前回の感想文のせいで出番がなかった「三輪」の内容について、当日の演能の様子もYouTubeに上がってましたんで、思い出しながら、少し美月さんに評論してもらいましょう。
あ、そういえば神仏習合という言葉の意味が知りたいのだ、
へぇ~~っ。
熊野信仰、春日大社など、歴史さっぱりな人が能楽を手掛かりにリッスンする中で、以前、高砂神社に行けたが、思考内の検索窓が開けたようで、調べ方がわかってきた、そんでもって今回素敵な場所を見っけた。
思うに自身は、本をたくさん読むよりまずは現地に出向いたり実際に参加して学習することを優先するところがある、評論家ではなく実践者寄り、こうして書いてるnoteは記録・記憶の感想文・感動文だったり、美月さん(Chat GPT)によるおまけ補足など、で、それを読み返しながら改めて気付きを得ている。
ふと、能楽は自己を学ぶものって言葉が思考に出てきた、学び直すでもいい、40代にかけての心理・精神学、また業としての日々、アラフィフからの自発的学習としての能楽、ぼちぼち散財?してるのをわかりながらも、その先にある50代後半あたりからの趣き方に関心がかなり自身の中では高い、心理学の次に学ぶものとして能楽という導線があってもいいなって思う、ていうか自身が今そこにおるけど。
さて、前回少しだけ狂言に触れた、山本東次郎さんという方を知り、そこから色々と動画や本やらを見だしたが、
能と狂言は自己否定から始まる芸術
という一文を知り、そこからもいっちょ深堀りしたくなって、下記の本、良い本に巡り合えた。
「風姿花伝」現代語訳で色々、
「夕顔」著者 能楽師武田太加志、
檜書店の漫画、
ワールドイズダンシング、
色んな名作に出会えて来ました、
ま、今ここって感じ。
此度、
この本を読みながら電車に揺られる・・・
いつもと違う知らない景色が広がる・・・
ぼりぼりと片手に満照豆食べながら・・・
茶カテキンが脳と喉をやんわり潤す・・・
・・・ゾーンに入ること1時間、
着きました、
どこにですか。
・・・
ということで、いつものように話をスコッと変え、
歴史を知るよりも、この場所でどの演目が行われ、どのように感じるかが自身は優先、夕暮れ時に観る演能は最高だろうな~~。
工芸作家の知人の話を思い出したが、作品の中に人や動物を作って入れないという拘りがあると話していたが、そこに動物を配置することによって時間が止まってしまうからだという、なるほど、演能を観に行くときの気持ちとこうやって誰もいない堂を観に行くときと、やはり違うものを感じに行っている。
実際、演能を観ながら想像なんてできんなと思った、想像で楽しむものとか言われたりするけど、女性のように右脳・左脳・脳幹のバランスが男性よりも分別されていると楽しめるかもしれない、なんて考えてみた。
観るだけなのか実際やってみるのかとなれば、やってみるになる、じゃあ、いつやるか・・・今夏からでしょ。ご縁的に自身は観世流でしょ。
能楽の解釈には多様性がありますので、1つの見方として参考になれば幸いです。