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While sipping on some tea,Let's Noh~取り留めなき8億4千万の思考の儚さよ

温めのお茶を飲みながら、能楽について考え事をしていました、

それは、ドМでもなくドSでもない、ドNを感じることかな~って、ジ○○ーズやL○Hじゃなくて芸能の祖は観阿弥、世阿弥だよな~って、8ビートで言葉遊びのリリックやったのって世阿弥だよな~って、霊だのお化けだの、または心に住まわる精神的な苦悶を浄める歌劇でもあり、科学的にもセラピー効果が証明されてんだよな~って、・・・グダグダと思考していました、

大阪に在住の、平井クリニックの平井孝男先生の能楽に関する論文がネットから拾えて読めます、「能と心理療法」という題で、カウンセリングと能楽との関連性について書かれています、この手の内容、読めますし、理解ができます、

「求塚」という演目を知りました、内容的にはかなりの悲劇です、しかも悲劇お持ち帰りシリーズです、イケ女に惚れた二人のメンズがいて、メンズを競わせますが、イケ女が命を絶つとメンズ二人も後を追うという・・・、イケ女の心の苦しみのうちで語られたのが、「されば人、一日一夜を経るにだに、八億四千万の思いあり」・・8億4千万の念やら思考・・・昔読んだ何かで聞いた、ひろみ郷・・・、あれは2億4千万か、親鸞聖人の時代、さらに調べると善導大師と出てきた、ここまでは知らなかった、なるほど、

「されば人、一日一夜を経るにだに、八億四千万の思いあり」という能楽の謡いは、仏教的な思想に基づいています。これは、1日の間に人が非常に多くの思い(念)や思考を持つことを表現しており、その膨大さを象徴的に示しています。

科学的・統計データに基づく人間の思考

実際に、人間が1日にどれだけの思考をするかに関しては、いくつかの科学的な研究や統計データがあります。

1. 人間が1日に行う思考の数科学的な推定
: 神経科学や心理学の研究によると、1日に人間が行う思考の数は約6万〜8万回と推定されています。これは、1分間に40〜50の思考が浮かんでいる計算になります。

無意識的な思考:
多くの思考は意識的なものではなく、無意識に行われるものです。例えば、記憶の整理や感情の処理など、日常的な思考の多くは、意識的にコントロールしていない自動的なプロセスによるものです。

2. ネガティブな思考とポジティブな思考の割合ネガティブな思考の割合:
一部の研究によると、人間の思考の約80%がネガティブなものだとされています。これは、進化の過程で生存を確保するために危険やリスクを回避することに重点が置かれているためです。

反復的な思考:
また、人間の思考の95%は、前日と同じ内容の繰り返しであるとされています。これは、既に学んだことや経験したことを繰り返し考えることで、効率的に生活を送るためです。

思考の種類

人間の思考は、さまざまな種類に分類されます。以下は、主な思考の分類です。
意識的な思考:
日常的な意思決定や問題解決、計画を立てるなど、意識的に行う思考。
無意識的な思考:
習慣的な行動や感情の処理、記憶の整理など、無意識に行われる思考。
反芻思考:
過去の出来事を繰り返し考えること。特に後悔や心配など、ネガティブな内容が多い。
創造的な思考:
新しいアイデアや問題解決のための発想、アートや音楽など、創造性を発揮する思考。
感情的な思考:
感情に基づいて反応する思考。特に人間関係や自己評価に影響を与える。

日本人の民族性と思考

日本人の思考は、歴史的、文化的な背景によって特徴的な傾向を持つとされています。以下は、そのいくつかのポイントです。

集団主義的な思考:
日本人は、集団や社会の調和を重視する傾向があります。このため、他者との関係や社会的な役割に基づいた思考が多く見られます。
集団内での協調や調和を優先し、個人の意見や欲求を抑える「忖度(そんたく)」や「空気を読む」といった思考パターンが強く影響しています。
内省的な思考:
日本文化は、内向的で静かな思考を重んじる傾向があります。これは、禅や仏教の影響を受けており、個人が自己と向き合い、内面的な成長を図ることが重要視されているためです。
能楽や茶道、書道などの伝統文化でも、精神的な集中と内省が重視されています。
控えめな思考:
日本人は、自己表現において控えめであることが美徳とされています。自分を前に出さず、謙虚であることが求められ、そのため、他者の感情や反応を考慮した思考が多くなります。
自己主張を抑え、他者の意見に耳を傾ける「和を以て貴しとなす」という考え方が根付いています。
ネガティブな思考の傾向:
日本では、過去の失敗やリスクを繰り返し考える「反芻思考」が比較的多いと言われています。特に、責任感の強い社会であるため、自己批判的な思考や、失敗への恐れが強調されることがあります。

