見出し画像

書評 トーベ・ヤンソン「ムーミンパパ海へいく」「ムーミン谷の十一月」イラストエッセイ「読まずに死ねない本」038 20250128

 今までに「ムーミン谷の彗星」と「たのしいムーミン一家」そして「ムーミンパパの思い出」の三つの作品を取り上げました。
 ムーミンシリーズの魅力は、失われた子供の視線で見た世界。世界が不思議に満ちていた頃の世界を描いていること。
 でも、これはムーミンの世界の半分しか語っていません。
 今日は、ムーミンの世界の「孤独」と「不安」についてお話したいと思います。

 ムーミンシリーズの後半は、一言でいうととても暗いんです。そこには孤独と不安が描かれています。
 特に「ムーミンパパ海へいく」と、「ムーミン谷の十一月」の二作品に色濃く表れています。

 「ムーミンパパ海へいく」は、パパが日常生活の中で自分の役割がなくなったことにいたたまれなくなり、家族を伴って無人島へ引っ越すというお話。
 ムーミン谷での日常の主役はママです。温かい食事と居心地のよい家庭生活。でもそこには一家の主(ちょっと古臭い言い方ですけれど)としての役割がありません。家族を危険から守ったり、何もないところに家を建てたり、食料を確保したりするという、太古の昔からパパたちが担ってきたような役割が。
 それで、無人島で灯台守として新しい生活を打ち立てようとするんです。つまりこれはパパの自分探しの物語。しかも家族を巻き込んで。笑
 でもパパの思惑通りにことは運びません。無人島にたどりついた一家は、それぞれが孤立します。パパの奮闘は空回りし、ママは懐かしいムーミン谷を思ってちょっとした精神の危機を迎え、ムーミンは思春期を迎えて自分だけの秘密と自分の世界に没入します。(ミーは相変わらずのマイペース。)
 そしてそんな一家に、恐ろしい嵐が襲ってくるんです。
 読んでいて胸がつまるような、家族の断絶の物語です。
 ここに描かれているのは、誰にも理解されない人間の内側にある「孤独」と、自分という存在の「不確かさ」、そして世界が崩壊するかもしれないという「不安」です。

 「ムーミン谷の十一月」に至っては、ムーミン一家が登場しません。ここに描かれているのは「ママの不在」です。誰をも受け入れ、気持ちの良いベッドと食事を与えてくれる「家」の象徴であるママの不在。
 そんなだれもいないムーミン屋敷に、ちょっと空気の読めないヘムル、孤独な少年ホムサ、不安をかかえたフィリフヨンカ、記憶をなくした老人のスクルッタ、ミーのおねえさんミムラ、そしてスナフキンがやってきて、共同生活を始めます。
 ママが不在の生活は、それぞれが自分の問題をかかえて孤独です。けれども、その孤独な共同生活の中で、なんとか各自がそれなりの答えを出して立ち去ってゆきます。
 ここに描かれているのは「喪失」と「孤独」そして「再生のほのかな希望」です。「再生」ではなく、再生の予感のようなものと言っても良いかもしれません。

 ムーミンシリーズの後半はどうしてこんなに暗いのか。
 トーベ・ヤンソンさんの父親は高名な彫刻家。そしてお母さんもまた有名なイラストレーターでした。芸術家の一家だったんですね。ヤンソンさんの自伝「彫刻家の娘」を読むと、その一家の雰囲気が良く分かります。ムーミン一家のように寛容で、それぞれに独立心があります。ピカソも言っているように、芸術家というのは内側に大いなる孤独を抱えているもの。そこから創造性が生まれます。ヤンソンさんの家族は、それぞれが「一人の時間」を大切にしていました。
 ヤンソンさんの描く寛容さというのは、誰とでも仲良くなるという社交的なものではありません。ヤンソンさんの寛容は相手の独立心を尊重すること。相手を尊重するということは、相手の中の孤独を尊重することなんです。
 ヤンソンさん自身、レズビアンでした。時代的に見て、彼女も内側に大きな孤独を抱えていたのだと想像できます。
 「ムーミン谷の十一月」は、ヤンソンさんの母親の死後に書かれました。彼女の良き理解者であった母親を失って、ヤンソンさんはムーミンシリーズを書き続ける気力を失ったとも言われています。

 自分と相手の独立心、すなわち「孤独」を尊重するという種類の寛容さは、フィンランド人の特徴かもしれません。
 カリウスマキというフィンランドの映画監督がいます。ぼくの一番好きな映画監督です。ぜひ敗者三部作、「浮雲」「過去のない男」「街のあかり」をご覧ください。孤独で、社会的にもうちひしがれた人々の姿が、ちょっぴりユーモアを交えて描かれています。
 スナフキンやじゃこうねずみ、モランや飛行おにみたいな孤独な人たちがたくさん登場しますよ。
 「孤独」「独立心」「寛容」「忍耐」 ステレオタイプかもしれませんが、こういう国民性が良く描かれていると思います。日本の東北地方に近い感じです。
 カリウスマキの作品を見ると、ムーミンシリーズの持つ「孤独」の質がちょっと理解できるような気がします。

 「不安」は、フィンランドの歴史と無関係ではありません。
 1939年、フィンランドはソビエトの安全保障のために一方的に侵略されました。圧倒的なソビエト軍に対して絶望的な抵抗をしましたが、結局カレリア地方を奪われてしまいます。これは映画「冬戦争」に描かれています。
 1941年、ナチスドイツがソビエトに侵攻した時、フィンランドはドイツの味方をするんですね。それでカレリア地方を奪還するのですが、ご存知のようにソビエトの反撃に合います。1944年、今度はドイツを敵として戦うことでソビエトと和平を結びますが、再び領土を失いました。これは継続戦争と呼ばれ、「無名戦士」という映画に描かれています。この二つの戦争でフィンランドは十万人近い戦死者を出しました。
 戦後、フィンランドがNATOに加盟せず中立的立場だったのはこういう理由があるんです。中立というより、かなりソビエトの影響力の下にあったと言っても良いと思います。

 ヤンソンさんはこの戦火を経験しました。
 自分たちの日常が戦争によって奪われる。この恐怖と不安が、ムーミンシリーズでは、洪水や彗星、大嵐として描かれているんです。

 ムーミンシリーズの後半に現れる「孤独」と「不安」を経験してから、再び前半の「幼年期の夢」の世界を読み返すと、また違う味わいがあります。
 自分と他者の内なる孤独を尊重することによる、寛容。その寛容の中に生まれる友情が、多くの不安や災害、人生の困難を乗り越える力のみなもとになっているように思います。
 フィンランドに行ってみたいなー。今でもフィンランド中にムーミンのキャラクターたちがあふれているそうですよ。(あと、マリメッコ。笑)
 でも、わーっと騒ぎたい人には少々退屈であるようです。自分の内側の孤独と向き合うことが好きな人は、きっと故郷に帰ったような気持ちになると思います。

飛行おに カリウスマキの映画に出てきそうな孤独な人

下記にご紹介した本、DVDへのリンクを貼っておきます。
カリウスマキ監督の映画は、すべてアマゾン、プライムビデオです。

カリウスマキ監督作品は何度でも見返したくなります。
家宝にしたいという方は、ボックスセットがおすすめです。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集