仕事観

もともと転職しようと思ったきっかけは、やりたいことへのチャレンジだった。新卒で入った会社は残業ほぼなし、フレックス、服装自由のホワイト企業。給与も地方にしてはそれなりに良く、長く働ける環境ではあった。

ただ、新卒の就職活動ではなかなか上手くいかず、憧れていた業界・仕事がわたしにはあった。
その仕事に再チャレンジするべく、オンラインスクールに高いお金を支払い、スクールでの勉強も、その後の転職活動も、かなりがんばった。

当時は、自分のやりたいことに挑戦し、成長し、たしかなキャリアを築いていく、それこそが社会人人生の全てだと思い込んでいた。

目標に向かって努力することは好きだったし、何より結果が出れば他者から認めてもらえる。それが快感だったんだと思う。ラッキーなことに、大学時代はそういった成功体験が多くあり、自惚れていた面もあったのかな。
いつの間にか「成長」という言葉が自分の人生の軸になっていた。

「成長」に取り憑かれてからは、そういった情報ばかり目に入るようになった。SNSを開くと「⚪︎⚪︎しないと人生詰む!」といった見出しが目に飛び込んできて、思わずタップする。そこまで激しいものじゃなくても「朝活ルーティーン」みたいなキラキラvlogを見ると、充実した生活を送らなきゃ、意味のあることをしなきゃ、そんな焦燥感に駆り立てられた。
しかし、当時のわたしは不安を煽られているということに気づかず、努力、成長が好きだから、積極的に情報を取りにいっているんだ!と思っていたのである。なんて恐ろしいことだろう。

当然、仕事にも「スキルアップ」「キャリアアップ」というものを求めた。バリバリ働いて、しっかりお金を稼ぎ、どんどん評価を上げていかなければ!それが働くということにおいて、何よりたいせつなことなんだ!というように。


療養を通して気づいたこと

仕事をバリバリこなすぞ!と思っていたのに、わずか2ヶ月でわたしはダウンした。

(詳しい経緯は以下より)

休職期間に入って直面した問題。休み方がわからない。
これまでの休日は、運動や勉強、家事などの意味のあることに時間を割いていた。疲れたらダラダラSNSやYoutubeを眺める。そんな生活を送っていたら、自分の趣味や好きなことがわからなくなっていた。


やがて、休職してからしばらく経つと、すこしずつ思い出してくる。
わたし、癒しをくれるようなかわいいものが好きだったな。読書をすると本の世界に没頭できるな。掃除をして、料理をして、何でもない日常を送ることが何よりたいせつだったな、と。

何かにチャレンジして成果を得ることはたしかに立派なこと。しかし、こうやって好きなものを見失うまでのめり込んだり、心身に悪影響を及ぼしてしまっては意味がない。プライベートの時間を削ってまでも、わたしは仕事がしたかったのか…?いいや、そんなことはない。ただ承認欲求を満たす手段が欲しかっただけということに気づいた。

仕事を通してしあわせにしたかった何かや誰かがいるわけではなく、得たかったのは自分の評価、利益。そんな目的で野望をもったところで、すぐに打ちひしがれるのは、今考えてみれば当然のことだったろう。



これからの仕事、わたしの人生

かつて、人生のモットーにしていたこと。気づけば忘れていたこと。
それは、綺麗なものを綺麗と言える心をもちつづけること。

適応障害を患っていたときと、「もう大丈夫」と思えた今では、目に映る世界が全く異なっていた。
彩度が低くなるというか、認識できる色の数が違う。
あの霞んだ世界は、もう味わいたくない。
この景色を、心が動かされる感動を、自分で守っていかなきゃ。


これからは、自分を支えてくれるひと、目の前にいるひとたちをしあわせにする、というのを人生の使命にしたい。
仕事はあくまでも、その使命を果たすための手段でしかない。

これは、だから仕事なんて適当にやっていればいい、という意味ではない。
与えられた役割をこなす対価として報酬が得られるのだから。

ただそこに、仕事ができない=自分の価値がない、というような、自分の評価は介在させない。
大事なひとたちをたいせつにするために、目の前のことに真摯に取り組み、お金を稼ぐ。そういうものが仕事なんだ、とこれからの人生においては定義づけたい。

変わらず好きなものを愛しつづけられるように。
好きなひとの笑顔を守れるように。


不器用でマイペースなわたしは、これまでも何度も間違ってきた。急に走り出したと思ったらいつの間にか挫けて後退していて、まあ器用なひとたちから見れば滑稽な歩み方をしていると思う。

社会に出て、気がつけば3年。本来であれば、就職活動の自己分析のときに気づかなければいけなかったような仕事との向き合い方を、ようやく見つけた。


しかし、社会人人生はまだまだつづく。
適応障害になって気づけたことを、自分のなかで抱きしめて、たいせつに、また新たな一歩を踏み出してゆきたい。


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