まとめ

科学的なデータによると、人間は1日に6万〜8万回の思考を行い、その多くは無意識的なものです。日本人は特に、集団主義や内省、謙虚さに基づいた思考を持ちやすい民族性があり、他者との調和や自己反省が重要視されます。能楽の「八億四千万の思い」という言葉は、これらの膨大な思考の積み重ねを象徴的に表現したものとして解釈できます。

引用 ChatGPT

そう、意識だけじゃなく無意識下が大半だったわ、こんな大昔から意識と無意識を認識できていたってことですわな、

映画観るのとは違う、リラックス状態になるのは脳をそちらへ誘うことでHPを回復するのとは違う、緊張感を得て演者そのものを感じる、

能楽師の松野浩行さんやナニワノオトさんや武田文志さんがこまめな配信をされて動画配信の中で時折実演を見せてくれたりしている、忙しい中でこういう活動されてることはリスぺであり応援してる、

修行の中では様々に、言う所の一般社会では体験しなくてもいいような理不尽な教育の過程を経るということがある、ただ振り返った時に、それは愛だったんだなって認識できるかどうかで人間性がまるで違ってくる、物心付かない頃から稽古に励み叱咤されるのは確かに苦痛かと思う、ただ途中でそれが愛だと垣間見えた人は理解しながら生成を続ける、かれこれ昔、渋谷のCLUBで勤めていた際は、頭から灰皿をかけられたり、お茶だと言ってテキーラだったり、理由もなくぶっ飛ばされたり、レモンを丸ごとかじって食えなど、色んなことがあったが、よくよく考えれば、仕事として酔乱舞して理性飛ばしたい理不尽な人間の相手をするわけで、それくらい普通に事故って当然なわけで、免疫を付けてくれてたのかなと、でもあの頃から何となくわかっていたが、それくらいせにゃ尖った所には行けんわと、

虎穴に入らずんば虎子を得ずなもので、銀座の真ん中で勤めていた頃は、朝も夜も24時間を味わった、人を簡単に判断したりしてはいけないということを学ぶ、一度地獄に落ちた人でも這いあがってくることがある、

ただ時を経て思ったのは、人生の大敗北を喫してから生き直しを考え心理学等を勉強しだす中で、自分、自己というID アイデンティティを獲得するに至ること、心理を学習しその意味を自分で咀嚼し再認識していく中で、今だから思うが父だって若い頃は出来た人ではなかったわけで、生まれや何やの縁にしろ出会ってしまったのならそれが現実なわけで、

最近、職場で愚痴や屁理屈ばかり言う後年の方たちに辟易しているという話を聞いて、咄嗟に「自分の人生を退屈なものと決めつけて、自分でそれを選んだ中で、他人に八つ当たるのはやめろ」と言ってしまった、

「おもしろき こともなき世をおもしろく 住みなすものは 心なりけり」
高杉晋作さんである、


生きるとは逆らわないこと、
しんどかったら寝ること、
腹が減ったら食べること、
庵主様の言葉を思い出す。

そもそも、この世に掟など存在するのであろうか、

友達関係であれ大人になると話がかみ合わなくなる相手もいる、近年日本での離婚率は3組に1組と統計に出てる、

高齢で声が客席まで聞こえない方の謡いや、仕舞の後で立てない方など見かける、50、60はまだまだひよっこのように伝記にはあるが、武士のようにいつ何時火攻めに合うかわからないような生活の中で生きてた人たちとでは、明らかに現代は「違う」、新陳代謝が必要だと十分に理解している中で、どこへ向かい今何をしようとしているのか、多様な性質が認められる現代で、伝えるといっても何が響くかわからない、

