20240617 イラストエッセイ「読まずに死ねない本」 009 ロアルド・ダール自伝 「単独飛行」
水木しげるセンセイの「ねぼけ人生」が、ぼくの中で自伝の最高傑作ですが、ロアルド・ダールの「単独飛行」も素晴らしい。
「ねぼけ人生」が、ありのままの自分で好きなことをやれっていうメッセージだとすると、「単独飛行」は、大人であるとはどういうことかを教えてくれます。これも十回以上読み返した本です。
ミステリ作家のロアルド・ダールは、「チャーリーとチョコレート工場」で有名ですが、ちょっとブラックな短編の名手でもあります。ウィスキー片手にひもとくと、至福の時間が得られます。
そんなダールは、第二次世界大戦中、イギリス空軍のパイロットで、ホーカー・ハリケーンという戦闘機に乗って、絶望的な劣勢の中でドイツ空軍と日々戦っていたのです。最後は、不時着して負傷したことで飛行機を降りますが、それまでにドイツ軍機5機を撃墜するエースでした。
「単独飛行」は、イギリスのアフリカ植民地で戦争がはじまり、パイロットを志願して戦闘機乗りになり、ドイツ軍1000機に対して、イギリス軍17機という圧倒的な兵力差の中での日々を描いています。
アフリカのシェル石油に就職するというところから面白い。
世界中に植民地を経営していたイギリスの若者が、世界を舞台に自分の運命を試すという冒険心にわくわくします。そして植民地に暮らす英国人たちの姿も面白い。彼らは本国からはみ出した、実に奇妙で魅力的な人々です。
戦争が始まるとパイロットの訓練を受けるのですが、飛行機という乗り物が冒険心に富む若者の心をがっちりつかむんです。飛行機を操縦して得られるのは「自由」。大空を駆け巡る自由です。これは、「星の王子様」のサン・テグジュペリに共通する感覚ですね。どれほど危険でも、この自由は何ものにも代えがたい。
でも物語のクライマックスは、ギリシャでの戦いです。毎日若いパイロットが死んでいく。1000対17ですからね。意味がある戦いとも思われない。先輩のパイロットは若いパイロットの名前を尋ねることもしない。なぜなら彼らはすぐに撃墜されて死んでしまうので、覚える意味がないからです。
それでも淡々と自分の任務にでかけていく。ここがダールの真骨頂。イギリス流なんです。愚痴も言わず、淡々と己の義務を果たします。ときにはユーモア交じりで。
日本の戦記物のように、妙に鼻息が荒かったり、勇ましかったり、あるいは悲壮だったりしないんです。実に淡々としている。この戦いに何の意味があるのかと義憤にかられることもなく、己の運命を嘆いたりもしない。お茶を飲み、たばこをふかしながら読書なんかしているのですが、命令があれば、圧倒的劣勢の中でも出撃してゆく。大人なんですよね。しかもこの時のダールはまだ二十歳代なんですよ。
ぼくたちの人生にも苦難はつきものです。仕事だって理不尽なことも多い。それで、嫌気がさしたり、愚痴を言ったり、嘆いたりする。ところがダールは淡々と己の義務を果たす。これは、ガンジーが愛読した「パガヴァット・ギータ」の精神にも通じるものがあると思います。
大人なんですよね。
そしてクライマックス中のクライマックスは、1000機の相手に対して17機で挑む大空中戦。そんじょそこらのアクション映画なんか足元にも及ばぬ壮絶なシーンです。
ダールの文体も素晴らしい。
これら波乱万丈の出来事が、実に淡々と、ユーモアさえ交えて語られています。
とにかく、未読の方はぜひご一読あれ。今の大人が、ぼく自身も含めて、子供に見えてきます。そして、こんな大人になりたいって、きっと思うことでしょう。
ちなみに、そんなダールは子供時代の自伝も書いていて、こちらは「少年」という題名です。これも、面白いですよ!