できるだけ多くの人が幸せになる『しくみ』をつくる ~2022年初頭の覚え書き~
あけましておめでとうございます★
昨年noteを始め、様々な方々にお読みいただき、ありがたい限りです。
新年の抱負…という程でもないですが、現在思う自分の「ミッション」を、三が日のうちに覚え書きしておきます。
1 今、自分の中にあるミッション
「できるだけ多くの人が幸せになる『しくみ』をつくる」
今はそう考えています。
現在、学校の教員をしているわけですが、
自分に内在していたミッションに気付いたのはここ数年です。
おそらく、ぼんやりと、無自覚的に、このミッションのような志向が自分にあったことから
今の仕事に就いたのだと思っています。
2 「ミッション」と「教育」
まず、「教育」の意味を確認します。(さっとググります笑)
この定義付けの表現で特に重要な部分を挙げるとすれば、おそらく、多くの場合は「能力を伸ばそうと試みる」方が着目されがちですが、現代で問い直すべきは「望ましい姿」でしょう。
この定義に引きつければ、「望ましい姿」が変われば、それに伴って教育の在り方は変わることになります。
かつての「望ましい姿」は、経済成長をする共同体(国)における公民となることで、概ね相違なかったと考えられます。
その中で、教育制度は大きな力を発揮しました。
が、経済成長しきった今、社会は変わりつつあり、「望ましい姿」は問い直されています。
教育も見直される時期がとうに来ているはずですが…
高度経済成長期に最も効果を発揮した「画一的に教育する制度」が、基本的に今もそのままなのは、皆さんも周知の通りです。
変えたい、と思っている人は少なからずいますが、公教育の多くを担う公的機関は、基本的に変化しにくい組織構造をしています。安定が重要だからです。
しかし、環境が変化するならば、自身も変化しなくては絶滅する…はずですが、安定をねらった制度が足かせになっています。
変化のためには一定のコスト(労働力含む)が必要ですが、安定のため、また「無駄を省く」ことを徹底してきたために、変化のために必要なコストまでカットしてしまい、変わるに変われないのが多くの現状でしょう。
3 「幸せ」と教育
自分は…自分だけではないと思いますが、「望ましい姿」は、「幸せに生きる姿」だと考えています。
幸せに生きるためには、幸せに生きるため力を自分で絶えず育くんでいく…そんな子ども時代の経験を積み重ね、大人になることが、幸せに生きていく近道ではないかとも思っています。
(「幸せ」論については、別途議論が必要ですが、ここでは一旦置いておきます)
そんな幸せのために、教育の充実は欠かせません
しかし、現状の教育制度では、例えば自己選択・自己決定が限られてしまうなど、幸せに生きるための力が、多くの人に十分育まれる環境とは、残念ながら言い難いです。
不十分な子ども時代を過ごした人が、そのまま大人になり、子どもを育てられない…不のサイクルとなってしまいます。
逆にいえば、子ども時代が幸せになることで、成長した大人も幸せになる、その大人が、次世代を育てる…持続可能な「幸せ」につながります。
ここで、教育の定義づけに戻ります。
教育の「望ましい姿に変化」を、「幸せに生きる」に置き換えてみると…
ある人間が幸せに生きるために、身心両面にわたって、意図的、計画的に働きかけること。
となります。
このように見ると、教育は「幸せになるための『しくみ』」であるといえます。
自分が教員という職業でいるのは、変わりにくい大部分があるにせよ、学校教育が「幸せになるための『しくみ』」である可能性をもっているから、という面が大きいです。
4 「できるだけ多くの人が幸せになる『しくみ』をつくる」には?という課題に向き合っているものの…
では、具体的にどうするか…
もう、ここ数年来の課題です笑
そのために、ここ数年は教育界において多面的な活動…論文や書籍の執筆、研究発表、何より本業の充実に注力してきました。
ただ、それだけでは何も変わらないようにも思っています。
しかししかし、大きく変えるには、小さなものの積み重ね以外に無いような気もします。
Noteはその小さなアクションの1つです。
今年も日々問い続け、動き続けていきたいと思います。
何だかまとまりのない投稿になってしまいましたが、三が日の内にupできて良かったです。
最後までお読みいただきありがとうございました★
今年もよろしくお願いします^^
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