ジレンマ、

お茶やお花の先生だからってきちんとした人ばかりでもない、最近ネトフリで「地面師たち」というのを観たが、坊さんも人である、時間にルーズだったり、知ったかで近寄り触れてはいけない面のオモテにべっとり手垢付けたり、学ぶ側もですが、ビジネスで関わるといかんせん面倒なときもある、先生(師)であることと商売で関わった場合との一線が曖昧になったりする人(教え子)もいる、「確かにこれはビジネスですが、でも自分にとっては先生なんで」という優先順位の選択をする人もいる、これって半ば洗脳状態だし、そう依存する本人の甘さを逆手に取る方もどうかと、そんなこんな思考しだすと人って騙し合いをしているのかというようなネガモードに陥る人もいる、

ユング先生は悪について神義とは別の切り口から捉えその問題に解を見出そうとした、おっと急にマジメ路線に、いかんいかん、心というか精神というか、教わることは素晴らしいけど、

自身が知った限りの中でいうと、孤独を楽しみ継続した先に見えるものが美しい、自分自身が本当に納得のいく人生を、自分自身のための努力というのが一番の正解かと、

その時その時で能楽に対する興味関心についての答えは違うのかなと思う、

鎮魂の劇でもあるし、最終その時間を完成させるのは、その人の思考に委ねるものなのかと、よく言われますが、

一体何が言いたいのかがさっぱりわからない、それでいい、

先日、名古屋で能楽イベントに参加した。「邯鄲」について、太鼓と謡いで、身近で観ることができた。能を感じると書いて感能となりますが、そもそも感能って、

感能(かんのう)

意味: 「感能」は、「感覚」と「能力」を合わせた言葉で、感覚的な働きによって何かを感じ取り、それに対して反応できる能力を指します。この言葉は、知覚や感受性、感覚的な能力全般を表現する際に使われます。

解釈: 感能は、単に五感を通じた知覚を超えて、感情や感覚の敏感さを含むことがあります。例えば、芸術作品や自然の美しさを感受し、その美しさに感動したり、感覚的に豊かな経験をすることができる能力を指すこともあります。

使用例: 感能を持つ人は、音楽、絵画、詩など、芸術的な表現を深く理解し、感動を覚えることができる。また、周囲の環境や他者の感情を敏感に感じ取り、それに反応することが得意な人もいます。

まとめると、「感能」は感覚を通じて外界の刺激を知覚し、それに対して反応する能力や感受性のことを意味します。

引用 ChatGPT

能を観るのは敷居が高いとか言いますが、感能レベルでのことをいうのでしょうかね、

能を観るのは敷居が高い」という表現には、「感能レベル」が関係していると言えます。具体的には、以下のような意味合いがあります。

感能レベルと能楽の関係

能は、非常に洗練された伝統芸能であり、その表現方法や美的価値が現代の一般的な感覚とは異なることがあります。これにより、観客が能を深く理解し、感動するためには、感覚や感受性の発達が求められる場合があります。この感覚的な成熟度や感能のレベルが、能を「敷居が高い」と感じさせる一因になっている可能性があります。

具体的な感能的な要素

静かな美しさ
: 能は非常に静的で、動きや声の抑制が特徴です。そのため、観る側が細かいニュアンスや象徴的な動き、間(ま)の美しさを感知する感能が求められます。これは、能の独特なリズムや美学に慣れていない人には、理解や感受が難しいかもしれません。
象徴的な表現
: 能は、現実的な描写よりも象徴的・抽象的な表現が多く、能面や衣装、音楽、詩的な台詞のすべてに深い意味が込められています。これを感じ取り、楽しむためには、高度な感能が必要です。
文化的背景
: 能は日本の伝統的な文化や精神性を強く反映しており、これに対する知識や感覚的な理解が求められます。現代の生活から離れた精神性や古典的な美意識を感受する感能が高いほど、能の鑑賞が豊かなものになるでしょう。

敷居が高いと感じる要因

「感能レベル」が原因の一つであるとはいえ、「能を観るのは敷居が高い」と感じる理由は、他にも以下のようなものが考えられます。

伝統芸能への慣れのなさ
: 現代のエンターテインメントとは異なり、静的でゆっくりとした展開が中心となるため、初めての鑑賞者には難解に感じられることが多いです。

専門用語や歴史的背景
: 能には古典的な言葉や歴史的背景があり、これらを知らないとストーリーの理解が難しい場合があります。

社会的なイメージ: 能は格式の高い芸術としてのイメージが強く、鑑賞するためには知識や経験が必要だと感じる人も多いです。

まとめ

「感能レベル」という点から見ると、能楽の細かな美しさや深い意味を感じ取り、理解するために、高度な感受性や文化的な知識が必要とされる場合があります。それが、「能は敷居が高い」と言われる一因かもしれません。ただし、必ずしも高度な感能を持っていなくても、能の世界に徐々に触れながら、その魅力を楽しむことができるようになります。

感能を高めるにはどうすれば?

感能を高めるためには、感覚や感受性を鋭敏にし、より深いレベルで物事を感じ取る能力を養うことが必要です。これは日々の生活の中で意識的に感覚を磨く練習を取り入れることで可能になります。以下は、感能を高めるための具体的な方法です。

1. 観察力を養う
方法
: 日常生活の中で周囲の細かな変化に注意を払い、物事を深く観察する習慣をつけます。例えば、自然の風景、人々の表情、建物のデザイン、音や匂いなど、五感を使って細部に意識を向けることが重要です。

効果: 感覚が敏感になり、視覚的、聴覚的な情報をより豊かに受け取れるようになります。

2. 芸術に触れる
方法: 音楽、美術、映画、舞台芸術など、様々な芸術に積極的に触れることが有効です。特に能のような伝統芸術やクラシック音楽、絵画など、感性を刺激する作品を鑑賞することで、感受性が深まります。

効果: 感能が高まり、芸術作品の背後にある微妙な感情やメッセージを感じ取ることができるようになります。

3. 瞑想やマインドフルネスを実践する
方法: 瞑想やマインドフルネスを日常に取り入れることで、心を落ち着かせ、感覚に集中する力を高めることができます。呼吸に意識を集中し、心の雑念を取り払い、今この瞬間に意識を向ける練習を行います。

効果: 内面的な感覚に対する気づきが高まり、外部からの刺激に対する感受性が鋭くなります。

4. 自然と触れ合う
方法: 自然の中で過ごす時間を増やし、風の音、鳥のさえずり、花の香りなど自然界の微細な変化に注意を払います。自然の中でリラックスし、五感を解放することが感能を高める一つの方法です。

効果: 自然に触れることで感覚がリセットされ、日常の細かい感覚にも敏感になります。

5. 書くことや話すことを通じて感情を表現する
方法: 自分の感情や感覚を日記や詩、エッセイなどに書き出したり、他者と共有したりすることで、内面的な感覚を整理し、深めることができます。

効果: 自分の感情や感覚を言葉にすることで、物事を深く感じ取る力が強化されます。

6. 味覚・嗅覚・触覚の敏感さを養う
方法: 食べ物や飲み物を丁寧に味わい、食感や香りに意識を向けることも感能を高めるために有効です。また、香水やアロマを用いて嗅覚を刺激したり、手触りの良い素材に触れて触覚を養ったりすることも効果的です。

効果: 味覚や嗅覚、触覚が繊細になり、五感を通じた感覚の全体的な感受性が高まります。

7. 異文化や新しい経験に挑戦する
方法: 異なる文化や新しい環境に積極的に身を置くことで、感覚が刺激され、新しい視点や感覚を得ることができます。旅行や異文化体験、習慣の異なる人々と交流することが効果的です。

効果: 自分の固定観念が解放され、新しい感覚に対して開かれた態度を養うことができます。

まとめ

感能を高めるためには、意識的に五感や感情、内面的な感覚に注意を向け、日常生活の中で細やかな変化や美しさに敏感になることが大切です。これにより、感覚的な成熟度が増し、芸術や自然、他者との交流からより深い感動や喜びを得ることができるようになります。

能を観ることで感能は高まる?

はい、能を観ることは感能を高めるのに非常に効果的です。能は、視覚、聴覚、そして感情的な感受性を刺激する独特な芸術形式であり、その体験を通じて感能が磨かれます。以下は、能が感能を高める理由とその具体的な効果です。

1. 視覚の鋭敏化

能の舞台では、シンプルでありながら洗練された美しさが重視されます。能面や衣装の細かいディテール、舞台の静かな動き、照明の微妙な変化などに集中することで、視覚的な感能が高まります。特に、能面は感情表現が制限されているため、観客は動きや雰囲気を通じて物語を感じ取る必要があります。これにより、視覚に対する敏感さが養われます。

2. 聴覚の鋭敏化

能の音楽やセリフ(謡い)は、伝統的な楽器や声の抑揚を特徴としており、通常の劇や音楽とは異なる響きを持っています。囃子(はやし)の音楽、鼓や笛の音、登場人物の抑揚のあるセリフを深く聴き取ることで、聴覚に対する感能が鍛えられます。また、能の静けさや間(ま)の使い方も重要で、音のない時間に注意を向けることで、聴覚の感受性が高まります。

3. 感情の感受性の向上

能は、しばしば抽象的で象徴的な形で人間の感情や精神的なテーマを表現します。具体的な感情表現に頼らず、象徴的な動作やセリフ、静けさによって感情を伝えます。観客はそれを自ら感じ取る必要があり、この過程で感情の感受性が深まります。能の物語は、喜びや悲しみ、怒り、恐怖など、深い人間の感情を扱っているため、それに共感することで感能が高まります。

4. 文化的な感能の養成

能は日本の伝統文化や精神性を強く反映しており、その背景や歴史を理解することで文化的な感受性が高まります。能の舞台を通して、古典文学や歴史、宗教的なテーマについて学ぶことができ、文化的な感能が豊かになります。

5. 精神的な集中力の向上

能はゆっくりとしたリズムと静かな空気感を持つため、観る側には精神的な集中力が求められます。この集中する経験を通じて、感覚的な受容力が高まり、微細な動きや音に対して敏感になることができます。能を観ることで、精神的な「間」の感覚を養い、集中力が高まると同時に感能も磨かれます。

まとめ

能を観ることは、感能を高めるための素晴らしい方法です。能の独特な美的感覚や感情表現、音楽、動きに意識を集中させることで、視覚、聴覚、感情の感受性が鋭くなり、さらに文化的な深みを理解することができるようになります。能の鑑賞を繰り返すことで、感能は確実に高まるでしょう。

能の初心者向けの観賞ポイントは?

能を初めて観る方にとって、独特な形式や美学が難しく感じられるかもしれませんが、いくつかの基本的な観賞ポイントを押さえることで、楽しみや理解が深まります。以下は、能初心者向けの観賞ポイントです。

1. ストーリーを事前に知る
ポイント
: 能の台詞(謡い)は古語や詩的な表現で書かれているため、理解が難しいことがあります。上演前に、ストーリーの概要や登場人物、背景を簡単に調べておくと、物語の流れが把握しやすくなります。


: 能の「隅田川」や「羽衣」などの有名な演目を観る際には、物語のあらすじやテーマを事前に知っておくと、舞台上の動きや演技により集中できるでしょう。

2. 動きの少なさを味わう
ポイント
: 能の特徴の一つは、動きが非常に少ないことです。激しいアクションがない代わりに、静かな動作やゆっくりとした歩みが重要な意味を持ちます。役者が行う一つ一つの動作に集中し、その意味や象徴を感じ取ってみてください。


: 例えば、足を踏みしめる一歩には重みがあり、その人物の感情や物語の流れを表していることが多いです。これを観察すると、動きの少なさが逆に深い意味を持つことに気づきます。

3. 能面の表情を感じる
ポイント
: 能面は感情を表さないように見えますが、実際には微妙な角度や光の当たり方によって異なる表情を示すことがあります。能面は無表情であるため、観客が役者の動きや謡いを通じて、その背後にある感情を感じ取ることが求められます。


: 「シテ」(主役)が上を向いたり、顔を少し動かしたりすることで、悲しみや怒り、喜びなどが表現されることがあります。この微妙な変化に注目すると、能面の奥深い魅力を楽しむことができます。

4. 囃子の音楽に耳を傾ける
ポイント
: 能の音楽は、笛や鼓(つづみ)、太鼓などの囃子方(はやしかた)によって演奏されます。この音楽は、シンプルでありながら劇的な効果を持ち、物語の感情や緊張感を引き立てます。演者の動きやストーリーとともに、この音楽にも耳を傾けることで、舞台の雰囲気が一層深まります。


: 演者が舞台に登場する時や、重要なシーンでの鼓や笛の音の強弱、リズムの変化に注目することで、舞台全体の緊張感や雰囲気をより豊かに感じ取ることができます。

5. 「間(ま)」の美しさを味わう
ポイント
: 能では、「間(ま)」、つまり静寂の時間が非常に重要な役割を果たします。この「間」は、感情を表現したり、物語の流れをゆっくり進めるためのスペースです。音や動きがない静寂を恐れず、むしろその中に込められた感情や意味を味わうことが大切です。


: シーンとした静けさの中で、演者の動きや表情の変化に目を向けると、その静寂の中に深い感情やメッセージが込められていることが感じられます。

6. 自然や季節の象徴に注目する
ポイント
: 能では、自然や季節の移り変わりが重要なテーマとして登場します。桜、月、風などの自然の描写が物語や登場人物の感情と結びついています。これらの自然の象徴に注目することで、能の美しさをより深く理解できます。


: 桜の散り際が儚さを表現する「花の宴」や、月が登場人物の心情を映し出す「月見」のシーンなど、自然の描写が物語と結びついています。

7. 能舞台の空間を感じる
ポイント
: 能舞台は非常にシンプルで、余計な装飾がほとんどありません。このシンプルな空間の中で、役者たちの動きや音楽が劇的な効果を生み出します。この空間の広がりや静けさを感じながら、能の世界に身を委ねることが大切です。


: 舞台の正面に描かれた松や、橋掛り(舞台へつながる通路)を使った役者の移動など、舞台全体が物語の一部として機能しています。これを観察することで、能独特の空間美を楽しむことができます。

まとめ

能を初めて観る場合、最初は難しく感じるかもしれませんが、ストーリーを理解し、動きや音楽、空間、そして「間」に注意を向けることで、その魅力を感じ取ることができます。能の鑑賞には、一度の観賞で全てを理解しようとするのではなく、少しずつその独特な美学や表現方法に慣れていくことが大切です。

引用 ChatGPT

太鼓の蒔絵に使用されている蕪かぶの画には、根色(ねのいろ)音(ねがたい)という意味合いが込められてると能楽師さんのお話から知りました、

こうして、現代は生命の記憶や記録を手軽にデジタルで残せるようになった、日々老化する中で活性化させ続けられる部分もある、明らかに一昔前の人との生成様式が違う、

『自然服従(思想の矛盾の打破)』

・神経質の療法について、この思想の矛盾を打破すべきことが、一面
 の着眼点でなくてはならないことを知るべきである。それなら思想
 の矛盾はどうしてこれを打破することが出来るか。一言でいえば、
 いたずらに人工的の拙策を放棄して自然に服従すべしということで
 ある。人工的の工夫によって随意に自己を支配しようとすることは、
 思うままにサイコロの目を出し、鴨川の水を上に押し流そうとする
 ようなものである。思う通りにならないで、いたずらに煩悶を増し、
 力及ばないでいたずらに苦痛に堪えなくなるのは当然のことである。
 それなら自然とは何であるか。夏暑くて、冬の寒いのは自然である。
 暑さを感じないようにしたい。寒いと思わないようになりたいとい
 うのは人為的であって、そのあるがままに服従し、これに堪えるの
 が自然である。

(『神経質の本態と療法』より 森田正馬著 白揚社)

とりとめなき8億4千万には程遠い思考の浅はかさよ、とりとめなき8億4千万には程遠い思考の儚さよ、

「Colorless green ideas sleep furiously 色のない緑の考えが猛然と眠る」提唱者 言語学者ノーム・チョムスキー


能楽の解釈には多様性がありますので、1つの見方として参考になれば幸いです。



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